城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

揖斐すめらぎの森感謝祭 19.10.27

2019-10-28 19:18:10 | 地域のこと他
 令和元年記念「揖斐すめらぎの森感謝祭」が昨日、谷汲緑地公園で開催された。私は動員でその感謝際に出席したのだが、その華やかさと裏腹に日本の国土の約7割を占めるその森林の現状について少し語ってみたい。まずは、感謝祭の模様についてレポートする。


 式典のオープニングは宗次郎氏によるオカリナの演奏

 舞台はたにぐみ幼児園5歳児による谷汲踊

 会場の外は谷汲小6年生と保存会による谷汲踊

 左の写真:昭和天皇が昭和32年4月に開催された第8回植樹祭においてスギをお手植えされた
      この時、私は揖斐高校付近において当時谷汲村に向かわれる天皇を乗せた車を日の丸の小旗を振りながらお迎えした記憶がある
 中央の写真:昭和51年7月上皇、上皇后両陛下が当地を訪問
 右の写真:平成27年10月全国植樹祭において今上陛下が間伐を行う

皇室三代にわたる関係があることから、従来通称「天皇林」を正式に「すめらぎの森」と命名した。


 揖斐川町長が森づくり宣言を行った

 記念碑の除幕 金属製なのが気に掛かる

 会場風景

 式典等を見ながら、区長仲間のM氏がつぶやいた。森づくりの意義について、行政側と一般町民との間で大きな認識の差があるのではないか。ますます、人は森に入らなくなり、その実態を十分知らない。住宅地と接する里山でさえ、人は立ち入らなくなり、かつて食糧難時代に開墾した畑は急速に荒廃し、今や猪や鹿や猿が跋扈する所となった。山に入れば、管理されていない森林、林道は延々と伸びているもの大半はズタズタ。一体何のためか疑わざるをえないようなものばかり。

 田中淳夫著「絶望の林業」からその現状を見てみる。
〇戦中に行われた大皆伐の後、戦後造林が大々的に行われた。この時植林された木が伐採できるまでに育ってきた。
〇戦後高度成長期は材木不足となった。これを補ったのが外材の輸入だった。
〇現在、木材の供給量に占める国産材の割合は約30%に達し、増加中である。
〇人工林から産出される原木は、住宅建材になるA材、合板材料になるB材、製紙原料になるC材、さらにバイオマス発電の原料となるD材。当然後者に行けば行くほど価格は安くなる。
〇少子化などもあって最も価格の高いA材の需要がない。需要があるのは、B、C、D。伐採、搬出に国の補助金が出るので、その量が増えれば増えるほど関係業者は儲かる。
〇ところが、山主はA材の需要低迷もあって、山主に還元される利益がきわめて少ない。植林費用、育林費用がまかなえない。
〇住宅建材においても、その質(例えば乾燥具合)という点で外材に見劣りする。
〇中国に輸出されるようになった丸太、安いために人気だそうだが、安くしているのは国の補助金が入っているから
〇補助金を得て、間伐した木がその場に放置された結果、大水害の際に流出し、甚大な被害をもたらしている。

 ここで森づくり宣言において何度も出てくる「持続可能な」という言葉は、この現状からすると戯れ言にしかならない。農政の現状も酷いが、林政の現状はそれをはるかに上回る。もう少し国土の大半を占める森林のことについて、考えるべきだと思うが。


 
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