涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉 元禄二年
上手い。木陰で休んだ。これだけのことをこのように表現したことに技ありと、感じた。この私の解釈がいいと思う。このような解釈ではないと、岩波文庫の「奥の細道」には次のような解釈が出ている。「他人の家であることを忘れ、涼しさを一人じめにして、のんびりとくつろぐことであるの意」。
また芭蕉は尾花沢の紅花問屋の豪商・鈴木道祐、俳号・清風の宅に招かれ、心ずくしのもてなしに対するお礼の一句だと長谷川櫂は「奥の細道」を読むのなかで説明している。
清風への挨拶の句だという解説は文学史的には正しいのだろう。しかし俳句は読者のものである。この俳句をどのように読むかは読者の自由である。俳句の自由な読みに俳句の楽しみがある。曽良旅日記によれば旧暦の五月二十一に芭蕉たちは清風宅に泊まっている。この日を太陽暦に換算すると、七月七日になる。七月初旬の頃になると山形県尾花沢のあたりでも暑かった。三日前の昼間、寺にて風呂をもらったことが曽良旅日
記に書いてある。徒歩での旅である。風呂は日記に書く事項だった。木陰での一服は心を癒した。道野辺の木陰で旅の疲れを癒した。その涼しさを表現した。私は自分の解釈に満足なのだ。
テキストに沿って見ると違うという意見が聞こえてくる。その理由の一つが「ねまる」という言葉だ。
「ねまる」とは尾花沢地方の方言である。尾花沢地方だけではなく日本各地に「くつろぐ」というような意味を表す言葉、「ねまる」がある。この言葉は古い言葉で元禄時代の江戸ではもう使われてはいなかった。平安時代ごろには都のあった京都では使われていたのだろう。都で使われていた言葉が時間の経過とともに地方で使われるようになる。それと同時に都では使われなくなる。昔、都で使われていた言葉が方言となって地方に残っている。この言葉を芭蕉が用いている。その理由は清風への心遣いである。こう考えれば萩原恭男や長谷川櫂の解釈が妥当性をもつ根拠になるでろう。俳句とは挨拶である。挨拶とはその場での即興である。この即興性に俳句の特徴が
ある。和やかな挨拶にはユーモアがあると一層親しみが増す。諧謔、ユーモアが「ねまる」という尾花沢で使われている言葉、方言にはある。この言葉を使っていることによってますます「涼しさを我宿にしてねまる也」という句は挨拶句であるという理由になる。私もそう思う。
しかし道野辺の木陰で旅の疲れを癒したという解釈の方がこの俳句は力を持つ。道野辺の木陰を我宿にして旅の疲れを癒し、くつろいだ。この解釈がいい。
一箇所に命を懸ける一所懸命の農民とは違って旅に生き、旅に死ぬ漂泊の詩人芭蕉は道野辺の木陰を我宿にした。その方が俳句に深みがある。
道野辺の木陰を我宿にする。ここには一箇所に留まって生活する者ではない漂泊の人生に生きる詩人の魂がある。このような解釈をしてこそ芭蕉の心に近づくことができる。
木陰で休む一筋の風に生きる喜びを知る。それが漂泊の詩人だ。それは厳しい旅をしている者だからこそ知る喜びなのでろう。この句は漂泊に生きる喜びを詠んでいるのだ。