神エホバは、優しい同情心によって、エジプトの地で奴隷状態にあり、圧迫と苦しみの状態からモーセを用い、イスラエルを約束のカナンの地に導き入れられました(出エジプト記)。そして神エホバとの契約下にあったにも拘わらず、イスラエル国民は神エホバに対し幾度も不忠実になりました、それでも「その民に同情を覚え」、幾度となく民を救われました(歴代第二36:15.裁き人2:11~16)。
エフタの時代に生じた事柄を考えてみましょう。神エホバとの契約下にも関わらず、イスラエル人が偽りの神々に仕えるようになったため、神エホバは彼らが18年間アンモン人に虐げられるのをお許しになりました。イスラエル人はようやく悔い改めます。「彼らは自分たちの中から異国の神々を除き去って、神エホバに仕えるようになった。そのため神の魂はイスラエルの難儀を耐え忍べなくなった」、と聖書は記しています(裁き人10:6~16)。イスラエルの民が真の悔い改めを示すと、神エホバは民の苦しみを見ることに、もはや堪えられなくなりました。それで、優しい同情の神エホバはエフタに力を与え、敵たちの手からイスラエル人を救出されました(裁き人11:30~33)。
当時、神エホバとの契約下にあったイスラエル国民に対する神エホバの態度から、優しい同情に関して何を学べるでしょうか。一つの点として、その優しい同情は人々の経験している逆境を思いやる意識以上のものである、ということが分ります。優しい同情に動かされて赤ちゃんの泣き声に反応する母親の例を思い出してください。そのような優しい母親と同様、神エホバはご自分の民の叫びに耳を注意深く傾けられます。優しい同情に動かされて、民の苦しみを和らげてくださるのです。さらに、神エホバはイスラエル人を扱われた方法から、優しい同情は決して弱さではない、ということが分ります。神エホバは、この優しい同情という特質に動かされて、ご自分の民ののために断固たる強い行動を取られたことを示しておられるからです。
次回は、集団に対する優しい同情の例ではなく、「個々の人に対するエホバの同情」についてお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。
早春や 眼下の海の 光りかな 今日の一句
ご近所の満開の「河津桜」