近くの畑に白と淡いピンクの混じった椿が、綺麗に咲いていました。
白の花弁に淡いピンクの混色が見事に調和し、完璧な美を見せています。
花々の少ない時期に、椿や山茶花が楽しみを与えてくれます。
今日は白と淡いピンクの混じった椿と白と青紫の花「サイネリア」を紹介致します。
ご近所の畑に咲いている「椿」
鉢植えで売られていた花「サイネリア」
近くの畑に白と淡いピンクの混じった椿が、綺麗に咲いていました。
白の花弁に淡いピンクの混色が見事に調和し、完璧な美を見せています。
花々の少ない時期に、椿や山茶花が楽しみを与えてくれます。
今日は白と淡いピンクの混じった椿と白と青紫の花「サイネリア」を紹介致します。
ご近所の畑に咲いている「椿」
鉢植えで売られていた花「サイネリア」
イエス・キリストは弟子たちが、神の王国では「だれが一番偉いのですか」と質問された時、弟子たちの不完全さを叱責することなく、幼子を弟子たちの真ん中に立たせ、「幼子のように謙遜になる者が、天(神)の王国において最も偉大な者なのです」と、教えられました。イエスは幼子のように純粋で謙遜な特質を培うように、弟子たちに教えられました。加えて、イエスは弟子たちの一人をつまずかせる者は神エホバから祝福を受ける事はないことも教えられました(マタイ18:1~6)。次いで、イエスはご自分の追随者たちは、手や足や目と同じほど大切なものでも、つまずきの源になるものはなんでも生活の中から断たなければならないことを教えられた場面が、マタイの福音書に次のように記されています。
「つまずかせるもののゆえに、世は災いです!もとより、つまずかせるものが来ることはやむを得ませんが、つまずかせるものが来る経路となる人は災いです!そこで、あなたの手か足があなたをつまずかせているなら、それを(つまずきの源を)切り離して捨て去りなさい。二つの手または二つの足をつけて永遠の火に投げ込まれるよりは、不具または足の不自由なまま命に入るほうが、あなたにとっては良いのです。また、もしあなたの目があなたをつまずかせているなら、それをえぐり出して捨て去りなさい。二つの目をつけて火の燃えるゲヘナに投げ込まれるよりは、片目で命に入る方が、あなたにとっては良いのです。あなた方はこれら小さい者の一人おも侮ることがないようにしなさい。あなた方に言いますが、天にいる彼らのみ使いたちは、天におられるわたし(イエス)の父(エホバ)のみ顔を常に見守っているのです」(マタイ18:7~10)。
イエスは、ご自分の使徒たちの言動が、他の人をつまずかせるなら非情に重大なことになることを教えられ、世はつまずかせる者がいるゆえに、災いであることを述べられました。しかも、イエスは「つまずかせる者が来る経路となる人は災い」と教えられました。この「この経路となる人」とはどういう人のことでしょうか。イエスが先に教えられた、神エホバの教えを退け、人間の教理・伝統を教える者であり、かつ背教者たちを指しています(マタイ7:15;15:6~8)。こうした悪魔サタンからの者である偽善者たちや背教者たちは災いなのです(マタイ15:7;23:13,15.ヨハネ8:44.啓示12:9)。
マタイの福音書に記されている通り、イエスはご自分の追随者たちに、手や足や目と同じほど大切なものでも、つまずきの源になるものは何であれ、生活の中から断たなければならないことを、大切な手、足、目を用い教えられました。「火の燃えるゲヘナ」とは、当時のエルサレムの近辺にあった、いつも火のん燃えてるゴミの山のことです。火はごみを焼き尽くすことから、を意味しています。イエスはそのような火の燃えるゴミの山に投げ捨てられる、つまり永遠の滅びより、大切な手や足や目を失ったとしても、神の王国に入る方が良いことを強調し、教えられました。イエスが足なえの人や、身体の不自由な人やあらゆる疾患と病の人たちを即座に治し、神の王国によって、地上が義の宿る楽園に回復される時は、すべて健康な体に回復させられる証拠を見せられた通りになるのです(ペテロ第二3:10~13.啓示21:3~5)。ですから、イエスは、つまずきの源は断固として断つ必要があることを銘記させられたのです。
イエスは、「小さな者の一人も侮ることがないようにしなさい」と、人々に教えられました。「小さい者の一人」とは、弟子たちの一人ともいえど、侮ってはならないことを強調し、共に働いている天のみ使いたちも、神エホバのご意志に沿って見守っていることを教えられました。イエスは弟子の一人一人が大切にされ、貴重な者であること、それは神エホバのご意志であることを教えられました。イエスの教えに弟子たちは大いに強められたに違いありません。
スケーターの 復興願う 舞いを見る 今日の一句
ご近所の畑に咲いている「山茶花」