安倍元総理は、その生き様、その死に様で、若い人達に政治の大事さを教えてくれた。『躾はするものじゃない。躾は見せるもの』を身をもって。「遺憾、遺憾攻撃」が相手に何のダメージも与えてない事を、この度の銃撃事件で若い人達も気付いた様子。安倍元総理の死を無駄にするも、しないも、後に残った政治家次第。
【追伸】
読者が「住職は、憲法改正は賛成なんですね」と今日もまた。「仮に、この度の安倍元総理の国葬で、各国の元首が集まり、クロアチア戦争が終結出来たとしても、そうなれば、ほんと嬉しいが。人間の歴史は、奪い合いの歴史、殺し合いの歴史にて。1人の人間の新たな誕生と同時に、新たな欲も、また誕生してくる。欲の深い指導者が、国のトップに立った途端に、また、国民は駒の様に使われて戦争がおっ始まる。国民の命を本気で守ろうと考えるなら、戦争を仕掛けて来れない力(防衛力、攻撃力)を備えるしかないでしょ。戦争は核戦争ばかりではない。クロアチアを見てもわかる様に、罪のない老人や子供達が数多に命を。これはもう、絵空事ではない。仮に、敵国が日本に核爆弾を撃ち込んできたとします。日米同盟があるから、米国がその敵国に撃ち込んでくれるか、といえば、そんな事は絶対にない。その瞬間、米国本土に撃ち込まれますので。何の努力もしない日本の為に、米国人を犠牲にする様な決断を大統領がするはずがない。立場が逆だったら、日本はそんな事、しないでしょ。この問題を本気で考える気がないなら、とっとと政治家をやめてもらいたいですね。戦争を仕掛けて来れない準備を」と。
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