イエスが遣わされていた時代のパリサイ人とサドカイ人たちは、ユダヤ教の主要な派の人の宗教指導者たちで、神エホバとの契約の民でありながら、神エホバの律法を巧みに退け、人間の命令を教理として教え、人々に重荷を載せかつ、目立つ立場を好んでいました(マタイ23:1~7)。それゆえ、パリサイ人たちの汚れた言動を踏まえ、イエスに「天からのしるし」である、奇跡を求めた時、イエスは彼らを「邪悪な姦淫の世代」と呼び、長く関わり合いを持つことを避けられました(マタイ16:1~4)。次いで、イエスは弟子たちに「じっと見張っていて、パリサイ人やサドカイ人のパン種に気を付けなさい」と教えられた場面が、マタイの福音書に次のように記されています。パリサイ人たちの「パン種」とは、どんな意味でしょうか。
「さて、弟子たちは向こう側に渡ったが、パンを携えて行くのを忘れた。イエスは彼ら(イエスの弟子たち)に言われた、「じっと見張っていて、パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい。それで彼ら(イエスの弟子たち)は、「わたしたちはパンを少しも持って来なかった」と互いに論じはじめた。これを知って、イエスは言われた、「パンを持っていないことで、どうしてそのように論じ合っているのですか。信仰の少ない人たちよ。まだ要点が分からないのですか。それとも5千人の(男子の)場合の五つのパン、そして幾つのかごに拾ったかを覚えていないのですか。また、四千人の(男子の)場合の七つのパン、そして幾つの食糧かごに拾ったかを。わたし(イエス)がパンについて話したのでないことを、どうしてあなた方は悟らないのですか。ただ、パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」。その時、彼ら(イエスの弟子たち)は、パンのパン種ではなく、パリサイ人とサドカイ人の教えに気を付けよと言われたのだ、ということを会得した」(マタイ16:5~12)。
上のマタイの福音書に示されている通り、イエスは弟子たちに、「じっと見張っていて、パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」と教えられました。しかし、弟子たちはイエスのその教えの意味をすぐに理解することができず、通常のパンを発酵させるパン種のことと思い違いをしていたようです。しかも、弟子たちはパンを忘れていたので、「パンを少しも持って来なかった」ことで互いに論じあっていました。弟子たちは、すぐ前に、男性と女性と幼子を合わせると1万人を超える大群衆にわずかのパンと魚を割いて満ち足りる食事をさせたイエスの業に確かな信仰を抱くことを怠っていました。イエスは、弟子たちに「信仰の少ない人たちよ」と言って、信仰に堅く立つように諭されています。イエスの弟子たちは、イエスの教えの意味を悟ります。パリサイ人とサドカイ人のパン種とは、「パンのパン種ではなく、パリサイ人とサドカイ人の教えに気を付けよ」と教えてくださっていたことを、イエスの弟子たちは会得したのです。
ご承知の通り通常パンを作る時のパン種はパンを発酵させます。パリサイ人たちの教えは、神エホバの教えではなく、人間の教理・哲学であり、人を腐敗させる力が、丁度パン種がパンを膨らませるように人々の中で腐敗が進行することを教えてくださったのです。ですから、イエスは「じっと見張って」、つまり霊的な教えに注意を集中し、パン種・偽りの教えに気を付けるように促されたのです。このイエスの教えは、現在も、諸宗教の教えに対して「じっと見張っていて」、その教えの「パン種」に気を付けなければならないのです。聖書の巻末の書の啓示の書は、偽りの宗教帝国を、偽りの教えを持つ「大いなるバビロン」・「大娼婦」として教え、エホバ神は、共に滅びることを望まないなら「そこから出なさい」と呼びかけてくださっています(啓示17:1~6;18:4)。
数輪を 咲かせ陽を愛く 寒桜 今日の一句
河口でくつろぐ「鴨たち」