きりぎりすに芭蕉は何を詠んだのか
句郎 キリギリスを詠んだ芭蕉の句が五句ある。元禄二年に詠んだ「むざんやな甲のしたのきりぎりす」、元禄三年作の「白髪抜く枕の下やきりぎりす」、元禄四年「淋しさや釘に掛けたるきりぎりす」、元禄七年「猪の床にも入るやきりぎりす」、年次不詳「朝な朝な手習ひすゝむきりぎりす」の五句が伝わっている。この句の中で華女さんが一番良いなと思う句はどの句かな。
華女 予備知識なしに分かる句は元禄三年作の「白髪抜く枕の下やきりぎり
す」ね。ほかの四句は予備知識がなくては分からない句ね。
句郎 「むざんやな」の句も謡曲『実盛』を芭蕉は思い出していたのかなという想像があって初めてなるほどということなる。謡曲『実盛』がどのような内容の話なのかを知っていなければ伝わってこない句だね。
華女 そうなのよ。そのような句は人びとから忘れられていく句なんじゃないかしら。
句郎 そうするとかろうじて残っていく句は元禄三年作の「白髪抜く枕の下
やきりぎりす」だけということになるね。
華女 「きりぎりす」という季語についての理解が必要ね。
句郎 元禄時代に「きりぎりす」と言われていた虫はコウロギのようだからね。
華女 平安時代からじゃないのかしら? 古今集に「きりぎりす鳴くや霜夜のさ莚(むしろ)に衣片敷きひとりかも寝む」と藤原良経が詠んでいるわよ。
句郎 コウロギの古称がきりぎりすと古語辞典にある。現在のきりぎりすを昔は「はたおり」と呼んでいたようだ。
華女 キリギリスの鳴き声に哀れさを発見したものが句になったということね。
句郎 「むざんやな」の句も源平の合戦に活躍した武人の哀れを詠んだということかな。
華女 「白髪抜く」の句も無常観という哀れを表現した句ね。
句郎 無常なる人間世界の哀れを嘆くのではなく、笑ったのが芭蕉の俳句なんじゃないのかな。
華女 分かるわ。芭蕉は髪の毛を掻きむしったんじゃないのそかしら、抜けた髪の毛が白髪だった。このことを詠んだ句が「白髪抜く」の句よ。白髪を見て芭蕉は微笑んだのよ。
句郎 「むざんやな」の句も笑いなのかもしれないな。
華女 元禄四年の「淋しさや釘に掛けたるきりぎりす」。「釘に掛けたるきりぎりす」が今いち、分かりづらいけど、この句も笑いの句なのかしら。
句郎 きりぎりすが釘にかけてあるなんてあり得ないよね。きりぎりすを描いた絵が釘にかけられていたんじゃないのかな。
女 あっ、そういうことね。絵に描かれたきりぎりすが壁の釘にかけられていると寂しく感じるもんねということね。
句郎 庶民のあばら家の壁にむき出しの釘が打たれ、そこにきりぎりすの絵がかかっている。こんなところにあってもきりぎりすの鳴き声を思い起こすと寂しさがあるねと、笑ったのかもしれない。
華女 無常観の哀れを嘆いたのが和歌だったとしたら、無常観の哀れを笑ったのが芭蕉の俳句だったということなのね。