猛暑の続く日ですが、氷を入れた冷たい一杯の水はとても体を爽やかにします。水は私たちの命を支える上で、とても重要な飲み物です。私たちの体の70%は水分と報告されています。イエス・キリストはサマリア人の女性に、「わたしの与える水は、その人の中で、永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです」と、教えられました(ヨハネ4:14)。私たちも、そのような水・「生きた水」を飲んでみたいと願うのではないでしょうか(ヨハネ4:10)。
聖書の巻末の書の啓示の書(黙示録)には、「命の水を価なくして受けなさい」と、次のように招かれています。「命の水」とは何を表わしているのでしょうか。
「そして、霊と花嫁は、「来なさい!」と言いつづける。そして、だれでも聞く者は、「来なさい!」と言いなさい。そして、だれでも(エホバの教えに)渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」(啓示22:17)。
上の聖句の「霊と花嫁」とは、「霊」が神エホバ、「花嫁」はイエスと共に神の王国の政府を構成する144,000人の油注がれた兄弟たちを表わしています(啓示5:10;7:14)。「命の水」は、神エホバの永遠の福祉という人生に喜ばしい結果を差し伸べる言葉です。このエホバがイエスを通して与えてくださる「命の水」は、永遠の命に導くものとなります(啓示21:4:22:1,2)。さらに、神エホバからの「命の水」は、偽りを正す力があります。上の聖句では、「だれでも望む者は」と、記されていますので、人は最初から運命づけられているのではなく、その人の自由意志によって、つまり選択する結果によって決まることが分かります。あなたも、自由意志によって、神エホバの招きに応じ、「命の水を価なくして受ける」方のお一人であれば幸いです。
店出れば 夕立のあり 雨宿り 今日の一句
道辺に咲いている「フヨウ」
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