お兄ちゃんのことを書いた21日の夜
いろんな記憶が一度に押し寄せ
神経の高ぶりと 逆にものすごい脱力感が交互に来て
そのうち動悸、頭痛、目眩が始まりました。
ああ、お兄ちゃんが私を連れに来たのかな、って思いました。
でも それは困る 絶対に困る。
私はこれからあなたの分まで生きて 皆に元気を配らなきゃいけない。
だから まだ迎えに来ないで。
って 何度も唱えて 気付いたら朝になってました。
我が家はお兄ちゃんがいなくなっても
形的には以前と変わらない生活が続いています。
だからつい私は 今でもお兄ちゃんが茨城に住んでいて
電話をすれば 「はい」 っていう あの声が聞けるような気がしてる。
未だに実感があまりないんです。
だけど お仏壇のある部屋に行くと そこにはお兄ちゃんの位牌があって
ああ そうか お兄ちゃん もういないんだ・・・
って 相変わらずそんな毎日を過ごしています。
ここ数日 Mちゃんから涙の電話が続いています。
やっぱり寂しくて寂しくてどうしようもないって・・・・
お兄ちゃんと彼女は部署は違うけど同じ会社で働いてた。
だから会社にもお兄ちゃんの思い出があり
家にはもっと思い出があり
どこで何をしていても 常にお兄ちゃんのことを思い出し
苦しい毎日を過ごしているんだと思います。
これは時間で癒されるものなんだろうか。
私は彼女に何をしてあげればいいのか・・・
ただ話を聞いて 一緒に泣くことしかできない。
それがもどかしくて辛いです。
ごめんなさい。
本当は小さなHappyを見つけて記事にしたかったのですが
結局 またこんな内容になっちゃいました。
でも こうやって文字にして綴ることで
絡まった自分の感情や 今の自分の立ち位置が見えてくることがある。
そしてその中から次にやるべきことを 一つ一つ見つけて
結果的に 少しずつでも前に進めてるって実感できたりするんです。
私は一人さめざめと耐える女ではありません。
皆に助けを乞い いっぱい元気をもらって そのパワーで生きられる女です。
今までずっとそうしてきました。
だからこれからもここでたくさん弱音を吐きます。
そして充電できたエネルギーを Mちゃんにあげたい。
MちゃんとKちゃん、 私の大切な家族。
あの日までは 生きている事が幸せだと感じてたのに
一瞬で人の日常って変わってしまうものなのですね。
生きること、生きていくことって こんなに辛くて厳しいものだったんだ。
でも私は生きている。
生かされている。
明日はまたやってくる。
皆さんのコメントは一つ一つが心に染みわたるものであり
本当に感謝しています。
これこそが今の私にとって支えであり、〝しあわせ″ なのだと思っています。
お返事はゆっくりですが必ず書かせていただきます。