「助詞」の働きについて
「住吉に住みなす空 □ 花火かな」 阿波野青畝
右の句の□に一字を入れて下さいと岸本尚毅氏は静かに話した。俳句経験のある二人の女性は「の」の字を入れた。テレビを見ていた私も「の」かなと思って見ていた。解答は「は」であった。そうか、「は」なんだ。「は」にすることによってこの句は俳句になった。「の」では凡庸ななんでもない言葉に過ぎない。俳句は助詞の働きによって俳句になる。岸本氏は阿波野青畝の句「水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首」を紹介し「へ」は動きを表現すると述べた。この句を聞いて名句だと思った。宇治平等院鳳凰堂の前には池がある。水の揺れる鳳凰堂を眺めていると蛇が泳いでいく姿を阿波野青畝は見たのだろう。何でもない当たり前のようなちょっとした出来事を述べたに過ぎないが単なる文章ではなく、俳句を感じさせる力がこの句にはある。
「水馬(みずすまし)鳳凰堂をゆるがせる」飴山實
最小限の言葉が大きなことを表現する。大きなお堂をアメンボが揺るがす。大きな働きをする言葉が助詞「を」なんだ。
芭蕉の句「今朝の雪根深を園の枝折哉」がある。
雪景色の中にネギが突っ立っている。あそこがネギ畑なんだと教えてくれる。根深が園の枝折哉と詠んだのでは単なる平叙文に過ぎないが「根深を園の枝折哉」とすることで雪の原の大きさが表現されている。俳句だと読者を納得させる。
助詞の大切さを岸本氏に教えられたテレビ番組だった。