1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 一昨日前、SNS で投稿した、女性からプロポーズを望む男性多数の法話の続き。

2023-12-11 16:44:06 | 法話

【臨時法話】  


12月10日に結婚に関する法話をSNS に出しましたが、明治41年生まれで、50組以上の仲人をしてきたという拙僧の爺様(他界して35年に)が「30歳以上になる独身の子供がいたら、親が売って回らんと、買い手はつかん。明治時代でも、大正時代でも、昭和時代でも、結婚に対する若者の尻込みに、それほど大差はない。要は、後押しする人間(大きなお世話人間)がいるか、どうかだ」と、よく口にしていましたね。「凄い(激しい)言葉だな、と当時(拙僧、中学生)は思っていましたが、昨今、日本社会では、親が子供の代わりに見合いをしている親活(相当数が集まって)があちらこちらで。これって、当に爺様が言ってた「親が売って回らんと、買い手はつかん」にて。そうしてみたら、わが爺様は、先見の明があったのかな。檀家の若者達に、それ(親活)に対する意見を問うと「それもありかな、と思います。親が選んでくる相手だから、安心してお付き合いする事が出来る。ただし、その人と結婚するかどうかは、別の話だよ、住職」と。


これは余談ですが、10年ほど前、結婚を両家の両親に猛反対されているカップル(檀家)がお寺に来て「もう、諦めた方がいいですかね」と拙僧に。対し、彼らに「なら、諦めな、と言ったら、君らは諦めるんかい。雁首揃えて、ここに何しに来たんだ。『親を説得するには、どうすればいいですか』と何故、そう聞かん。そんなところじゃないのか、親が反対する理由は。自分達の人生を、人の意見で決めてしまうんかい。現実逃避する者に、道なんて、到底開かれないよ」と。


その3年後、このカップルは結婚し、現在は2児の親に。拙僧のところに来た時、男性も女性も20歳。年齢的には大人だが、どう見ても、チャラ男にちゃら子。これじゃ、親は心配して、猛反対するわな。実は拙僧との接見後、彼らは両家の両親から「3年、3年だ。お前達の様子を見たい。そこまでお互いの気持ちが変わらなかったら、改めて考えてやってもいい」との回答をこのカップルに。親が反対していた理由は、他になんぼでも。書き連ねれば長くなるので割愛を。最重要な理由だけ、ここに披露を。


投稿写真は、わが寺にある達磨大師の彫刻です。明治生まれの拙僧の爺様にそっくり。柘植(つげ)の根で作られているという事。宮大工の棟梁が「こんな大きな柘植の根は、非常に珍しい。恐らく、相当に高価だろ」言われてました。もう他界されましたが、檀家の社長に頂いたものです。次回の投稿法話は、12月15日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 昨今の結婚事情は、女性からのプロポーズを望んでいる男性が多いとの事。今日の法話は、その事を少しお話ししましょうかね。

2023-12-09 08:55:52 | 法話

【12月10日投稿分】


檀家の女性が「某番組を見ていて、少しショックを受けたんだよね。昨今の20代から30代の男性は『精神的に楽だから、愛するより愛される方がいい』の理由で、女性の方からのアプローチを望んでるんだって。男性側から言わせれば『アプローチしたらセクハラ(告白ハラスメント)と言われるから、敬遠してしまう』と。どうよ、これ、住職」と。「〇〇ハラスメントって、まだ、世の中では言ってるんだね。自分で自分の首絞める事(世の中を渡り難くなる)になるから、その流行はもう過ぎたと思ってたよ」と。


続けて、檀家の女性が「女性も女性で『断るのが苦痛。周囲の目が鬱陶しい』と、告白されるを毛嫌いしてるんだって。因みに、女性誌調査によると、告白されたい男性派が76%と。既に告白された経験のある男性が90%で、告白した経験のある女性が84%と。それとね、住職。マッチングアプリって、知ってますか」と。「聞いた事はあるよ」「婚活は、バサっと網を投げる投網漁ではなく、1本釣りなんだよね。みんなに評価されても、マッチング出来なきゃ意味がないでしょ。だから、凄く綺麗(男前、美人)な人より、ちょっと残念な人の方が、マッチングの確率が高いんだと。どうも、競争率の低そうな人が狙い目らしいよ。競争率が高そうな人を釣り上げるは、無理、って判断するんだよね。住職さ、何か、複雑な顔をしてるね。話している私も、実は複雑なんだよ。こんな他人の事ばかり言ってる内に私、とうとう36歳になっちゃったよ」と。


この女性に拙僧「その筋の専門家が『人間の自然寿命は、38歳(特定遺伝子による判断)である。よって、30歳から40歳は、人生の華の時期。30代後半の女性が、人間として1番綺麗で輝いている』と言ってたよ」と。「1人の女性(個人)として見たら、でしょ。住職がいつも言ってるじゃん。『結婚は何歳になっても出来るが、子供は何歳になっても、という訳にはいかんぞ』と。私、子供が欲しいんだよね」「じゃ、急がなきゃ」「だよね。ところで住職、昨今ね、結婚、出産の予定はないが、20代から30代の女性の6割が『若い卵子を残したい』と卵子冷凍保存を希望してるんだって。福利厚生としてそれに補助金を出してる企業(メルカリは1子ごとに、最高額200万円。サイバーエージェントは40万円)もあるんだと。『これで気が楽になった。これで、いつ結婚しても』という女性が、ちらほらと。これ、どう思うよ。今は3組に1組が離婚でしょ。更に驚いたは、子供のDNA鑑定をする夫婦がいると。怪しんでいる夫婦に限って、その鑑定をお願いしてるとの事ですが、鑑定した5組に1組は、夫の子ではなかったという結果が。様々な事情が想像されるが、住職はこんな世の中、どう思いますか」と。

対し、拙僧「どう思いますか、とくるか。自分にとって都合が悪い意見、と判断した読者(身に覚えのある)から、烈火の如く拙僧に文句がやってきそうだね。卵子冷凍保存出産の件については、その是非は兎も角『よく考えたな。そんな時代になったのか』と、素直に驚いたよ。個人の事情、つまり、今は産めない体だが、後には体が丈夫になって、産める体になった、という人達には大いに助かるだろうね。ただ、わが寺の檀家さんで、40歳を過ぎて初めて子供を授かった人達、この人達は皆、医学の力を借りて授かったが、『この歳での子育ては、肉体的に、精神的に、非常に大変』と異口同音に。子育ては、エネルギーがいるもんね。拙僧には3人の子供が。その子供達が幼児の時、拙僧の父は50代後半だったが、その頃、父が拙僧に『孫は、来て嬉し、帰って嬉し、だよ。子供のエネルギーは、とても凄い。若い時じゃないと、育てるは大変』と。そうは言っても、結構に相手をしてくれましたけどね」と。その拙僧も現在、その頃の父の歳に。孫も1人。


これは余談ですが、檀家11歳の女の子が「番組『さんま御殿』を見てたら、再現フィルムで『子供の成長をみんなに』と会社の上司女性が、家族写真を載せて年賀ハガキを。対し、部下の女性達が『子供だけなら、まだね。親は年老いていく自分の写真を送り続けるって、それってどうなんだろ』と。この番組を見ていて私の親、今年から止めるって。内心ほっとした。実は私、嫌だったんだ。私の知らない人にまで、自分の写真が出回るのが。住職は年賀ハガキに家族の写真載せ、どう思う」と。「こんな言葉があるんだよね。『這えば立て、立てば歩めの親心。我が身につもる、老いを忘れて』と。家族写真を印刷するは、その心境かもね」と返すと「年賀状を貰った相手がさ、その家族と非常に親しい人なら、貰っても話が弾むだろうけど。何年も会ってないのに『昨年中はお世話になりました。今年も宜しくお願いします』の言葉と共に、家族写真まで載せた年賀状を送るは、相手はどう思うんだろう、といつも疑問には思ってたな」と、なんともシビアな11歳の女の子でした。


因みに、年賀ハガキは「何日までに出して下さい」と郵便局が毎年の様に。特に年賀状に『元旦』と書く人は、その期日(今年は、12月25日までに)を守りましょう。『元旦』は、1日の午前中の事。『元日』は、1日丸1日の事ですので、その辺を考慮して投函しましょう。郵便局側の気遣いだと思います。


次回の投稿法話は、12月15日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 拙僧には父母が。その父母には各々両親が。2+4+8+16+、と。これを20代遡っただけで100万人以上に。1人でも欠けていたら。

2023-12-04 16:15:26 | 法話

【12月 5日投稿分】


一昨日の12月3日は、わが寺では1年間の御礼報謝として、報恩講法要(毎年12月最初の日曜日)が厳修されました。『今ここに、命があるに、何不足』を思う時、全ては『有難うございます』からの始まりにて。江戸時代後期に戒名が一般庶民にも授けられる様になってから、わが寺の過去帳には、令和の今日までずっと、戒名が残っている檀家が数件ございます。これは何を意味するか、といえば、誰1人として親を粗末にした子孫が出なかった、という証拠にて。そういうご家庭は、先祖のご加護というよりも、感謝が出来る子孫が脈々と育っているという事で、当然の事ながら、幸せな家庭が築かれておりますね。


今年の報恩講前(11月下旬)に、檀家のお婆ちゃんが「住職から『お盆の三ヶ日と正月(正月様、別名、歳徳神は先祖の集合霊)の三ヶ日は、同じ意味だよ』と聞いて以来、数年前からあたしの家族は、正月の迎え方が随分と変わってきた。90年の人生を振り返ってみると、この事(正月様の意味)は知らなかったが、かと言って、先祖を粗末にしてきた覚えは全くない。あたしの婆ちゃん(明治生まれ)から度々『先祖だけは、大事にしなさいよ。命を流してくれた大恩人なんだからね。そうしてたら、いざ、という時に、お助け小屋から、先祖が走って加勢に来てくれるからね』と事あるごとに。んっ、『お助け小屋ってなんだ』と当初は思っていたが、何故か子供ながらに、しっくりとくる言葉だった。恐らく、身近に感じたんだろうな、ご先祖さんを。思えば、長い間に色々と、助けてもらってきた様な気がする。今年も振り返ってみると、色々と。住職よ、報恩講には、家族揃って伺うからな。 納骨堂に眠る先祖さんへの、お礼参りもせにゃならんしな」と。


御礼報謝と言えば、わが寺には、生目神社(宮崎県)の社、太宰府天満宮(福岡県)縁の仏像、高野山大圓院様(和歌山県)には、祖父母、父母の永代供養のお位牌が。よって、毎年12月には、方々の所縁ある神社、仏閣には、必ずお礼参りへ。頼んでばかりでは、願ってばかりでは、いかんですもんね。おかげ信仰をされる方が全て、そうだとは言いませんが、願う時には如何に遠方だろうと、お金が掛かろうと、必死こいて。が、叶った途端に「御礼報謝に行きましたか」と尋ねると「だって、遠いんだもの」という返答が。願う時には遠く感じないものが、叶った途端に遠く感じるんですね。例え、願いが叶わなかったとしても、願ったは事実にて、その御礼に伺うは当然の事ではないかと。お札(ふだ)やお守りの類は全て1年もの。いつまでもダラダラと願いっぱなしではあかん。「旧年中は大変お世話になりました。今年もどうぞ、宜しくお願い申し上げます」の年始挨拶の如しです。所謂、ケジメですわね。神仏だから何度でも受け入れてもらえるが、これが人間相手なら「何という礼儀知らずな。お世話になりました、も言えんのか」と、次はないですわな。絶対に欠かしちゃならん、最低限の礼儀だと思いますけどね。


これは余談ですが、他寺院のご住職さん達から偶に「金剛寺さんには、賽銭泥棒って来ますか」と聞かれる事が。実は、わが寺には不思議と、賽銭泥棒って来ないんですよね。偶々偶然だとは思いますが。その賽銭泥棒ですが、次の様な面白い話が。知人の住職のお寺に、定期的に檀家でない婆様がやって来て「なんまんだ、なんまんだ」と、数珠をジャラジャラさせながら、お地蔵さんの前に誰かが置いたお金(賽銭)を、半目を開けて手のひらに招き入れを。それを見掛けた知人住職が「これ、婆様、婆様」と声を掛けても、聞こえぬ振りして「いや〜、ん〜、ありがたか〜、もったいなか〜」と言って、お賽銭を持って帰られると。こればっかは、笑いましたな。これは拙僧の感覚ですよ、この婆様、何となくですが、知人のお寺を栄えさせそうな気が。


次回の投稿法話は、12月10日になります。投稿写真は、報恩講準備完了の本堂。