イエス・キリストはパリサイ人たちに「聖霊(神エホバの活動する力)に言い逆らう者がだれであっても、その者は許されない」と、現在にまで及ぶ重要な教えを与えられました(マタイ12:32)。引き続いてイエスはパリサイ人たちを「まむしらの子孫よ」と糾弾し、人は語る事柄によって「善良な人」か「邪悪な人」かを見分けることができることを教えられました。その場面がマタイの福音書に次のように記されています。
「「あなた方は(パリサイ人たちは)木をりっぱにしてその実もりっぱにするか、あるいは木を腐らせてその実も腐らせるかのいずれかにしなさい。木はその実によって知られるのです。まむしらの子孫よ、あなた方(パリサイ人たち)は邪悪な者であるのに、どうして良い事柄を語れるでしょうか。心に満ち溢れているものの中から口は語るのです。善良な人は自分の良い宝の中から良いものを出し、邪悪な人は自分の邪悪な宝の中から邪悪なものを出します。あなた方に言いますが、人が語るすべての無益なことば、それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。あなた(パリサイ人)は自分の言葉によって義と宣せられ、また自分の言葉によって有罪とされるのです」」(マタイ12:33~37)。
上の聖句によれば、パリサイ人たちは、モーセの律法によって教えられたことも人々に語りながら、一方、自分たちの独自の真理から外れた、いわば腐った言葉を語っていました。(マタイ23:1~12)。ですから、イエスは、りっぱな木の実のエホバの言葉を語るのか、自分たちの独自の腐った言葉を語るのか、いずれかに立場を定めることの重要性を教えられました。りっぱな実を結ぶ「木」は、イエスとイエスの弟子・真のクリスチャンたちを表わしています。
次いで、イエスはパリサイ人たちを「まむしらの子孫」と糾弾されました。ご承知の通り、「まむし」は毒蛇です。まむしに噛まれると、放置すると死に至ります。同様にパリサイ人たちの教えはまむしのような毒・偽りの教えを持っていました。彼らに従う人々は最終的に死に至ることをイエスは教えておられるのです(啓示18章)。イエスが「まむしらの子孫」と言われたのは、エデンの園で悪魔サタンが蛇を使って、アダムとエバに偽りを語って唆し、神エホバに反逆させ、死に至るようにした張本人悪魔サタンの子孫がパリサイ人たちであることを明らかにされました(創世記3:1~6.ヨハネ8:44.啓示12:9)。イエスは悪魔サタンは、「始まりにおいて人殺し」、「偽りの父」と呼びましたが(ヨハネ8:44)、偽りの宗教指導者たちはその悪魔サタンの子孫なのです。聖書の巻末の書・啓示の書には「まむしらの子孫」を「大いなるバビロン」、「大娼婦」として教え、間もなく神エホバが処断することが予告されています(啓示17:1~6;18:1~24)。皆様方はどちらに属しておられますか。りっぱな木の実の側に立つ人たちは幸いです(マタイ7:15~20)。
加えて、イエスはパリサイ人たちが、まむしら(人殺しであり偽りの父の悪魔サタン)の子孫の邪悪でな者であるゆえに、良い事柄・神エホバからである真理を語ることができないことを明確に指摘されました。イエスの教えは明快です。人は「心に満ち溢れているものの中かから語る」のです。善良な人は自分の良い宝(蓄えたみ言葉の真理)の中から良いもの(他の人を築き上げるのによい言葉)を語り、反対に邪悪な人は「自分の邪悪な宝」・人間独自の考えや悪魔サタンから出る「肉の業」や人々を惑わす偽りを語るのです(コリント第一8:1.エフェソス4:29.ガラテア5:19~21.啓示12:9)。ですから、私たちがイエスを通して神エホバに善良な人として是認を受けるには「良い宝」であるみ言葉を日毎に学び、心に蓄える必要があるのです(詩編1:2~4)。特に神エホバから出る教えの実・霊の実の九つ・愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制を培う必要があるのです(ガラテア5:22,23)。そのような霊的必要を自覚している人たちは幸いです(マタイ5:3)。神エホバの目に善良な人か邪悪な人かによって、間もなく起きるエホバの裁きの日・エホバの大いなる日の戦争の時・ハルマゲドン時に、エホバが見分けて救いを施して下さるのです(啓示16:14,16;18章~20:2.ぺテロ第二3:10~13)。
ホオジロの 飛び来る庭木 朝陽愛く 今日の一句
かかりつけの医院の鉢植えの「バラ」
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