五月雨のふりのこしてや光堂 芭蕉 元禄2年
句郎 「五月雨の降のこしてや光堂」。『おくのほそ道』に載せてある句の中の有名な句の一つだ。
華女 平泉中尊寺で芭蕉が詠んだ句よね。
句郎 高校生の頃、この句の解釈について試験問題に出されてことを覚えているな。
華女 どんな内容の問題だったのかも覚えているの。
句郎 覚えているよ。時間的な解釈と空間的な解釈がある。その違いを述べよ。このような問題だったかな。
華女 半世紀も前の問題をよく覚えていたものね。
句郎 私は成績が良くなかったからね。覚えているのかもしれない。
華女 時間的な解釈と空間的な解釈とは、どのようなものなのかしら。
句郎 時間的解釈とは、五百年間もの間、よくもまぁー、雨風に曝されながら光り輝いていることよと、いう解釈かな。このような解釈に対して空間的な解釈とは、中尊寺光堂の霊験が雨風から空間的に五百年間守り通したと、いう解釈かな。
華女 芭蕉が平泉中尊寺を訪れた時には、大きなお堂の中に光堂はあったの
よね。光堂は五月雨や風に曝されていたわけじゃないのよね。
句郎 事実としてはそういうことかな。
華女 五月雨を詠んだ芭蕉の句の中でも有名な句の一つなんでしょ。
句郎 「五月雨を集めて早し最上川」。この句の方がもしかしたら人々によく知られている句かもしれない。
華女 「五月雨を集めて早し最上川」。確かにこの句の方がよく知られているのかもしれないわ。今でも梅雨の頃になると新聞記事に「五月雨や大河を前に家二軒」、蕪村の句と比較して芭蕉の句を書いているコラム記事を読むことがあるわね、
句郎 芭蕉は雨が好きだったのかもしれないな。芭蕉忌のことを時雨忌と云うくらいだから。
華女 芭蕉は元禄七年(1694)十月十二日(新暦十一月二八日)に亡くなっているからだけじゃなく、時雨が好きだったのよね。
句郎 五月雨も好きだったのかもしれない。「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」。この句も芭蕉の五月雨を詠んだ名句の一つかもしれない。
華女 瀬田の大橋はもう芭蕉の時代にはあったのね。この句も良いわ。
句郎 「五月雨を集めて早し最上川」に匹敵する大井川を詠んだ五月雨の句「五月雨の空吹き落せ大井川」、この句に漲る力は最上川を詠んだ五月雨の句に匹敵するように感じるよね。
華女 今思い出したわ。芭蕉は近江が好きだったのよね。「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」。この句も五月雨を詠んだ芭蕉の句でしょ。この句も俳句を趣味している人は誰でも知っている芭蕉の句の一つなんじゃないかしら。
句郎 『おくのほそ道』に載せてある有名な句「象潟や雨に西施が合歓の花」も五月雨に濡れた合歓の花を詠んだ句なのじゃないのかな。
華女 思い起こすと五月雨を詠んだ芭蕉の句には名句があるということに改めて気が付くわね。
句郎 旅に生きた芭蕉はきっと雨に降られた何回もの経験から雨を厭うのではなく、肯定的なものとして受け入れて行こうとした結果なのかな。