1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 結婚は人生の墓場、の本当の意味は、墓場とは故人が安心して永眠が出来る場所。結婚で安らぎを得られた、という意味。

2024-10-14 13:07:57 | 法話

【10月15日投稿分】


知人の30歳男性は、所謂、オタク、という訳ではないのですが、理科系大、理科系大学院卒のバリバリ理系人間でして、様々な分野で豊富な知識がある事から、どうしても蘊蓄が先に口を突いて出る為、老若男女問わず、この男性の人となりを熟知してない人から敬遠される傾向が多々ありまして。よって拙僧、ほんと、偶にですが、この男性の心を傷付けない様に注意をする事がありまして。そういう一風変わった性格以外は、本当に誠実で、真面目で、申し分ないのですが、拙僧も含め、ご両親も、ご兄弟も「この子(男性)は、女性とのお付き合いも、結婚も、恐らく難しいだろうな」と、半分諦めの境地に。


ところが、ところが、ですたい、ダメ元で拙僧が「果報は、寝て待ってても来ないよ。自分で牡丹餅作って、棚に上げておかにゃ、落ちてくる事もなかぞ。結婚したくない、結婚に興味ない、というのなら仕方ないが、そうじゃないのなら、婚活に申し込んで、自らで道を開かにゃ」と、この知人30歳男性に。すると、何と、何と、自ら婚活に申し込んでこの度、お付き合い出来る女性をゲット。周囲は皆、おったまげてしまって。


お付き合いが始まって1ヶ月後、この男性が拙僧に「話がある」とお寺へ。「住職、彼女さんからプレゼントで財布を頂いたので、お返しをしなきゃ、と思ったのですが、何を返したらいいのか、見当もつかないので『若い女性達が好むお店』でググって、早速そのお店に。女性店員さんに相談すると『頂いたお財布から考えて、1万円前後のネックレスが妥当ではないですか』と進言されたので、それを購入して彼女に。手渡した次のデートの時、彼女がそのネックレスを。気付いていたのですが、会話が弾んだ事で、口に出す事を忘れてしまって。その次のデートの時、彼女の首には、もうそのネックレスは。『この前のデートの時、あのネックレスを付けてきてくれてたね』と言うと、彼女が小さなため息を付いて『別にいいけどね』と返されまして。やっぱ、まずかったですかね、住職」と。


対し拙僧「君は基本、口数が少ないもんな。その事が悪いという訳ではないが『阿吽の呼吸』とか『つうかあの仲』なんて言葉が、この国にはあるだろ。だが、人間は言葉を口に出さないと、気持ちは伝わらんのよ。折角、口を持ってるんだから、使わにゃ。君は蘊蓄を話す時には、よく口が回るのにな。ところで、その蘊蓄だが、彼女にやたらめったらにやってないだろうな」と問うと「一応、私も気を付けてますよ。でも、偶にやる事が」「その時の彼女さんの反応は、どうよ」「それが、ニコニコしながら、聞いてくれてるんですよね。だから、一緒にいて居心地が。ただ、結婚後は、どうなのかな、という思いはあります。住職、少しでいいですから、結婚生活の具体的な参考例があれば、教えてもらえますか」と。対しこの男性に「夫婦関係、親子関係に限らず、基本、人間関係は『割り切れないものを無理矢理割り切って、わが心と折り合いを付ける事』かな。長年の間、これをお互いがやっていくうち、知らず知らずに『似た者夫婦』という境地に。じゃ、掻い摘んで、将来、君の参考になるやもしれない話をしてあげようかね」と拙僧。


《例題 1》

この男性に「結婚10年を超えたご夫婦がいて、浮気が原因で家庭内孤立のご主人が拙僧に『確かに、浮気をした私に非が。だけど、疲れて家に帰っても、お帰り、の言葉もなく、風呂も夕食の用意も。偶に夕食が用意されていたとしても、即席物かスーパーの惣菜。掃除もせず、家の中は汚れっぱなし。昼間は度々友人とランチへ。お金遣いも荒い。実家に入り浸り(それを諫めない親)で、私の親の家には全く顔を。そこに、心癒される女性が。救われたんですよね、心が』と。が、流石にご主人の言い分だけでは、と思い、奥様の方の言い分も長い時間を掛けて聞いてみたが、この夫婦のケースに限っては、ご主人の方が気の毒だったかな。『人がそう動くからには、そう動くだけの理由が、必ずある』が基本だよ。だから、一方的に相手を批判せず、何故この人は、そういう行動をとったのかな、と深く考えてみる必要がある。喧嘩は両成敗だもんね。6対4、7対3、8対2、9対1、の割合はあっても、全面的に相手が悪いなんて事はない。これが、この話の教訓だよ」と。


続けてこの男性に「結婚相手の相談を若者達に受ける事が結構にある。その時には拙僧『結婚相手を決める時には、女性なら彼氏の父親を、男性なら彼女の母親を、じっくり見てから結婚を決めなはれ。親が作った家庭環境の中で、その親が育ててるんだから、親に似た人間が出来上がってる確率が高いは、当然の事にて。また、結婚してもいいかな、と思える男性が出来た時には、必ずその男性の家には足を運びなさい。その男性の父親が母親を、どの様に扱っているかをじっくりと確かめて来なさい。結婚後(将来)のあなたの姿(状況)が、その男性の母親を通して見て取れるかもよ』と、その様に助言をしてる。この話には当然の事ながら、例外(親を反面教師として成長)も沢山あるけどね」「そんなに親に似る確率は高いですか」とその男性が返してきたので「悪いところも、良いところもね。長年の間、数多の親子を眺めてきて、子供の頃は親の諸行を批判していたのに、親の歳になってみると、親と同じ事をしている子供は結構に多いかな。人間は見てきたもの、聞いてきたものが、知らず知らずに身に付いているからね。そうならん(家庭不和、夫婦不和)為の教訓が沢山、この話の中には入っているから、じっくりと読み取ってごらん」と。


《例題 2》

この知人男性に「ある雑誌でこんな話が目に入ってきた。ある小学生の男の子が作文で『祖父母の注意を全く聞こうとしないお父さんが、親の言う事を聞け、と僕に言う。人を誹謗中傷するな、人には優しくしろ、と言うお父さんが、お母さんを聞く耳痛い言葉で怒鳴りつけ、思いやりもなく罵る。ご飯を食べる時は行儀良くしろ、と言うお父さんが、食卓に肘をついて、立膝ついてご飯を食べている。テレビを見ながら、お前はこんな大人にはなるなよ、と僕に言うお父さん。お父さん、あなたはそんな大人をいつ卒業するんですか』と。また、ある雑誌にはこんな話が掲載されていた。夏休みの課題(工作)で小学生男子が、ダンボールを使って、何やらテーブルの様な物を作っていた。この子の両親が『何を作ってるの』と尋ねたら『お父さんとお母さんが歳をとった時、廊下でご飯を食べる為のテーブルだよ』と。この言葉に両親は、思わず絶句した。君のご察しの通りだよ。その時、この夫婦は、汚いからと老いた父親に対し、その様な仕打ちをしてたそうだ」と。


続けて拙僧「この話(例題2)は、拙僧が中学生の時代、つまり平均寿命がまだ60歳代の約50年程前に目にしたもの。当時の60歳代は、現在の60代と違い、当に『ザ、老人』だった時代ですもんね」と。対し、この知人男性が「50年も前の話だと、現在とでは親子関係にもかなりの違いがあるんじゃないですか」「人間は、朝起きて、飯食って、大小便して、昼間働き、夕刻に帰宅したら、風呂に入って、飯と酒を食らって、寝る。原始時代から殆ど変わってない。変わってきたは、使う道具だけ。親子関係、夫婦関係に限らず、人間関係は然程変わってないと思うよ。人間は自分の欲を基軸に生きてるからね。この話にも、教訓がわんさか入ってる。じっくり読み取りなっせ」と、この知人男性に。


最後に拙僧、この30代知人男性に「世界地図を見ると、イギリスの上に、アイスランドという国があってね。その国のピースウォールには、嘗てのベルリンの壁の様な物がある。その壁(北アイルランドとベルファストの街を分断する壁)がある近郊住民が『この壁があるから平和が保たれ、安心して生活が出来ている』と。過去の歴史(北アイルランド紛争、詳細はググって下さい)を今も尚、子孫達が背負っているとの事。人間関係というは、難しいもの。如何に親しき間でも、それなりに踏み越えてはいけない壁、踏み込んではいけない領域、というものがある。押し付け合うより、分かち合うが円満の秘訣かな」「親しき中にも礼儀あり、という事ですかね」「御意」と拙僧。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は10月20日になります。添付写真は、法話中の北アイルランドの壁。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 政治家の仕事はバランスを取る事。どちらかが上がれば、どちらかは下がる。全員が納得する様な政策などはない。

2024-10-08 17:16:50 | 法話

【10月10日投稿分】

                                                           

読者の若者(10代男性、社会人)が「SNSの中で、自民党総裁選の真っ只中『誰が選ばれると思いますか』の問い掛けに、住職は『石破さんじゃないですか』と答えて、方々から『何でや、どうしてや、あんな信用出来ん人間を』と散々文句を言われてましたけど、何故、石破さんが選ばれると、そう思ったんですか、住職は」と問い掛けが。


対し、拙僧「誰になると思いますか、と問われたから、そう答えただけなんだけどな。石破さんを推しているとは、一言も言ってないんだけどな。結構『アンチ石破』さん達から反論がきたよね。『そんなに嫌われてるんだ、石破さんは』と、ほんと、驚いたよ。その辺は、まあ、いいんだけどね。自民党の総裁は、拙僧は、石破さんを本命に、高市さんか、林さんになるのかな、と予想していたけどね。そう思ったは、ちょっと話は逸れるけど、選挙の時、定期的に次の様な問い掛けを受ける事があるんだよ。『2世議員が出馬する事に、文句を付けるつもりはないんですが、親の地盤まで受け継ぐは、どう考えても不公平だと思いませんか。これから政界に打って出ようとする優秀な人間(才能ある者)を、潰す事になりかねないでしょ。親の地盤以外の場所から出馬せよ、と党がその様に規定すれば済む事ですもんね。そう思いませんか、住職は』という声が。拙僧の周りでは結構、こういう意見を持ってる人が多いんだよね」「私もそう思います」と、この読者の若者も。


続けて、拙僧「確かにそうした意見は、至極真っ当な意見だとは思うが、そう簡単な話ではないかもしれないよ。代議士を選ぶのは、地元を愛している、地元を活性化してほしい、と願う地元有権者の人達でしょ。人間は大なり小なり『自分にとって都合が良いか、悪いか。自分にとって利潤があるか、ないか』で、その是非を判断するからね。『当選後は即、力を発揮してもらわにゃ困る。我々は今現在の生活(おまんま)が大変なんだ』と思っている人達が、有権者さん達にて。『この人は初出馬(政治経験なし)だが、有能な、優秀な人材だから、長い目で育ててやってください』なんて事を言われてもくさ、『そんな悠長な事を言ってる暇はない。同じ初出馬なら、代議士の2世の方が、学力が、能力が、優秀であろうがなかろうが、蛙の子は蛙、少なくとも親の仕事(背中)を長年、身近で見てきた分だけ、政治手腕(実践)に期待が出来る』と、特に地元有力者さん達(有権者)がそう思うは、至極当然の流れにて。つまり『門前の小僧、習わぬ経を読む』という事だね。


更に続けて拙僧「確かに、君の言う様に不公平だと思うよ。が、その不公平をブチ破って、2世を蹴散らしてこそ、じゃないかな。が、2世を蹴散らして議席を勝ち取った人間も、何期か当選したら、将来は、自分にも2世というものが出来るんだけどね。この地盤問題は、政治家だけの問題ではない。地元有権者の欲も絡んでくるから、そう簡単に片付く問題ではないと思うよ。地盤を受け継いだ田中真紀子さんの例を出したら悪いが、2012年、68歳の時、田中王国と言われた新潟5区から出馬して、落選されたでしょ。親の威光があっても、大臣にまで上り詰めた人でも、落選する時は、落選する。落選の陰に何があったかは、知らないけどね。理想は、確かに一律公平だけど、その公平の土壌が確立されてない以上、ぐだぐだ文句言っても始まらん。その状況下で戦うしかない。因みに、嘗て、郵政民営化を争点に小泉純一郎元総理が、小泉チルドレンを各地の地盤に落下傘部隊として投入。83人もの新人を当選させたが、現在はその大半が姿を消したと。そう考えるとね、地元に根付くというは、そう簡単な話ではないのかな、と思うよ」と。


すると、この若者が「なるほど、そういう事か、住職が『総裁は、石破さんかな』と思った理由は。つまり消去法、それ(即戦力)だったんですね」と。対し拙僧「国内政治だけなら、どこの党がトップに立っても、誰が自民党総裁(総理)になっても、ある程度は無難に熟すだろうけど、こと、外交ばっかりは」と返すと「そうか、問題は外交ですもんね。総理になった途端、海千山千の諸国元首と対峙する事に。そう考えたら人選が、絞られるといえば、絞られますよね。だけど、石破さん、なんやらかんやらで、今、クソ味噌に叩かれてますね。聞こえてくるは、嫌味ばっかりで、聞いていてヘキヘキする。まだ、始まったばっかりだっていうのに。まるで、文句言いの人達は、日本が悪い方に向かうのを、望んでいるかの様な物言いだもんね。子供達もその様子を見てるっちゅうねん。仮に失敗したとて、日本が潰れる訳じゃあるまいし。現に、これまで誰が総理になっても、この国は潰れてないし。ほんと、しばらくの間は、黙って見とれや、と思いますよね」と。


最後に拙僧、この読者の10代若者(男性、社会人)に「歴史を見ても、もし、もう少し早く生まれていたならば、もし、信長公、秀吉公、家康公がこの世に存在していなかったならば、天下を狙えただろう武将は、何人もいただろ。また、もし、もう少し都(京都)に近い所に領土があったならば、上杉謙信公、武田信玄公は、天下人になれたやもしれん。が、この『もし』と言われるものは、残念ながら、この天下人と言われた人達以外の諸公には、与えてもらえなかった『もし』だもんね。秀吉公が『天下人は、天が決める』と言われたとか、言われなかったとか、これは、とても意味深い言葉だと思うよ。天下人には手が届かなかったものの、力ある諸大名は皆、自分の持ち場、持ち場で、それなりの成果を上げ、後世に名を残しておられるがな」と。それに対し、この若者が「という事は、この度は、石破さんに白羽の矢が立った、という事なんですね」「と、思うよ。ただ、歴史の中では『豊臣家を滅ぼす為だけに、この世に出てきた』とか『天は時折、それに相応しくない人物に、天下の流れを委ねる事がある』とか、酷い言葉を投げられた小早川秀秋公(関ヶ原で裏切り)の例も。そう言われない様に、頑張らないといけないよね、石破さんは」と。


続けて拙僧「文句を言っても、どうにもならん社会の仕組みに、文句を言ってもどうにもならん。自分に与えられた環境を、どう活かすかを考えた方がいい。関ヶ原の後、120万石から30万石に減らされた上杉家を、家老の直江兼続公は、家来の給料を一律3分の1に減らし、誰1人リストラせず、家臣(武士)に百姓をさせ、60万石まで石高を増やしたは有名な話。この時の兼続公の政策を、江戸時代中期ごろ、上杉家中興の祖と言われた上杉鷹山公がそれを手本にして、上杉家を立て直したとの事。この時、鷹山公が言われた『為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり』は、あまりにも有名な言葉。世の中を自分の思い通りに作り上げたい、と思うのなら、2世がどうのこうの、地盤がどうのこうの、と妬む前に、自分がやれる事を精一杯やって、頭(トップ)を取るしかない。拙僧が若い頃にね、父(先代)から1度だけ、こんな言葉を言われた事があったんだよ。『茶の道具、あるならあるで、茶を立てよ。ないならないで、茶を立てよ』とね」「どういう意味ですか」「ここまでの拙僧との会話から、意味は自分で考えな」と。


更に続けて拙僧、この読者若者に「大正2年生まれで、多くの奉公人さんを雇っていた海沿いの、大きな庄屋の娘であった女性は、4歳の時に両親を海難事故で1度に亡くし、その歳で丁稚奉公に。その12年後、奉公先の家の息子(拙僧の爺様)と結婚を。第二次世界大戦時に満州に渡り、5人の子供を育てあげ、帰国後は、夫(拙僧の爺様)が起業した会社と、息子(拙僧の父)が住職で座るお寺をを支えた。60歳の時、長年の無理が祟って脳内出血で倒れ、左半身が不随に。医師から『2度と左半身は動かん』と言われながらも、懸命にリハビリ(わが寺の本堂を這って、お百度参り)を繰り返し、何とか歩けるまでに回復を。その後は、身体不自由な状態でお寺の炊事(法要での檀家の接待)を、他界する82の歳まで勤め上げた。これは、母親なき拙僧を育ててくれた婆様の話にて」と。


続けて拙僧「この婆様には拙僧、幼い頃から事あるごとに『博(拙僧)ちゃん、文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとるんだよ。建設的な意見を持たない、自分から動こうとはしない、ただの文句言いの文句は、雑音でしかない。特殊技能を必要とする仕事以外は、人が出来ている仕事は、必ず自分にも出来る。そこには上手、下手があるだけ。その上手、下手も、時間と周囲の支えが解決してくれる。将来、親になったら、これは覚えときな。躾(しつけ)はするものじゃないよ、躾(しつけ)は見せるものだよ。親は、まず動け、だよ』と度々拙僧に。波乱万丈の人生を歩んできた婆様の言葉だったから、拙僧にとっては、何よりも説得力があった。今日、君と会話した内容は、政界だけの話じゃない。どの分野の仕事(生き方)にも当てはまるもの。だけどくさ、君がこんな質問をぶつけてくれたお陰で、10日前に石破さんの話を書いた時の様に『石破バッシング』がまた、わっさわっさ、と拙僧のところに、やってくるんだろうな。が、しかし、バッシングする人が多いという事は、期待してる人もそれなりに、おらっしゃるという事、かもね」と。


【付録】

拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、10月15日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 今日の法話は、親の遺骨を散骨した初老男性の話を一席。

2024-10-04 07:32:50 | 法話

【10月5日投稿分】


今から10年程前、拙僧がSNS に法話の投稿を始めて間もなしの頃、だったですかね。その法話を読まれたという初老の男性が匿名で「親の遺骨を海水浴場にばら撒いたが、それがどうした」と長々文句の電話を掛けてこられまして。対し拙僧、その初老男性に「身分を明らかにせず、陰口を叩くは、SNS の中だけにされたらどないですか。電話までしてきて、文句を言うなら、どこの、何の、誰がしを名乗って、面と向かって話をされたらどげんですか。小学生の頃『意見のある人は手を挙げて、名乗ってから発言をしてください』と先生から教わりませんでしたか。連絡をくれたら待っておりますので、どうぞ、お寺(北九州市)の方へ、お越しください」と。


1週間後、その男性が事前連絡もなく、突然お寺へ。拙僧は1年365日、外出布教がない日は1日もないので、ほんと、こういう訪問は非常に困るんですよね。その日、偶々偶然居合わせたは、この初老男性との縁があったんでしょうな。お寺へ来るや否や、電話での文句と同じ内容を捲し立てて拙僧に。文句の内容を掻い摘んで言いますと『親らしい事を何もやっていない親を、葬式もせず、火葬場で遺骨にして、海水浴場に捨てたのが、何が悪い』という自分の正当性を延々と。その間、拙僧は一言も返さず、黙ってその話を。その状況を『糠に釘』とでも思われたのか「もう、ええわい」と舌打ちをして帰ろうとしたので、拙僧「ちょっと、待ちんさいや。3時間も、4時間も、拙僧を拘束しておいて、言いたい放題言って、どこかスッキリした様な顔をしてくさ、お布施の1つも置いて帰らんのかいな」と投げ掛けると、口元を捻じ曲げて「幾ら置いていけばいいんだ」と返されたので「1000円」と答えると、気の抜けた声で「おっ、おう、1000円やな、ほら」とテーブルに裸銭を、トン、と音を立てて置き、初老の男性は下山して行かれました。


その1週間後、また、その初老男性が連絡もよこさず、お寺へ。その日も偶々、拙僧はお寺に。この初老の男性には、会わなきゃならん縁があるんでしょうかね。その日の男性は、以前とは打って変わって、礼儀正しい姿勢で拙僧に話を。「この前の話ですが、住職、私自身の事情(感情)だけで、父親の葬儀もせず、遺骨を海水浴場に投げ捨てたんです。実は、この話は2年前の事だったのですが、それより後、子供達から距離を置かれる様になり『俺の気持ちなど、わからんくせに』とイラついていたところに、住職の『散骨とは、名ばかり。聞こえはいいですが、あれは海に捨ててるんでっせ』の法話に縁があって、気持ちをぶつけるところがなかったので、つい、住職に噛み付いたという次第でして」と。


続けて、その初老男性が「ほんと、申し訳ありませんでした。住職に噛み付いていた数時間の間、住職が黙って聞いてくれていた事で、途中で何度も『父親にもそれなりの事情があったは、知ってただろ。遺骨を人が踏み付ける海水浴場にばら撒くは、あまりにも可哀想だという事を、お前もわかっていたはずだ』と、自分自身の心に言い聞かせる瞬間が、何度も、何度もありました。住職のところから帰って1週間、ずっとその事で自分なりに反省をしておりました。しかし、現在も尚、子供達からは、一定の距離を置かれている状態でして。非常識な事をやったんだから、仕方がないですが。これが、非常に辛くて、ですね。何か、子供達との間を改善する手立てはないでしょうか」と。


対し、拙僧「あなたの父親とあなたの関係は、子供達には知らない世界の話ですもんね。子供達にとっては『大好きな爺ちゃんに、こんな仕打ちをした』という事実だけが残っているだけで。投げ捨ててしまった遺骨を今更、拾い集めるは到底無理な話ですが、投げ捨てたピンポイントの場所(海辺)の砂をひと摘み、喉仏を入れる小さな骨壷に入れて、納骨堂か、お墓に納めてみては如何ですか。菩提寺(先祖を供養しているお寺、自分達の葬儀をしてくれるお寺)は、ありますか」と問うと、初老男性が「はい、あります。父の時は不義理を致しましたが」「そこのご住職にその一連の話をして、改めて葬儀(密葬)をして頂き、お父さんの戒名を授けてもらって下さい。参列は家族と親しい親族、お父さんと所縁(ゆかり)の深い友人、知人だけでいいですから。今、あなたに出来る事は、これだけです。これで、子供達の心がどう変わるかは、子供達次第ですけどね」「わかりました。本当は気になっていた事(父親の葬式、供養)なので、そうしてみます」と、初老の男性が。


1ヶ月後、その初老男性、今度は連絡をよこしてから、お寺に。そして拙僧に「有難うございました。無事に父の葬儀(密葬)と納骨(拾ってきた浜辺の砂)が終わりました。浜辺の砂(遺骨の代わり)については、住職(拙僧)に教えてもらった通り、菩提寺のご住職さんにその事を説明し、骨壷の中にある遺骨が砂である事の訳を、わが家の過去帳に記載してもらいました。これで、後世の子孫も『何故、骨壷に砂』の理由が納得出来ると思います。一連の流れ(私達親子が不和になった経緯も含)を話した事で、子供達との距離も随分縮まりました。考えてみたら、住職(拙僧)に文句を言いに行った事が、この様な縁に繋がるとは、ほんと、縁というは有り難く、不思議なもんですね。本当はあの時、住職(拙僧)に文句を言いに行こうか、行くまいか、迷ったんですけどね。どう考えても、ただの八つ当たりですから。が、言いに行った事が、今となっては正解となりました。『虫の声』とは、こういう事を言うんでしょうかね。本当に、有難うございました」と、この初老の男性が。


このご縁により10年近く、この世に存命の間は、この初老男性、遠方からわざわざ定期的(年2回程)にわが寺へ、足を運んで来られました。拙僧と意味のない馬鹿話をする為だけに。縁というは、ほんと、異なもの味なもの、ですよね。人間は、時が流れ、知識、知恵、経験が増していけば、自ずと考え方も変わってきます。10年経てば、人は変わる。拙僧の法話を読んだ人達が、年間に何人かですが「親の遺骨を散骨(海に捨てる)にした事を今、非常に後悔しています」といった連絡も、時折入ってきます。


余談ですが、この手の話(散骨)は何度かSNSで投稿させて頂きましたが、その度に必ず数人ですが「私も親の遺骨を海に散骨したが、後悔など全くしてない。皆が皆、後悔してると勝手に決め付けるな」と的外れな明後日の方角から噛み付いてくる人達が。この法話のどこをどう読んだら、そんな風な理解になるのか。「親の遺骨を海に散骨して、後悔されている人がおられる様ですから、散骨を考えられている人がおられましたら、この話を参考にしてください」と只々そう書いているだけで「あなたの事を言ってる(否定)訳ではないですがな」という話にて。自分のスマホ画面の中に表示される言葉だから、自分が言われている様に、そう勘違いしてしまうのかな。それとも『親を粗末に扱ってきた』という身に覚えがあるから、自分が指摘されてる様で腹が立つのかな。まあ、でも、何にしても、腹が立つという事は、その是非はともかく、今1度それを振り返ってみる機会にはなりますわな。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、10月10日になります。添付写真は、わが寺の阿弥陀三尊と閻魔大王。