城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

孤立不安社会と地域 19.4.28

2019-04-27 19:39:09 | 面白い本はないか
 県図書館で2冊の本、一つは斉藤環著「ひきこもりから見た未来」、二つ目は石田光規著「孤立不安社会」をネタにおしゃべり。若者はヨーロッパではホームレスに、日本や韓国ではひきこもりとなる。(ヨーロッパでもスペインやイタリアなどのカトリックの国はひきこもりが多い。)この違いはなぜ起きるのだろうか。一般にヨーロッパでは高校卒業後自立を求められる。しかし、仕事に必要なスキルを獲得していない若者に就職口はない。日本のような一括採用制度、会社がスキルを身につけさせるような環境はないので、どこでも若者の失業率は高く、結果ホームレスとなる。

 一方で日本の場合は、就職に何度も失敗すると、最後の受け皿(ある意味のセーフティネット)が親ということになる。必ずしも歓迎するわけではないと思うが、仕方ないと思ってのことであろう。しかし、この受け皿となる親も高齢化し、いずれは亡くなる。親の保護を受けることができなくなった子ども世代はどのように生活をしていくのであろうか。年金を満足に掛けることがなかった子ども達であるから、年金は受けられない。結果、生活保護受給者の激増となるかもしれない。


 城台山の山中にある家の放棄された畑に隣から孟宗竹が進出 この進出を歓迎している 2回目の収穫 猪に食われたのも多く、そのおこぼれをいただく感じ

 突然ですが、貴方は恋愛結婚、それともお見合い結婚。私の若者時代、まわりには結婚世話焼きおばちゃんが一杯いた。相手の写真を一杯持ってくる人もいたと聞く。今やそうしたおばちゃんはほぼ絶滅したと思う(自身の子どもにそのような話が持ち込まれたことはない)。二冊目の本に婚活の模様が出てくる。しかし、ここはある意味、厳しい競争の世界、選ばれるか、選ばれないかが待っている。失敗しても頑張れる人は良いが、厳しい判定に今まで以上に絶望することになるかもしれない。その絶望の先には・・・・・・。
 親族や地域でのつながりが強かった時代は、自由もなく拘束の多い時代でもあった。私の場合、長男であったから、家を継ぐことが当然視されていた。また、地域では色々な慣習が残っていた。しかし、資本主義が進み、あらゆるものがお金で買えるようになった。社会保障も充実し、老後子どもに頼る必要性も小さくなった。大きな自由を獲得した一方で、様々なつながりは失われた。


 ボタンの観賞時期はきわめて短い 雨にあたると特にいけない

 人々はしがらみから解放される一方で、自らの好みにあったつながりを獲得・維持する義務を背負わされた。自らの好みにあったつながりを獲得できる保障はない。人々はつながりができないかもしれない不安に襲われてゆく。孤立不安社会の到来である。経済力や学力に恵まれない者とそうでない者とではつながりの格差が発生する。昔からの血縁・地縁、働く場の縁が弱くなっている現在、新たなつながりを生み出す契機として期待されているのが、ボランティア、趣味縁、シェア(このパラフレーズはほとんど引用)。

 地域に住む個人が孤立を感じることのないよう運営するのが自治会の仕事となる。地域での伝統的なお祭り、住民自主グループによる様々な集まり、福祉グループによる高齢者世帯への声かけなどが行われ、まだ地縁は健在であるが、地域の10年後果たしてどうなっているか。高齢者だけの世帯、高齢者単独世帯はますます増えてくる。自分のことも含め、正直とても不安である。自由を獲得したものの、その不安に耐えかねて、人々はそのより所をどこかに求めるように一層なるかもしれない。新興宗教あるいは全体主義への道が私たちを待っているのかもしれない。


 庭のバラのつぼみが膨らんできている 乞うご期待!
 
 
コメント
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