醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  895号  白井一道

2018-10-29 10:09:02 | 随筆・小説


  「蚤虱(のみしらみ)馬の尿する枕もと」  芭蕉  元禄二年


句郎 「蚤虱(のみしらみ)馬の尿する枕もと」。『おくのほそ道』に載せてある知る人ぞ知る句の一つかな。
華女 「尿」の字の読み方に歴史があるんでしょ。
句郎 高校生の頃は、「尿」を「しと」すると読んでいたように思うな。
華女 そうでしょ。いつごろからか、「尿」を「ばり」すると読むようになったのよね。
句郎 『日本古典文学全集』には次のように書いてあるそうだ。「『おくのほそ道』曾良本に「ハリ」と振り仮名。「ばり」と読む
説もあるが、本文の「尿前」を「しと」と読んで、同字をすぐ「ばり」と読むのは不自然。芭蕉は推敲のたびにだんだんおとなしい形に直すのが常だから、初案はともかく、『おくのほそ道』中では「しと」がよい。奥州地方の農家は母屋内に馬を飼っているので、人馬同居する風俗に興じたもの」とね。
華女 今から二、三十年前に出版されているのかしらね。私も高校生の頃は、「尿」の字を「しと」と読んでいたように記憶しているわ。
句郎 後に『新潮日本古典集成』では「蚤や虱に食われて眠られぬに、更に馬がいきなり小便を枕もとで放つといった辺土の寝苦しい旅寝である。当時獣類の小便を「ばり」と言う。それを「尿」と漢字表記して地名の「尿前(しとまへ)に掛けた」と説明している。
華女 「読み」にも歴史があるということね。この句は「尿前(しとまえ)の関」で詠まれているのよね。だから「尿前(しとまえ)」に掛けて「尿(しと)する」と読むのが自然かなと思っていたわ。
句郎 そうだよね。文芸評論家にして小説も書いた臼井吉見が著書『日本語の周辺』の中で次のようなことを書く。「蚤虱馬の尿する枕もとー『おくのほそみち』の中の句ですが、尿はバリとこの地方の俗語で読むべきでしょう。曾良本にハリとルビがふってありますが、これもバリのつもりでしょう。尿前(しとまえ)の関の句だから、それに合わせて尿(しと)すると読むという考えもありましょうが、ここはぜひともバリと読みたいところです。シトは和歌的連歌的用語ですが、バリは鄙びた俗語であって、いまならションベンとでもいうところでしょうが、この句は蚤や虱など伝統的な和歌や連歌からはねのけられたものを受け入れて、和歌・連歌にひけをとらない美の世界を開拓した俳諧の面目からしても、バリと読んだほうがぐんと効果的だと思います」とね。
華女 「しと」は和歌の言葉、「ばり」は俳諧の言葉。納得しちゃうわね。俳諧を芭蕉は詠んでいるのだから、「尿」は「ばり」と読むべきなのね。
句郎 確かに和歌の言葉の世界を芭蕉は拡大し、農民や町人が用いた言葉で新しい美意識を表現した。その一つが「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと」だった。
華女 農民の日常の真実が表現されていると思うわ。
句郎 農民や町人の真実を表現するには、農民や町人が普段用いる言葉でなければ、農民や町人の気持ちや心は表現できない。
華女 農民の言葉には農民の魂が籠っている。魂の籠った言葉でこそ農民の真実が表現できる。