城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

林道・なぜ植林地は荒廃していることが多いのか 21.11.14

2021-11-14 18:56:42 | 面白い本はないか
 やっと庭木の剪定も終わり、少し暇ができた今日、大野アルプスに出かけた。8時50分運動公園のゲートを出発し、健脚コースからスカイラインを経てこならコースを登った。このコースでは先行するグループが多くいた。その中にはかつてOSKで一緒だったNさん、Kさんもいた。二人はOSKとは違うグループと登っていた。大谷山、滝谷山を経て、10時17分に雁又山に到着。ここで10分ほど休憩し、下りは花立峠経由で帰った。下りは少ししんどく、登りと下りが同じ所要時間だった。

 途中の紅葉

 御岳展望ではかすかに御岳が見えた

 暗い雁又山山頂 10:17

 大野アルプスの紅葉

 以上が前置きでここからが、今日のテーマである林道そして植林地荒廃の訳を知る旅に出よう。山で出くわすのはまずアプローチに使う林道そして植林地の荒廃振りということが多い。林道はそれを利用しないと登れない山が多くあるから、登山者にとっては有難い存在ということになる。しかし、立派な林道がある一方でもう使用できないような林道も多い。しまいには廃林道と呼ばれるような草や木が生え、そこら中で崩壊している林道もたくさんある。ところが日本の林道密度は極めて低い。このため折角伐採できるような立木があっても容易には伐り出しできない。また、国の補助金を得て、間伐しているところでも搬出できないため、その場に伐り捨て置かれることが続いていた。こうしたところを何回か歩いたが誠に大変である(バイオマス燃料に使うため伐り捨ては減っているとか)。

 写真は井出ノ小路山のアプローチの林道 この林道は広く(国有林?)よく整備されていた

 問題は林道にだけあるのではない。日本は戦前薪炭材として利用するため、多くの木を伐った。そして戦後、急速に建築用材の需要が高まり、各地で造林を大規模に行い、中でも杉などを大量に植えてきた。材木の値段も上がっていき、そのピークは1980年でこの時点の木材価格(丸太の状態)は、杉が1立米3万9600円、桧で7万6400円だった。ところが2018年には、杉が1万3600円、桧が1万8400円と大幅に下落してしまった。そうなると山林所有者に残るお金は激減してしまった。杉だと1980年が2万2700円、2020年では2900円となり、一本(戦後人工的に植林された杉は一本一立米にならない)当たり数百円という杉も出てくることになった。40年から50年を経た杉の値段が野菜の値段と変わらないことになったのである。完成品としての製材された材木の値段はここまで下落していないが、その間に人件費や搬出費は大きく値上がりした結果、所有者に渡るお金は大きく減ってしまった。下落した理由の大きなものは、安い用材が最初は北アメリカ、次には欧州からどんどん入ってきた(材木については米のような関税はかからない)ためである。もちろん日本の用材の弱点も多くあった(大量の規格品を供給できない、小さい規模の製材所が多かった、日本の木は水分を多く含み乾燥がたらなかった等々)。

 この状態に対する国の主な政策が補助金の支出であった。間伐に対する補助、主伐に対する補助がなされた。結果、日本の林業は補助金なしでは成り立たないような弱い産業となってしまった。補助金をだして伐った丸太が中国に輸出されるという笑えないような事態にもなってきた。さらにバイオマス発電で、施設建設に対する補助、高めのFIT(固定価格買取制度、風力、太陽電池などと同様、家庭の電力料金に上乗せ)もあり、この燃料の奪い合いが生まれてきてしまった。立木はカスケード利用という、製材用、集成材・合板等、チップ、林地残材というそれぞれの段階で利用されることが理想で、この順に価格が下がってくるのだが、製材用等に回るべき高い価格の丸太がバイオマス発電の安い燃料になってしまい、このことが製材用の価格を引き下げてしまうことになる。さらに、バイオマス発電の効率は悪く、3,4割となっており、本来であればこの発電を進める理由は乏しいのである。ただし、発電と同時に熱を利用(コジェネという)すれば効率は8,9割と跳ね上がり、進める理由も出てくる(オーストリアではこのコジェネでなければFITの適用はない)。

 もう一つ製材用の需要が伸びない理由がある。それは新築住宅の着工減である。さらに日本の建築基準法は伝統木造(昔からの棟梁、大工による建築技法)を認めていないことである。認める場合には膨大な書類が必要となる。我々が今木造と呼んでいるものは、在来木造と呼ばれるものだ。伝統木造では建物が地面とつながっていない(礎石としての石の上に乗っているだけ、在来は地面と連結されている)、基本構造は木の骨組み(在来は壁)、木組み、様々な継手、仕口が工夫されている。こうした構造の五重塔や一般の住宅でも地面の揺れに連動しない、骨組み等で揺れを吸収するため地震に強いことがわかっている。ただそれを計算で証明できないために基準法で認めていない。伝統工法で作られる家こそ日本の山林に育つ木を最も必要としている。一方で、欧州等の材木は,極限まで乾燥させた規格品であるため住宅メーカーなどは極めて使いやすい。伝統技法が素晴らしいことは世界も認めているのに、伝統的な大工もいなくなってしまうおそれがある。

 日本の山林は国土の三分の二をしめており、その資源も木の成長に伴い増えてきている。もちろん日本の山林は急峻なところが多く、ハンディを多く抱えている。現在のままでは伐採されても、その後植林、育林など望みようがない。荒廃した林地をそのままにしておくとさらに荒廃は進み、災害を引き起こしやすくなる。どうにもならない状況にまで追い込まれているのである。以上は熊崎実「木のルネサンスー林業復権の兆し」と白井裕子「森林で日本は蘇るー林業の瓦解を食い止めよ」から引用したりした。日本ではバイオマスのように明らかに好ましくない結果が出ているのに政策がなかなか変わっていかない。過去に実施した政策をきちんと評価しないで、また新しい政策を始める。これが日本がなかなか変わっていけない理由の一つだと思う。二冊の本もタイトルだけは希望に満ちているが、読後の感想はやはり悲観的、絶望的だった。

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秋の城台山 21.11.10

2021-11-10 19:09:52 | 地域のこと他
 燕岳の後、待望?の雨が降った。タマネギ苗の植え付けをしたかったのだが、畑はからからでできなかった。雨のおかげで無事約230本の植え付けを終了。残るは、今月後半のスナップエンドウの植え付けで今年の畑の方は終了となる。一方で紅葉前線も山から里へ降りて来ている。日頃登る城台山の木々も随分色づいてきた。


 三輪神社付近から見る城台山 11月10日

 一心寺 ここのもみじの紅葉は11月下旬か

 白山神社分岐の少し手前

 城台山 ここは針葉樹と常緑樹ばかりで変化なし

 揖斐の市街地

 城台山直下の井戸 といっても水たまり?

 落ち葉 もう少しすると毎年恒例の落ち葉拾いが始まるのだが、まだ畑には昨年拾った落ち葉(堆肥作り)がある。これを
 畑にまく必要があるが、まだ手つかずだ

 そして、まだ庭木の剪定が終わっていない。手間がかかる3本(松、キンモクセイ、まき)のうち2本が残る。築山の上にあり、高さ4~5m、素人には極めて難敵だ。

 キンモクセイ 高い所は木に登り作業を行うのだが、安全のためヘルメットをかぶりシュリンゲで簡易ハーネスを作り、木と結びつける とにかく枝が多く苦労している

 まき これは老木で木に登ることはできない どうしたもんか!
 
コメント (2)
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燕岳・50年ぶりの燕山荘 21.11.8

2021-11-08 17:51:55 | 山登り
 アルプス入門としての表銀座コース(最近この名称そのものを聞くことは少なくなったが)の入口である燕岳は槍ヶ岳を眺める場所としては最高の場所であろう。新雪の槍ヶ岳を今一度見たくて、11月7日と8日仲間3人と燕岳に登ってきた。燕岳に最初に登ったのは1969年8月、この時は燕山荘に泊り、翌日は槍ヶ岳まで行った。生憎の悪天候であったが、槍の穂先に登った。その六年後職場の山仲間と2泊3日で燕から槍まで縦走した。この時見た新雪の槍のモルゲンロートがずっと目に焼き付いていた。仲間の3人はいずれも燕山荘に泊った経験がなく(一人は北アルプス初見参)、おじさんがリーダーとなった。

 7日日曜日は安曇野周辺は大勢の人がビニール袋を手にごみを拾うクリーン大作戦がくり広げられていた。中房温泉への道はなかなかの難路(曲がりくねって対向車が見えないし、すりかすりも容易ではない)で周辺の紅葉真っ盛りもどこか楽しめない。登山口周辺の駐車場も一杯だったが、幸い一台分の空きがあった。考えて見れば土日と燕岳を登る登山者の車が置いてあるので混雑は当たり前だった。そして下山をする登山者に何回も出会うことになった。とにかく若い人が多いのにびっくりした。普段登る奥美濃の山などとは年齢層が全く違う。

 以下写真で紹介する

 登山口 9:18 ここには日帰り温泉がある 下山後ここで入浴した

 第二ベンチ10:27 第一ベンチ9:55との間はわずか

 針葉樹の中を歩く

 雪を抱いた常念岳(奥)が見えてきた10:55 唐松とのコントラスト

 常念岳 12:08

 合戦小屋に到着 12:14 まだ営業している ここで昼食

 槍の穂先が見えた!! 12:54

 燕山荘あと少し 13:34 ベンチ付近から日陰は圧雪された雪が出てくる 上からはチェーンを使う人が多い
 小屋じまいした大天井小屋の従業員に出会う

 出発から5時間弱で燕山荘に到着。すぐに窓口に行く。あらかじめ用意したコロナ関連の届け書を提出。事前に予約した段階からコロナ関連の注意が何回か届いていた。部屋に案内後ただちに燕岳に向かう。今回朝夕の槍ヶ岳を撮るためフルサイズで最軽量のカメラを持参した。出来れば望遠レンズも欲しかったが、800gという重さを考え、あきらめた。

 燕山荘を眺める

 小屋のすぐ先にあるイルカ岩 その左に槍ヶ岳

 大天井岳と槍 14:58

 燕岳と剱岳 15:02

 燕岳 16:48

 槍ヶ岳 16:49

 槍ヶ岳と三日月 17:00

 以下は燕山荘の模様。燕岳往復から帰り、山荘の喫茶室でビールで乾杯、焼酎の湯割りも少しいただく。

 夕食のメニュー 17:30

 今日の泊まり客 随分少ないそうだ この小屋も20日で閉まる(年末年始は営業)

 管内図 本当にでかい

 今年は小屋を開いてから100年目だそうだ この小屋に50年ほど前に泊った

 トイレ事情 昔と比べると隔世の感がある きれいだ!!

 幸いなことに我々の寝るところは個室だった 各人の間にはプラスチックの仕切りがある シュラフカバーを使うことを求められている

小屋からいただいた100周年記念品

 5時半朝食、食べ終わるとすぐに外に出る。何度だかは分からないが、晴天であるのでかなり冷え込んでいるはずだ。

 ご来光 6:13 雲海が出ているが、雲がなく平板

 槍と穂高 残念ながらモルゲンロート(「朝日が出る前に山がバラ色に染まる」とコトバンクにあるがおじさんが見たのはむしろオレンジ色あるいは赤色であった)は見ることができなかった

 1975年に見たモルゲンロート この頃はペンタックスで写真を撮っていたが、フィルムに現像すると失望することが多かった

 7時少し前に山荘を出発。安全のため軽アイゼンでベンチまで歩く。雪のないところ、土と雪のミックスいろいろある。

 有明山 8:59

 下山後登山口そばの温泉で汗を流す。二日間にわたって顔を見た青年と風呂が一緒だった。彼は昨年から山を始め、昨年表銀座コースを歩いたという25歳の好青年。今回の山行中美形の若い女性を多く見た。ある人は彼氏と時には単独であるいはグループで、すっかりおじさんたちも気が若くなってしまった。余裕がなかった中房温泉に至る道、紅葉の写真を撮りに来ているカメラマンも見た。当初の予報とは大きく変わって快晴下での二日間を堪能することができた。

 コースタイム 11月7日登山口9:18→第一ベンチ9:55→第二ベンチ10:27→合戦小屋12:14~12:42→燕山荘14:00 その後燕岳往復
        11月8日燕山荘6:55→登山口9:51
 
 地形図 おなじみのコースなので省略







 
 




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11月の野菜・いも談義 21.11.1

2021-11-01 20:33:48 | 野菜作り
 今日はEさん、Mさんと8時半三輪神社出発で城ヶ峰までお散歩。カエデなどが少し色づいてきた。おじさんの差し入れは焼き芋で、昨夜「青天を衝け」を見ながら、陶器の鍋でつくった。サツマイモの種類はベニハルカで、収穫は10月中旬頃だったから、甘くなっているはずだった(サツマイモは収穫後しばらく放っておくと甘くなる)。最近のコンロは過熱防止が付いているので、熱くなると停まってしまう。鍋の説明書には、中火で10分その後弱火で20~25分とあるが、コンロが自動で停まったりするので、この時間では焼き上がらない。結局、1時間以上かかってしまった。竹串で簡単にさすことができるようになれば完成ということになる。そして、今朝レンジで温めて、3人で城台山でいただいた。

 焼き芋

 参加しなかったSさんから前に安納芋とベニハルカでどちらが美味しいか聞かれたことがあった。その時点ではふかし芋と芋サラダしか食べていなかったので分からないと答えた。今日初めて焼き芋を食べてやっとこの比較ができるようになった。昨年までずっと安納芋を作り、今年初めてベニハルカを作った。焼き芋として比較すれば、安納芋は少しべちゃっとしているうえにかなり甘い。一方、ベニハルカは少し上品な甘さで少しほくほくしている。結論を言えば、個人の好みということになる。しかし、ベニハルカは安納芋と比べるとかなり収穫量が少ないし、大きな芋もできない(単に栽培下手なのか?)。そして、我が家では家内が干しイモを例年だと一杯作る。干しイモでは、安納芋は飴色のようになり、かなり甘い。しかし、ベニハルカでは色は白っぽいし、あまり甘くもならない。やはり、来年は安納芋を再び作ろうと思った次第。

 次に里芋の話。今年作った場所は土が痩せているので、何を作っても収穫は悪い。石川早生など親芋を食べない芋は小さな子芋ばかりで皮をむくのに大変だと家内から苦情が来ている。一方、親芋が美味しい赤いもは比較的生育が良い。そしてこの赤いもは、その茎がズイキとして食べられる。そのズイキを能郷白山の帰りにOさんとIさんに持ち帰ってもらった。

 赤いも この茎がズイキ

 赤いもの親

 この親芋、我が家ではおでんの具として食べることが多い。独特の食感がある。この親芋、先日の門入滞在で泉翁が食卓に出してくださった。山荘の中心にある薪ストーブで少し焼いてから食べる。素朴な味だが、美味しい。親芋を湯がいて(大きいままなのか3センチ角に切ってからなのか分からない)その後干したものと思われる。長い冬を過ごすときの代表的な食料であったのではないかと勝手に想像する。

 最後に大根の話。まだ十分な太さではないが、引き抜いて食べてみた。煮付けにしたのを家内が食べて少し苦いと言ってきた。食べてみると確かにほろ苦かったので、早速ネットで調べてみた。すると十分成長していない大根はほろ苦く、これが美味しいと書いてある。今までも十分成長していない大根を食べたことがあるけれどこの苦さは初めての経験だった。もうしばらくすれば十分な太さに達する。その時にどんな味がするのだろうか。

 11月1日現在の大根
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