【8月25日投稿分】
8月15日に投稿した法話を読まれた、拙僧の法話読者の老齢男性が「住職さん、戒名って、本当に必要なんですかね」と。この手の質問は、度々受けますよね。対し、拙僧「そうですね、じゃ、戒名の意味するところを、少しお話しをしましょうかね。戒名が一般庶民に与えられるようになったは、江戸時代の後期からでして、わが寺の檀家の中には数家ですが、その頃(江戸後期)から令和の世まで、脈々と戒名が過去帳に残っている家がありまして。これは何を意味するかといえば、誰1人として親を粗末に扱った子孫が出なかった、という証しでして。その家は今、非常に栄えております。『先祖を大事にするから、先祖の功徳が子孫に』と言いたいところですが、そんなんじゃないよ、とまでは言いませんが、実際は、親に感謝する、親を大事にする、という心が、つまり、感謝出来る子孫が、延々と育ってきているという事にて。そうなれば、当然、栄えていてもおかしくはないでしょ」「まあ、そりゃ、そうですわね」と、その老齢男性が。
続けて拙僧「で、戒名がいるか、という質問ですが、建前で言えば『阿弥陀の世界(あの世)に、名無しの権平、で逝かせる訳にはいかないから、戒名を』という事になる訳ですが、拙僧においては、それよりも、というところがありましてね。その江戸時代後期から過去帳に残っているという、わが寺の檀家の先祖の戒名を見てみると、使われている漢字の中に、どんな家柄(武士、商売人、坊主、百姓、漁師など)だった人か、どんなの仕事をしてきた人か、いつどこで亡くなった人か、どんな生き様をした人か、どんな性格だった人かが、わかる、読み取れる、戒名になっているものが、少なからずありまして。子孫にとっては、わが家の先祖を知る事が出来る、何よりの資料になるが、戒名、という事に。そう考えると、子孫にとって残っている戒名は、ロマン以外の何ものでもないでしょ。拙僧は、俗名を『山本博文』と申しますが『山本博文位』では、何をした人なのか、どんな人だったのか、さっぱりわからん。自分のルーツ(先祖、命の流れ)を知ろうと思ったら、区役所に行って戸籍を見るより、菩提寺に行って、戒名をみよ、ですばい」と。
すると、読者の老齢男性が「戒名授戒の意味は少しわかりましたが、でも、でもですよ」と。「高額な戒名料の事でしょ。拙僧のお寺では戒名料は無料にしておりますが、寺院によっては、お寺を維持していく為の貴重な収入源になっているところも。因みに、戒名料が高額になっていったは、仕掛けたのは寺院の側じゃないんですよ。戒名に使われる『院号』や『居士、大姉』は、昔は、お金を幾ら積み上げても、寺院に対し、余程の貢献をした人でないと、与えてはもらえなかったもの。貢献とは、寄付(お金)だけではなく、長い長い間、境内地の掃除をされたとか、度々お米や、お野菜を奉納されたとか、お寺の法要やその他の行事の手伝い(裏方で接待準備)を献身的にされたとか、ですね」と。
続けて、拙僧「それが昭和に入り、成金という人達が世に出てくる様になってから、戒名の授戒に変化が出てまいりまして。戒名を見ると、その人が自分の為(強欲)だけに動いた人か、人の為(奉仕)に動いた人かが、一目瞭然なんです。葬式の時に子孫が『父は世間的に地位も名誉も財産も。この字数少ない『院号』なき戒名では、世間体が悪い。何とかなりませんか』と住職に『院号の授戒』を嘆願。対し、住職が『お寺に何の貢献もしてない人に『院号』などを与えたら、貢献して『院号』を授かった他の檀家さん達から、文句が出るは必定。どうしても世間体を気にされるなら、他の檀家さんから文句が出ない様に、それなりの姿勢を見せなさい』が戒名料が高額になっていった経緯にて。つまり、戒名をもらう側の見栄から始まったもの。ところがそれをお坊さんが逆手に取って、超高額な戒名料に。が、わが寺だけでなく、戒名料を取らないお寺さんも結構に多いですよ。まあ、何にせよ、こんなに戒名料が高額になったら『戒名なんていらない』という人が増えてきても、仕方のない事ですよな」「そういう事だったんですね。だけど、戒名が『100年後の子孫の資料(ロマン)になる』なんて事を聞くと、考えさせられますな」と。
最後に、この老齢男性が「聞くところによると、生きてる内に授かる『生前戒名』なるものがあるとか」と。「はい、ありますよ。生前戒名を授かるが、本来は本筋です。わが寺の檀家にも、希望者には授けておりますよ。何年か前にはこんな話がありました。80代後半の檀家の爺様が『住職よ、わしに戒名を授けてくれんか』と。すると、横にいた婆様が『住職さん、遠慮気兼ねなく、この人に戒名を授けてやってくださいませ』と意味深な笑顔で。それじゃ、という事で『天寿院好色一代居士位』と墨書きすると、爺様絶句、婆様大笑い。お察しの通りです。この爺様、生涯を掛けて浮気三昧を。暫く無言だった爺様が『住職よ、これはいかんぞ、これはいかん。100年後の子孫に、この人、相当な色ボケだったんだな、と笑われ者に。何とかならんか』と。『そうだね、残りの人生次第だね。その結果次第で、天寿院伴侶一筋居士位(妻一筋の人生を全うした男性)に変えてあげるよ』と。『そうか、心を入れ替えるから、頼むぞ』と爺様が。拙僧は『お寺の仕事で、何が最も好きか』と聞かれたら、必ず『授戒(戒名授け)』と答えるかな。その人の歴史だもんね」と。
【付録】
拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。
下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。
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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。
次回の投稿法話は、9月1日になります。添付写真は、拙僧の祖父母と父母の位牌です。
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