2011年3月21日(月・春分の日)
このところ、あちこちで 「ひとこと言いたい」事件があって大変。
大地震津波や福島原発の事故だけでも書ききれないのに、昨日はリビア・カダフィ政権に対する有志軍(イギリス・フランス・アメリカなど)による空からの攻撃が行われた。
チュニジアやエジプトの民衆革命に刺激を受けて立ち上がったリビアの市民が、カダフィ政権の反撃により窮地に立っている。
このまま推移するとボスニアやソマリアなどのような政府軍による自国民の大虐殺が起こると懸念されていた。
エジプト国軍がムバラクを見限り反政府派を支持したのに対し、リビアではカダフィを支持する一定範囲の民衆と、私兵集団がカダフィを護り、空軍なども反政府派を攻撃し続けている。
詳細を書く余裕はないが、こういう力関係が民衆革命を膠着状態に陥れ、革命が挫折しかけない状態になっているようだ。
今回の有志軍によるカダフィ軍への攻撃は、民衆革命を支持することになり、「民族自決権」に基づく革命と反革命の、一方の側に外国が関与する結果となる。
ここで、悩ましいのは 「民族自決権」 である。
カダフィ退陣を求める民衆運動を起こしたのがリビアの国民であるとすれば、カダフィの『革命』をこれまで暗に支持してきたのもリビア人である。
「民族自決権」の原則では、政権を選ぶのも棄てるのもその国民の意思であり、革命を起こすのも挫折するのもその国民の責任である。
外国が軍事介入するのは、この「民族自決権」を侵害することになるという考えもある。
(カダフィが外国人傭兵を使っているという問題も考慮する必要がある。
カダフィ政権自身が「民族自決権」を放棄していると見ることもできる。)
マルクスもレーニンも「革命は輸出できない」と言ったと思う。
今回の軍事介入に関しても、英紙ガーディアンは
「革命は外部からの支援を必要とせず、各国で自身の原動力を生み出す」
と述べて軍事介入の危険性を指摘した(赤旗3/21付け引用)
この軍事介入は国連安保理決議1973号に基づくものであるが、推進したのは英仏などの諸国であり、米国はこれに追随したようである。
欧州諸国といってもドイツは「軍事介入は民間人の犠牲を伴う」と反対。
もっとも、ドイツ国民の軍事介入反対の声が高いことから、近々行われる地方選挙をおもんばかった決定であるという報道もある。
一方で、イタリアでは傾きかけた政権への支持を回復させるために軍事介入を行うという報道もある。
中南米諸国は、ほとんどが軍事介入と言う手段には反対している。
チャベス・ベネズエラ大統領は、「(欧米諸国は)リビアの石油が欲しいだけで、国民の命など気にしていない」(赤旗3/21付け引用)と軍事介入を冷たく突き放している。
アフリカ連合も欧米諸国による軍事介入には反対。
中国・ロシアも反対している。
「民族自決権」を尊重して、カダフィによる自国民虐殺も民衆革命のこのたびの挫折も「民族自決権」のあり方として認めるのか?
民衆革命の立場に立ち「民族自決権」を侵害しても軍事介入するべきなのか?
難しい選択である。
長い歴史では、ギリシャ時代の暴君ネロも秦の始皇帝も織田信長も自国民によって打倒されて来た訳であり、外国軍によって取り除かれた訳ではない。
いかなる暴君も、自国民の力によって(その場合に無血クーデターも血の革命も有り得る)打倒されてきたのである。
もっとも第一次世界大戦以来、ハプスブルグ家もヒトラーも外国との戦争が失脚の原因となったし、清朝も大日本帝国も戦争によって滅亡したという歴史もある。
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