雨上がりの近くの柿畑に
ほうずきの花が咲いていました。
ほうずきの花は葉陰にあり
やや下向きに咲いていますので
どちらかと言えば目立ちません。
ほうずきは大抵の方が知っていますが
ほうずきの花を見る機会は少ないかも知れません。
今日はほうずきの花と小さな花「ミゾソバ」を紹介致します。
近くの柿畑の「ほうずきの花とほうずき」
近くの生垣に咲いていた「とても小さな花:ミゾソバ」
- 花径は約3mm -
雨上がりの近くの柿畑に
ほうずきの花が咲いていました。
ほうずきの花は葉陰にあり
やや下向きに咲いていますので
どちらかと言えば目立ちません。
ほうずきは大抵の方が知っていますが
ほうずきの花を見る機会は少ないかも知れません。
今日はほうずきの花と小さな花「ミゾソバ」を紹介致します。
近くの柿畑の「ほうずきの花とほうずき」
近くの生垣に咲いていた「とても小さな花:ミゾソバ」
- 花径は約3mm -
皆様方は何事も過ちを犯したり、失敗することなく人生を歩んで来られた方々であれば幸いです。ダビデは勇敢で、純粋な心を抱き、エホバのご意志を行う人でした。しかし、そのダビデも神エホバに対して罪を犯しました。しかし、ダビデは悔い改めをし、神エホバに対し悔い改めの祈りをしています。詩編38編に次のように記されていますので、今日は詩編38編の前半をお伝え致します。私たちはダビデの心を吐露する廉直な態度に見倣うことが出来ます。
「エホバよ、憤りのうちにわたしを戒めないでください。
また、激しい怒りのうちにわたしを正さないでください。
あなたの矢がわたしの奥深く突き刺さり、
あなたのみ手がわたしの上にのしかかっているからです。
あなたの糾弾のゆえに、わたしの肉に
健全な所はありません。
わたしの罪のために、わたしの背には
平安はありません。
わたしのとががわたしの頭を超えたからです。
重い荷のように、それはわたしにとって重すぎるのです。
わたしの愚かさゆえに、
わたしの傷は悪臭を放ち、うみを持ちました。
わたしは度を失い、極度に身をかがめ、
一日じゅう悲しみを抱いて歩き回りました。
わたしの腰は全体が燃えるような熱に冒され、
わたしの肉には健全な所はないからです。
わたしは感覚を失い、極度に打ちひしがれ、
心のうめきのために大声を上げました。
エホバよ、わたしの願いはすべてあなたのみ前にあり、
わたしの溜め息もあなたから覆い隠されませんでした。
わたしの心臓は激しく鼓動し、
わたしの力はわたしを去りました。
わたしの目の光もまた、わたしと共にありません。
わたしを愛する者やわたしの友はというと、
彼らはわたしの災厄から離れて立っており、
わたしの親しい知人も、離れた所に立ちました」
ー 詩編38:1~11 -
雨上がり アジサイの花 美しき 今日の一句
庭で熟した「プラム」
新潟の写真家の撮られた
バラの花を紹介致します。
写真の構図と
バラの花の美しさが際立っています
今日はバラの花と花センナを紹介致します。
新潟の写真家の提供「バラ」
庭に咲いている梅雨の晴れ間の「花センナ」
イエス・キリストは有名な山上の垂訓の始めに、幸いな人たちはどのような特質を備えた人であるかについて明らかにされました(マタイ5:3~10)。その言葉の中に「温和な気質の人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と、約束された言葉があります。またイエスは、同じ山上の垂訓の中で、「(神の)王国と神の義をいつも第一に求めなさい」と、教えられました。気質の温和(柔和)な人たちは、神の王国と神の義をいつも第一に求めるので、回復される地上の楽園に招き入れられ、真の平和の宿る美しい楽園の地・義の宿る地を受け継ぐことになるのです(ペテロ第二3:10~13.啓示21:3,4)。ダビデが霊感を受けて書き記した詩編の37編は、エホバはどのような特質の方かを知り、神エホバに是認される義なる者はどのような祝福を受けるかについて記されています。詩編を読むことによって、私たちはどのような特質を培えば、エホバの民として祝福を受けることが出来るかを学び、その教えを適用することによって、エホバの救いの手が伸ばされることを確信し、信仰を築き上げ、エホバを避難所とすることが出来ます。今日は詩編37編の後半を紹介致します。
「強健な人の歩みはエホバによって定められ、
神はその人の道を喜びとされる。
彼は倒れはしても、投げ落とされることはない。
エホバがその手を支えておられるからだ。
わたしはかっては若者であったが、わたしもまた年老いた。
だが、義なる者が完全に捨てられるのを見たこともない。
一日中彼(義ある者)は恵みを示し、貸し与える。
それで、彼の子孫は祝福を受けることになる。
悪いことから遠ざかり、善いことを行なえ。
そして定めのない時に至るまで住むようにせよ。
エホバは公正を愛される方であり、
その忠節な者たちを捨てられないからである。
彼ら(忠節な者たち)は定めのない時に至るまで
必ず守られる。
しかし邪悪な者たちの子孫は、
まさしく断ち滅ぼされるであろう。
義なる者たちは地を所有し、
そこに永久に住むであろう。
義なる者の口は彼の心の中にあり、
彼の舌は公正を語る舌。
その神の律法は彼の心の中にあり、
その足取りはよろけない。
邪悪な者は絶えず義なる者をうかがい、
彼を死に至らせようとしている。
しかしエホバは、彼をその者の手に捨て置かれず、
彼が裁きを受けるとき、
これに邪悪な者であることの宣告を
下されることはない。
エホバを待ち望み、その道を守れ。
そうすれば、神はあなたを高めて
地を所有させてくださる。
邪悪な者たちが断ち滅ぼされるとき、
あなたはそれを見るであろう。
わたしは、邪悪な者が圧政的であるのを、
自生地に生い茂った木のように伸び広がるのを見た。
しかし彼(邪悪な者)は過ぎ去ってゆき、もういなかった。
わたしは彼を捜しつづけたが、
見つからなかった。
とがめのない者に注目し、廉直な者を見つめよ。
その人の将来は平安だからである。
しかし、違反を犯す者たちは
必ず共に滅ぼし尽くされ、
邪悪な者たちの将来は、
まさしく断ち滅ぼされるであろう。
そして、義なる者たちの救いは、エホバから来る。
神は苦難の時の彼らの要塞である。
そして、エホバは彼ら(義なる者たち)を助けて、
逃れさせてくださる。
彼らを邪悪な者たちから逃れさせ、
救ってくださる。
彼らが神のもとに避難したからである」。
- 詩編37:23~40 -
古里の 山を包みし朝曇り 今日の一句
鉢植えの「カランコエ」