昨日まで東日本大震災での死者約12000人、不明者15000人余と言う
中、不明者の捜索や瓦礫の除去など自衛隊や米軍、海上保安庁等必死で行
なわれています。これらの地区の小学校・中学校・幼稚園では卒業式もままな
らぬ状態でしたが、やっとそれぞれの地区で行なわれました。
中には体育館など被災者の避難所となっていて、その場を片付けての会場
作りからでした。多くの友を失い生徒児童らは悲しみを抱いての卒業式でした。
子供達は「医者になって役に立つ人間に」「父の後をついで漁師に」「学校
の先生としてこの地に」など、未来の抱負を語っていました。
まだあどけない幼稚園児も式の間中涙をぬぐうことなく、こちらも涙を誘わ
れました。幼稚園児といえばまだ6歳、初めての苦難があまりにも大きく、
この子たちの未来をどのようにして希望を持たせるのか、国が、地域がしっ
かりと支えていかなければならないです。
私には戦後の思い出がありますが、私自身は二人の兄の戦死は悲しい
でしたが父母も姉もいました。家もありました。しかし東京や大都会では戦禍で
家も家族も失い路頭に迷う子供達(戦災孤児)が多くいたのです。
食べるものも与えられず、「もく拾い」(タバコの吸殻)「ガード下での靴磨き」
などしていたのでした。
多分わたし達世代でしょう。しかしあれから60余年たくましく生きてきました。
東北の子供達も、これからの困難にめげずに、強くたくましく生きて欲し
いと願うばかりです。