余りに歩いていないので、昨日はパパと武蔵丘陵森林公園へ。
大好きな場所です。
アスファルトじゃない道を歩くのは久しぶり。
サクサク音を立てながら一歩一歩前へ。
マスクを外して深呼吸。
なんて気持ちいいんだ!
カタクリ、キバナセツブンソウ、オキナグサ・・
スプリングエフェメラルたちも春の日差しの中、輝いていましたよ。
余りに歩いていないので、昨日はパパと武蔵丘陵森林公園へ。
大好きな場所です。
アスファルトじゃない道を歩くのは久しぶり。
サクサク音を立てながら一歩一歩前へ。
マスクを外して深呼吸。
なんて気持ちいいんだ!
カタクリ、キバナセツブンソウ、オキナグサ・・
スプリングエフェメラルたちも春の日差しの中、輝いていましたよ。
昨日はバラの芽かき作業をしました。
養分を分散させないように、そして、
ちょっとでも大きな花が咲いてくれるように。
でも、ハイブリッドティー系が中心です。
房咲きのフロリバンダやシュラブは花数を増やしたいので
よっぽど混み入っていなければそのままに。
日々成長しているのがわかるこの時期。
毎日見回るのが楽しみです。(回るほど広くないけど)
お義母さんの御位牌が出来上がってきました。
今回、お義父さんのと併せて夫婦位牌にしたので
四十九日の時に魂抜と魂入をしていただきます。
先日、二人の金婚式の時の写真を見つけました。
岩槻の料亭でちょっと奮発して、
義弟家族と我が家の10名が集まってお祝いしました。
15年くらい前の事ですが、二人がニコニコしていい写真です。
「おい、ずいぶん待たせたな」
なんてお義父さんが言ってるかな。
これからは2人で仲良く私たちを見守ってくれることでしょう。
昨日、お義母さんがお世話になったヘルパーさんと看護師さんが
お線香をあげにきてくれました。
しかし、この二人は別々の組織にいるためお互いに面識はありません。
先にヘルパーさんが来て、その1時間後くらいに看護師さんが来て
余りの偶然にビックリ仰天でした。
後から来た看護師さんにそのことを話すと
「え~!?本当に?それはもうHさん(お義母さんの名前)が呼んだに違いないわよ!!」と。
・・・きっとお義母さん、お世話になった二人に感謝したかったんだね。
そして、看護師さんと色々話をしていたら、
なんと!
私が今通っている大学病院で、新人の頃ナースをしていたことがわかり、
しかも、私の主治医の元で(消火器外科)手術も何度も立ち会っていたとか・・・!
時期もほぼ一緒なので、私が入院していた時にお世話になっていたかも、
ということがわかり、お互いにまたビックリ仰天したのでした。
もう20年以上も前のことなのに、なんてことでしょう・・・
人ってどこで繋がっているかわかりませんね。
不思議だなぁ~~
今日のシネマ
2020年 日本
東日本大震災から9年が経ちました。
コロナウィルスのせいで人混みに行くのは控えたい昨今ではありますが、
今、観なければ、という強い使命感で劇場へ。
至近の劇場はこの時期、座席を一席飛ばしで販売しています。
ガラガラだと思いきや、私と同じ気持ちの人が集まったとみえて
思ったよりも多い観客数でした。
ジャーナリスト門田隆将氏が、3.11の関係者90人以上に取材して書いた
ノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』が原作。
序盤からの緊張は最後までずっと続きます。
ニュースでしか知り得なかった福島原発の一部始終がわかりました。
”命がけ” という言葉を軽々しく使ってはいけない、
あの時の彼らのためにある言葉だと思いました。
現場に居た方たちに今更ながら「お疲れ様、ありがとう」と言ってあげたい。
また、住み慣れた故郷を後にしなければならなかった避難地域の皆さんの
苦労や不安や無念さも痛いほど伝わりました。
一人でも多くの人に観て、そして知ってもらいたいと強く思ったのは事実ですが
自分の中で整理しきれない思いも多々あります。
それは、この映画の中で、実名で登場するのは渡辺謙さんが演じた吉田所長のみ。
他のキャストは、モデルになった方はいるんでしょうが実名ではありません。
例えば、観た誰もがイライラするであろう現場 対 本店や政府とのやりとり。
当時の首相は菅直人氏でしたから
観ているこっちは菅直人氏に石でもぶつけたくなるくらいな気持ちになってしまうわけです。
でも、これはあくまでも映画です。作品です。
本当にこんなやりとりがあったの? っていう疑問が残ったりするわけです。
その辺のいらだちが、観終わった後、すごく残りました。
これがもし他国の映画なら、全部実名でバンバンやるんでしょうが
日本はねぇ・・忖度?圧力? なかなか難しいでしょうねぇ。
でも、それを抜きにしても、当時を知る上でこの映画は観て良かったと本当に思いました。
コロナが無ければ、きっと沢山の人たちに観てもらえただろうに
それが残念でなりません。
最期、桜のシーンでこの映画は終りますが
原発も、東北も 震災はまだまだ終わっちゃいないのです。
それを映画の中でもっと強く伝えて欲しかった。
せめて作品に寄り添った観客一人一人が
それを胸にしっかりと刻む、それが一番大事なことだと・・・。
オーマイガーッ!!!
お弁当を作ってたら思いっきり卵焼き焦がしました。
消したはずだった火がまだ点いていたって話。
最近、こんなのばっかです。
集中、集中!
先月、こんな だったバラの芽ですが
ひと月ちょっと経ってこんな感じになりました。
早生、晩生とその子によってばらつきはあるものの
順調に育っています。
昨日は第一回目の薬剤散布も兼ねて鉢に生えた雑草取り。
陽の光を浴びると気持ちいいのは
植物ばかりではありませんね。
一昨日、妹から届いた写真です。
山梨百名山、杓子山からの富士山。
ポレポレ隊も 2011年に登りました。
早く私も山の空気吸いたいな。
その前に体力、脚力つけないと。
先日、思いっきりラジオ体操したら翌日筋肉痛になりました。
ラジオ体操で筋肉痛って・・
スーパーで八つ頭を見つけて即買い。
お義母さんが大好きだったので煮てお供えしようと。
でも、煮物はどうやってもお義母さんの味が出せません。
もっとちゃんと習っておけばよかったなぁ。
昨日は町内の友人二人がお義母さんにお線香をあげに来てくれました。
遺影の前で三人でいろんな話をしたので
まるでそこにニコニコ笑顔のお義母さんがいるようでした。
たくさん喋ってお腹が空き
我が家で一緒にお昼ごはんを食べました。
朝から頑張って作った甲斐があって
二人共、美味しい美味しいといっぱい食べてくれて嬉しかったです。
お義母さんのいない日常が、こうやって普通になっていくんだなぁ・・・
昨日、書き足りなかったことを書こうと思います。
お義母さんは生前、お葬式は派手にせずこじんまりがいいな、と言っていました。
なので私たちはその思いを叶えるため、一般葬ではなく、家族葬にしました。
ご近所も、パパや義弟の会社の人も、私の友人もお断りして
本当に身内のみで行いました。(15名ほど)
お義母さんをよく知っている人だけなので
思い出話がいっぱいできるし余計な気を使うこともなく、これは大正解でした。
私の父方の祖母が亡くなった時、
当時は横浜の実家で葬儀をしたのですが、
おばあちゃんが全く知らない会社のお偉いさんたちがわんさか来るし、
お供花の位置で誰が上だとかもめたりしているのを見て
まだ若かった私ですが、なんだかなぁ~とうんざりでした。
いったい誰のための式なんだろう、と。
だから今回、来ている人全員がお母さんの思い出に浸れて
家族葬っていいなぁ、と心の底から思いました。
断捨離もそうだけど、終活について夫婦で話し合うことが多くなりました。
子どもに負担をかけない・・・とにかくこれに尽きます。
それから、お義母さんは卵巣癌でした。
それが分かったのが昨年の11月。
とにかく病院が大嫌いな人だったし、何の症状も無かったので
全く気付きませんでした。
病院が嫌いだったから ”主治医” というのがいなくて
介護サービスを受ける時に必要な診断書を書いてもらえず困りました。
それで、お義父さんがお世話になったケアマネさんに相談し
在宅医療を受けることになったのです。
その時に受けた血液検査で卵巣癌が見つかりました。
ただ、腫瘍マーカーのみの診断なので、詳細はわかりません。
それに病院に入ったところで高齢で手術も無理、ということで
そのまま在宅医療になったのです。
主治医を持つ、ということの大切さも今回、とても感じました。
自分の身体のデータを残すって大切なことですね。
町の健康診断・・・今後はしっかり受けようと思います。
気付けばもう3月・・・
春ですね。
*
先々週、お義母さんが天国に旅立ちました。
91歳のお誕生日を先月迎えたお義母さん。
亡くなる数日前から身体の痛みを訴え、
自分で寝返りができないので、少しでも痛みを軽減できるよう、
お義母さんと位置を確認しながら向きを変えていました。
私の寝室は2階なので、枕元にワイヤレスコールを置いて呼んでもらっていました。
2時間くらいもつ時もあれば、30分もたない時もありました。
一緒に寝た方がいいかもなぁ、と思いながら朝を迎えたあの日、
痛みが強いようだったので、訪問看護師さんに連絡をして
座薬の痛み止めを先生に頼んでくださいと伝えました。
今、近くにいるから30分くらいしたら行くねという返事。
お昼過ぎくらいに看護師さんが来てくれ、いつもの測定。
この時は看護師さんの問い掛けにしっかり答えていたお義母さん。
しかし、最高血圧は60、SPO2は測定不能でした。
いつもと違うお義母さんの様子にうろたえる私に
「このまま低空飛行で数日大丈夫な人もいるから様子を見ましょ。先生には私から連絡するから。
他の患者さん回って、また夕方に寄るからね」
そう言って看護師さんは帰って行きました。
それから私はずっとお義母さんの側にいて
手をさすりながら「お母さん!お母さん!」と呼び続けました。
「痛いところない?大丈夫?」
「どこか苦しい?お母さん!私、ここに居るからね!」
ずっとずっと手をさすって話し掛けました。
お義母さんはもう何も答えなかったけれど
しっかり目を見開いて、呼吸もしていました。
「お母さん!今までいっぱいありがとうね!」
「よく頑張ったね!お母さん、よく頑張ったよ!」
「お母さん、ありがとうね、本当にありがとう!」
とにかくずっと話し掛けました。
その時、お義母さんの目から涙がこぼれました。
あ、聞いてくれてる!と思った私は
大きい声でお母さん!お母さん!と何度も何度も呼びました。
そして、
お義母さんは目をギューッと強く瞑り、
その後、呼吸をしなくなりました。
それから少し経って先生が家に到着しました。
私が様子を説明し、その後、先生から臨終の言葉がありました。
*
しばらく時間が経ってからの葬儀となりましたが
今、やっと落ち着いた時間を過ごしています。
あの日、看護師さんが帰ってから先生が来るまでの時間、
多分、30~40分間だと思うのですが、
あの時間は私にとって特別な時間でした。
私とお義母さんだけの尊い時間でした。
お義母さんが自分で食事ができなくなってから数週間、
私が朝、昼、晩とお義母さんに食事を食べさせてあげていました。
それもまた私にとっては特別な時間でした。
いろんな話をしました。
病院じゃなく、家にずっと居たい、というお義母さんに
「大丈夫だよ、私もパパもそう思ってるから。安心して。」
「皆に良くしてもらって私は幸せだよ。でももしジュリアさんが大変だったら私、病院に行くからね、
その時は正直に言ってくれていいからね。」
「大丈夫、大丈夫、今まで私、お義母さんにいっぱい助けてもらったでしょ?
病気になったときも骨折したときもいっぱい助けてくれたでしょ?
今、私、その恩返ししてるんだから、恩返しできて嬉しいんだから」
お義母さんは私の母のことも気に掛けてくれていました。
「信子ちゃん(私の母の名前)もここに来れたらいいのにね。
一緒に並んでここに居れたらいいのにね」
「ハハハ、お義母さん、二人ここに?それはちょっと大変かも~~」
*
亡くなる四日前、MちゃんとLINEビデオを使って話をしたお義母さん。
Mちゃんが
「おばあちゃ~ん!大丈夫?」
「大丈夫だよ、MちゃんもKちゃんも風邪引かないようにね」
「おばあちゃん、お彼岸にアイスもって行くからね」
「アイス、いいね~ 一番いいね~」
お義母さんは最後の最後までアイスを欲しがりました。
もうほとんど食べられなくなってからもアイスだけは食べました。
夜中に食べた時もありました。
亡くなる日の朝、お義母さんが口にしたのは
ハーゲンダッツのストロベリー味・・・
スプーンに一口だけだったけど美味しそうに食べてました。
お彼岸にMちゃんが持ってくるはずだったアイスを
食べることなく逝ってしまったお義母さん。
*
私は一つの後悔もありません。
私ができることは全てやりました。
先生から終末期という言葉を聞いてから
とにかく最後までお義母さんに寄り添う覚悟はできていました。
だから、私がリウマチの病院に行ってる間とか、買い物に行ってる間じゃなくて、
ちゃんと私が家に居る時に最期の時を迎えたお義母さんに感謝しかありません。
もし、そうでなかったら、私はお義母さんに申し訳なくて
悔やんでも悔やみきれなかったと思うから・・・
お義母さん、本当に最後までありがとう。
*
お義母さんの遺影の写真、すごくいいんです。
昨年、90歳のお誕生日 の時に撮った写真です。
遺影にはケーキは写ってませんが本当にニココニ笑顔のお義母さん。
葬儀の時も親戚の人から あら、いい写真ねぇ~と言われ、
ちょっと嬉しくなりました。
おはよう! 買い物行ってくるね! ただいま~! おやすみなさい!
お義母さんの部屋に行くと、お義母さんがいつもニコニコしながら迎えてくれます。
こちらもつい笑顔になっちゃう写真です。
それから、菩提寺のご住職にパパと二人で葬儀のお願いに行ったとき、
お義母さんの為人をほぼ1時間、私が一人で喋り、
それを元にご住職が御戒名を付けてくださいました。
その御戒名がとっても素敵で、お義母さんにピッタリですごく感動しています。
名前の一文字「春」は私が一番好きな季節です。
綺麗好きで我慢強くておひさまみたいに明るくて。
本当にお義母さんそのものの御戒名です。
お義母さんはこれから新しい名前であちらで暮らすんだなぁ。
修行、頑張ってくださいね。
お義父さん、長男、お義母さん
この10年余りの間に三人の家族を失いました。
でも息子の時とは全然違います。(というか、あの時の記憶があまりありません)
両親を看取るのは子の務めだと思っているから。
二人の父を見送り、お義母さんを見送り、残っているのは母だけになりました。
ああ、母に会いたい。
お義母さんのお世話をしながらいつも母のことが頭にありました。
葬儀も終わったし、飛んでいきたいけれど
コロナウィルスのせいで、今、面会ができない状態です。
早く終息してほしい。
そしたら、すぐに顔を見に行くからね。
*
あ~~~なんだか だらだらと長く書いてしまいました。
でも、書くことで、今、自分の気持ちを整理しているところです。
なんか力が抜けちゃって ずーっと頭がボーッとしている感じです。
まだ諸々の手続きや御位牌のことや お礼状を書いたり、家に来てくださる方もいたり、と
なんだかんだあるのですが、ほぼ以前の生活に戻っています。
この半月ほどの間、パパといろんな話をしました。
葬儀の在り方とか、自分たちの終活とか。
しかし、それを書いていると永遠に続きそうなので
一旦ここで止めることにします。
心配してくださった方々、ありがとうございます。
私は元気です。
これからもまたよろしくお願いします。