醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  872号  白井一道

2018-10-06 07:56:48 | 随筆・小説


  「しほ(を)れふすや世はさかさまの雪の竹」芭蕉二四歳 寛文七年(1667)


華女 何を詠んでいる句なのか、さっぱり分からない句ね。
句郎 この句には前詞が付いている。「子にを(お)くれたる人のもといて」とある。「子におくれたる人」とは、子を亡くした人という意味のようだ。だからこの句は若き芭蕉の追悼句だと思う。
華女 「しおれふす」とは、意思消沈しているという意味なのね。分かったわ。でも「しおれふす」で五音よね。この五音「しおれふす」で十分なのに、「や」を付けて意識的に字余りにしている理由は何かしら。
句郎 じっくりこの句を読んでみると「しおれふす」の五音じゃ、気持ちがのらない。「しあれふすや」とすると間が長くなる。半拍だった間が一拍になる。「しおれふすや」とすることで子を亡くした親の気持ちが表現できる。そのように若き芭蕉は思ったのだと思う。
華女 字余りの上五には気持ちが籠るということがあるということなのね。
句郎 後『おくのほそ道』鶴岡で詠んだ句「あつみ山や吹浦かけて夕すずみ」という句を芭蕉は詠んでいる。この句の上五に「や」を付け、字余りにしている。この句の場合も「あつみ山」では気持ちが籠らない。「あつみ山や」と表現して初めて気持ちが籠る。そのように理解している。
華女 「しおれふす」ということを詠んでいるということね。
句郎 子を亡くすということはさかさまの世だ。雪の重みにしおれ伏す竹のようだと子を亡くした人の気持ちを表現してお悔やみを述べた。
華女 子を亡くした親の気持ちに芭蕉は寄り添った。親御さんの気持ちに寄り添うことが追悼するということなのね。
句郎 竹林に降った雪の景色を見て、そこに子を亡くした親の気持ちを表現した。
華女 「雪の竹」を詠んで人間が生きる哀しみを表現したということね。
句郎 自然の景色を描いた絵画も人間を表現しているという話を若いころ聞いたことがある。  
華女 絵も音楽も文学もすべて人間を表現しているということなのね。
句郎 自分の隣にいる人の気持ちに寄り添うということが人を理解するということなんだろうと思う。
華女 寄り添うということは同じ気持ちになるということなのよね。
句郎 隣の人の気持ちに寄り添うことが俳諧の発句を詠むということだと気付いたのかもしれない。俳諧を楽しむということを通じて芭蕉は文学の本質を知っていった。そのようなことを「しほ(を)れふすや世はさかさまの雪の竹」という句を読んで感じた。