今日は先日安乗で集まった仲間から、お礼の手紙を頂きました。
私の撮った写真を幹事をしてくださった方から、会計報告と共に送ってくれた
ことに対しての礼状でした。何かすごく丁寧でさすが我ら世代だなあといたくあり
がたく思いました。
この間も、おけいはんから長野旅行の際に旅先から絵葉書を頂き、うれしい
気分を覚えたところでした。旅には絵葉書が付き物だったころは、よく書いて出
したものです。
最近はつい通信手段として手っ取り早く電話で済ませることが多く、手紙を書く
ことが少なくなりました。今はとくに携帯メールだったりパソコンメールと、すぐに
相手に通じることから、わたしもこれらの利用が多い日常です。
「 手紙」は電話やメールにない温かみ、情緒が伝わります。以前はかなり昔
になりますが、便箋4、5枚はざらに書きました。封筒も結構手作りして(きれい
な包装紙の上に和紙を重ねた)出したものです。
洒落た便箋を使用して、ほとんど縦書きでした。私は縦書きが好きです。
時候の挨拶に始まり、起、承、転、結を考えて書いたものです。
おけいはんも今日の友達もみなさん縦書きでした。
ところが最近の私の手紙は、はがきも横書き、便箋すら横書き用を買ってきて
レポートを書くように書いてしまうのです。内容も必要なことだけと、味もそっけ
もないほどです。わたしの友達のNさんは手紙をしっかり書く人で、
「昨夜は何通も書いたわ。」と言っています。
先日借りた本「散るぞ悲しき」 栗林中将の硫黄島からの家族への手紙
には戦場での様子、家族への思いなど細やかに愛情深く書かれていました。
「手紙」しか通信手段のなかった時代にすばらしい文化が創られたようにも
思われます。