象潟や雨に西施がねぶの花
象潟に咲く合歓の花に雨が降っているところは古代中国・春秋時代、越国の美女、西施がまどろんでいるようだ。「ねぶ」という言葉が掛詞になっている。「ねぶの花」という言葉に「眠っている」という意味を含ませている。
この句は「西施」という言葉が何を意味しているかを知らなければ鑑賞することができない。高校生の頃、私は「西施」を楊貴妃と並ぶ中国の絶世の美女だと教わったような気がする。夏、磯でまどろんでいると雨が降ってきた。夏の強い雨をものともしないですやすやと眠っている美女を想像したように思う。そうずっーと思ってきた。
今回、「奥の細道」を読み、私が想像していたようなものとは違ってる。こう思った。今まで三回ほど「奥の細道」を読んだことがある。にもかかわらず、記憶に残っていなかったことがある。それはこの句の前に「象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」この文章がある。美女、西施の美しさはうらむがごとく、
寂しさに悲しみを加え、悩んでいる姿ではないかと感じた。
西施は越の王から呉の王に献上された奴隷だった。この女奴隷の悲しみを表現した句ではないか。
呉越同舟という四語熟語がある。春秋時代は小さな都市国家がいくつも出現した時代である。それらの小さな国々が興亡を繰り返し、最終的には戦国の七雄といわれる七つの国にまとまっていく。その過程は戦乱につぐ戦乱であった。最終的には中国南部の地域は呉の国に統一されていく。この呉の国の文化が日本に影響を与えた。その一つに呉服がある。呉服の起源は呉の国の服装であった。また漢字に呉音読みがある。これは当時の呉の国の漢字の読みの音に違いない。呉は大国であった。呉が大国になっていく過程で敵国の越の国の人と同じ船に乗ることを呉越同舟という。また「臥薪嘗胆」という四語熟語がある。日清戦争後、下関条約で遼東半島の割譲を清国に承認させたが、三国干渉によって遼東半島を清に返還させられた。この時、欧米諸国に復讐を誓ったスロ
ーガンが「臥薪嘗胆」である。薪の上に臥して屈辱を忘れない。三国干渉の屈辱を忘れてなるものか。
同じように越の国が呉の国への復讐を誓った言葉が「臥薪嘗胆」である。
復讐に燃える越の国の男たち、女の体に溺れる呉の国の男にそんな戦などどうでもいいではないか。戦の好きな男たちに対するやり切れない哀しみ、寂しさに満ちた儚い美しさが篠つく夏の雨ではなく、霧雨に煙るような雨に打たれて眠る西施の姿を芭蕉は胸に描いて詠んだ句ではないかと考えるようになった。
臥薪嘗胆などという復讐を誓う男がいなければ、呉の王に女を贈り物として届けられるようなことはなかった。戦の好きな男に対する深い絶望に裏打ちされた女の哀しみを表現したのが「象潟や雨に西施がねぶの花」という句ではないか、こんな考えを持つようになった。
古代ギリシアでも同じように戦を好む男を笑う喜劇「女の平和」という演劇がある。男は戦が好き。女は平和が好き。女たちが団結して男たちに戦をやめさせる芝居である。