城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

佐藤優の本を読む 19.12.21

2019-12-21 19:24:41 | 面白い本はないか
 佐藤優の前に読んだばかりの吉田裕著「日本軍兵士」についての感想等。何度も書いているが、アジア・太平洋戦争についての本を読むのは気が滅入る。負け戦だからということではなく、あるいは米軍の圧倒的な力ということでもなく、日本が歩んできた歴史、国民性にかかる負の面が一挙にこの負け戦に出ているからである。佐藤優は「日本国家の神髄ー禁書「国体の本義」を読み解く」で日本の国は天皇を中心とする祭政一致の国柄=国体であると言っている。「国体の本義」は天皇機関説が出たときに、1937年に文部省から出されたが、占領軍によりこの書は神がかり的なテキストで日本は戦争への道を歩み、破滅したということで禁書とされた。佐藤氏の理解は、国体明徴運動の結果、生まれかねない非合理的、神がかり的な観念論を阻止するために作られたというものである。しかし、政府の意思とは逆に日本の天孫降臨、万世一系の皇統を強調すればするほどむしろ神がかり的になったとも思われる。

 吉田氏の著書に戻る。先の戦争によって、日本は兵士・軍属230万人、民間人80万人の死者を出した。そして、兵士等の死者のうち、戦病死の割合が半分を遙かに超える(正確な統計はない。支那駐屯第一連隊の場合(1944年以降)73.5%にもなる。さらに、藤原彰氏(吉田氏の先生?)によると広義の餓死者は全体の61%に達するとしている(秦郁彦氏によると37%)。近代初期の戦争では伝染病などによる戦病死者が戦死者をはるかに上回ったが、軍事医療の発展、補給体制の整備などにより、激減した。ちなみに日露戦争は戦病死者の割合は26.3%である。興味深いのは、虫歯に悩む兵士(歯医者の配置が遅れた)、水虫に苦しむ兵士(この時代の国民は靴に馴れていない、さらに底が簡単に抜けるような粗悪な軍靴)そして結核である。また、体力が弱った兵士に襲いかかるマラリア、私の父親も復員してから何回か再発したと本人から聞いた。そして、内務班でのリンチ、苛酷な行軍(私は冬期の泊まりを伴う山行では15kg以上のザックを背負う。しかし、この時期の兵士は30kg、40kg以上の武器を含めたザックを背負う)により体力の弱い初年兵、予備兵等から自殺者が多く出た。日露戦争時とほぼ同じ戦力で戦った、あるいはエンジンに対し人力で戦った戦争であったと比喩される。

 佐藤優氏と片山杜秀氏の対談が「現代に生きるファシズム」。片山氏の著書に「未完のファシズム」という本がある。この本には、日本が「持たざる」国であることから、欧米のような合理的な軍事態勢ができなかったこと、また日本の政治体制は天皇を中心にその下は権力が分立しているために強力な戦時体制ができなかったことが書かれてある。持たざる国というのが、精一杯背伸びして戦ってしまったのが先の戦争なのである。ファシズムの定義は難しい。私たちは全体主義と同じものだと考えているが、実は違うようである。ファシズムはイタリアのムッソリーニに発し、言葉の意味は人を束ねることである。日本ファシズムの場合は、天皇という現人神を束ねに用いたので、国民を結集し、命を捧げさせる方向では絶大な力を発揮した。しかし、それ以外では、危機を乗り越えるための意思形成ができず、ずるずると負け戦を長引かせ、終戦前一年間で多大な被害をもたらしたのである。

 佐藤優氏の「私のマルクス」、「プラハの憂鬱」は面白かった。もちろん彼が興味を持った宇野弘蔵のマルクス経済学や神学を面白いと思ったわけではない。高校生だった時、同志社の大学生・院生だった時に登場する先生達、学生達との交流、さらには外交官研修でイギリス軍の語学研修所でロシア語を学んだ時、彼が研究したチェコの神学者が取り持つかのような亡命チェコ人との交流の数々がすごい。大学時代にチェコの神学者に興味を持ち、当時まだ共産圏であったチェコに留学したいと考えた。外交官になれば語学研修制度があるのでそれを利用するかモスクワから訪れることができるかもしれないということで外務省の試験を受けた。ここから彼の数奇?な運命は始まるのだが、その核心のモスクワ時代は読んでいないので、読んでみようと思う。

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