気付けばもう3月・・・
春ですね。
*
先々週、お義母さんが天国に旅立ちました。
91歳のお誕生日を先月迎えたお義母さん。
亡くなる数日前から身体の痛みを訴え、
自分で寝返りができないので、少しでも痛みを軽減できるよう、
お義母さんと位置を確認しながら向きを変えていました。
私の寝室は2階なので、枕元にワイヤレスコールを置いて呼んでもらっていました。
2時間くらいもつ時もあれば、30分もたない時もありました。
一緒に寝た方がいいかもなぁ、と思いながら朝を迎えたあの日、
痛みが強いようだったので、訪問看護師さんに連絡をして
座薬の痛み止めを先生に頼んでくださいと伝えました。
今、近くにいるから30分くらいしたら行くねという返事。
お昼過ぎくらいに看護師さんが来てくれ、いつもの測定。
この時は看護師さんの問い掛けにしっかり答えていたお義母さん。
しかし、最高血圧は60、SPO2は測定不能でした。
いつもと違うお義母さんの様子にうろたえる私に
「このまま低空飛行で数日大丈夫な人もいるから様子を見ましょ。先生には私から連絡するから。
他の患者さん回って、また夕方に寄るからね」
そう言って看護師さんは帰って行きました。
それから私はずっとお義母さんの側にいて
手をさすりながら「お母さん!お母さん!」と呼び続けました。
「痛いところない?大丈夫?」
「どこか苦しい?お母さん!私、ここに居るからね!」
ずっとずっと手をさすって話し掛けました。
お義母さんはもう何も答えなかったけれど
しっかり目を見開いて、呼吸もしていました。
「お母さん!今までいっぱいありがとうね!」
「よく頑張ったね!お母さん、よく頑張ったよ!」
「お母さん、ありがとうね、本当にありがとう!」
とにかくずっと話し掛けました。
その時、お義母さんの目から涙がこぼれました。
あ、聞いてくれてる!と思った私は
大きい声でお母さん!お母さん!と何度も何度も呼びました。
そして、
お義母さんは目をギューッと強く瞑り、
その後、呼吸をしなくなりました。
それから少し経って先生が家に到着しました。
私が様子を説明し、その後、先生から臨終の言葉がありました。
*
しばらく時間が経ってからの葬儀となりましたが
今、やっと落ち着いた時間を過ごしています。
あの日、看護師さんが帰ってから先生が来るまでの時間、
多分、30~40分間だと思うのですが、
あの時間は私にとって特別な時間でした。
私とお義母さんだけの尊い時間でした。
お義母さんが自分で食事ができなくなってから数週間、
私が朝、昼、晩とお義母さんに食事を食べさせてあげていました。
それもまた私にとっては特別な時間でした。
いろんな話をしました。
病院じゃなく、家にずっと居たい、というお義母さんに
「大丈夫だよ、私もパパもそう思ってるから。安心して。」
「皆に良くしてもらって私は幸せだよ。でももしジュリアさんが大変だったら私、病院に行くからね、
その時は正直に言ってくれていいからね。」
「大丈夫、大丈夫、今まで私、お義母さんにいっぱい助けてもらったでしょ?
病気になったときも骨折したときもいっぱい助けてくれたでしょ?
今、私、その恩返ししてるんだから、恩返しできて嬉しいんだから」
お義母さんは私の母のことも気に掛けてくれていました。
「信子ちゃん(私の母の名前)もここに来れたらいいのにね。
一緒に並んでここに居れたらいいのにね」
「ハハハ、お義母さん、二人ここに?それはちょっと大変かも~~」
*
亡くなる四日前、MちゃんとLINEビデオを使って話をしたお義母さん。
Mちゃんが
「おばあちゃ~ん!大丈夫?」
「大丈夫だよ、MちゃんもKちゃんも風邪引かないようにね」
「おばあちゃん、お彼岸にアイスもって行くからね」
「アイス、いいね~ 一番いいね~」
お義母さんは最後の最後までアイスを欲しがりました。
もうほとんど食べられなくなってからもアイスだけは食べました。
夜中に食べた時もありました。
亡くなる日の朝、お義母さんが口にしたのは
ハーゲンダッツのストロベリー味・・・
スプーンに一口だけだったけど美味しそうに食べてました。
お彼岸にMちゃんが持ってくるはずだったアイスを
食べることなく逝ってしまったお義母さん。
*
私は一つの後悔もありません。
私ができることは全てやりました。
先生から終末期という言葉を聞いてから
とにかく最後までお義母さんに寄り添う覚悟はできていました。
だから、私がリウマチの病院に行ってる間とか、買い物に行ってる間じゃなくて、
ちゃんと私が家に居る時に最期の時を迎えたお義母さんに感謝しかありません。
もし、そうでなかったら、私はお義母さんに申し訳なくて
悔やんでも悔やみきれなかったと思うから・・・
お義母さん、本当に最後までありがとう。
*
お義母さんの遺影の写真、すごくいいんです。
昨年、90歳のお誕生日 の時に撮った写真です。
遺影にはケーキは写ってませんが本当にニココニ笑顔のお義母さん。
葬儀の時も親戚の人から あら、いい写真ねぇ~と言われ、
ちょっと嬉しくなりました。
おはよう! 買い物行ってくるね! ただいま~! おやすみなさい!
お義母さんの部屋に行くと、お義母さんがいつもニコニコしながら迎えてくれます。
こちらもつい笑顔になっちゃう写真です。
それから、菩提寺のご住職にパパと二人で葬儀のお願いに行ったとき、
お義母さんの為人をほぼ1時間、私が一人で喋り、
それを元にご住職が御戒名を付けてくださいました。
その御戒名がとっても素敵で、お義母さんにピッタリですごく感動しています。
名前の一文字「春」は私が一番好きな季節です。
綺麗好きで我慢強くておひさまみたいに明るくて。
本当にお義母さんそのものの御戒名です。
お義母さんはこれから新しい名前であちらで暮らすんだなぁ。
修行、頑張ってくださいね。
お義父さん、長男、お義母さん
この10年余りの間に三人の家族を失いました。
でも息子の時とは全然違います。(というか、あの時の記憶があまりありません)
両親を看取るのは子の務めだと思っているから。
二人の父を見送り、お義母さんを見送り、残っているのは母だけになりました。
ああ、母に会いたい。
お義母さんのお世話をしながらいつも母のことが頭にありました。
葬儀も終わったし、飛んでいきたいけれど
コロナウィルスのせいで、今、面会ができない状態です。
早く終息してほしい。
そしたら、すぐに顔を見に行くからね。
*
あ~~~なんだか だらだらと長く書いてしまいました。
でも、書くことで、今、自分の気持ちを整理しているところです。
なんか力が抜けちゃって ずーっと頭がボーッとしている感じです。
まだ諸々の手続きや御位牌のことや お礼状を書いたり、家に来てくださる方もいたり、と
なんだかんだあるのですが、ほぼ以前の生活に戻っています。
この半月ほどの間、パパといろんな話をしました。
葬儀の在り方とか、自分たちの終活とか。
しかし、それを書いていると永遠に続きそうなので
一旦ここで止めることにします。
心配してくださった方々、ありがとうございます。
私は元気です。
これからもまたよろしくお願いします。