「今日よりや書付消さん笠の露」元禄二年 芭蕉
句郎 「今日よりや書付消さん笠の露」。『おくのほそ道』、山中温泉を曽良が先に旅立つにあたって芭蕉が詠んだ送別の句がこの句だ。
華女 芭蕉は曽良と一緒に江戸を立ってずっと一緒に『おくのほそ道』の旅をしてきたのよね。山中温泉で芭蕉と曽良は別れ別れになったということなのね。
句郎 今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によると元禄二年八月五日に曽良への送別吟「今日よりや」の句を芭蕉は詠んでいる。
華女 『曽良旅日記』八月
五日にはどのようなことが記入されているかしら。
句郎 『おくのほそ道』には、「曽良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立て行に」とあるが、『曽良旅日記』には「腹を病て」というようなことは何も書いていない。
華女 曽良が腹を病んだというのなら、普通なら山中温泉に逗留するというのが普通よね。体の具合が悪いのに一人で山中温泉から伊勢まで一人、旅立つて行くというのは変ね。
句郎 でしょ。だから山中
温泉で曽良が腹を病んだというのは嘘だという説がある。近世文学者の復本一郎神奈川大学教授は言っている。曽良が腹を病んだというのは嘘だとね。
華女 『おくのほそ道』にはフィクションがちりばめられているのね。
句郎 『おくのほそ道』は文学作品だからね。
華女 長旅を一緒にしてきた曽良との別れの挨拶の句を詠んだ句が「今日よりや」の句ということね。
句郎 人生とは人との出会いと別れのようだから、芭蕉にはたくさんの別れの挨拶句がある。
華女 芭蕉の別れの句の傑作は何という句だと句郎君は思っているの?
句郎 気に入っている句は、「麦の穂を便りにつかむ別れかな」。元禄七年五月十一日、芭蕉は江戸を立って帰省の最後の旅に出る。品川で門人との別れに際して詠んだ留別の句が「麦の穂を」の句だ。十月、芭蕉は大坂で亡くなる。
華女 「麦の穂を」の句、とてもいい句ね。このような句が詠めるといいなぁーと思うわ。でも詠めないのよね。
句郎 簡単そうに見えて難しい。料理にしても、スポーツにしても、職人の仕事はすべて簡単そうに見えて、とても難しい。
華女 「今日よりや書付消さん」の「書付」とは、何なのかしら。
句郎 旅人は日よけの笠を被っていた。その笠には「乾坤無住同行二人」と書いていた。
華女 「天地に居住する場所を持たず、大師様と二人」という今では四国遍路の旅に出る人が編笠に書いている言葉ね。江戸時代の旅人は今の遍路の旅だったのね。
句郎 当時の旅は死を覚悟した旅であったんだろう。同行二人の曽良が去り、私一人になってしまう。その哀しみを詠んでいるのではないかと思う。
華女 笠に落ちる露が書付を消し去っていくように曽良が身の傍から離れていく悲しみね。
句郎 曽良自身もまた芭蕉を置いたまま立ち去る苦しみがあった。その思いを超える理由、公にできない理由が曽良にはあった。芭蕉も納得せざるを得ない理由があった。それが曽良忍者説かな。