道のべの木(む)槿(くげ)は馬に食われけり
「野ざらし紀行」に載っている句の一つである。この紀行文の最初の句が有名な「野ざらしを心に風のしむ身かな」である。旅に死ぬ私の髑髏(されこうべ)が野ざらしになっていることを想像すると心の中に吹く秋風が冷たく寒い。旅に生き、旅に死ぬ覚悟を詠んだ句である。時に芭蕉四十一歳、貞享元年(1684)、元禄時代の直前である。こんなに重い覚悟の句の直後に芭蕉は馬上吟の句、「道のべの木槿は馬に食われけり」と詠んでいる。この句が「軽み」を表現した句である。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」、この句はとても重い。死ぬ覚悟ができると心が軽やかになったのであろう。すべての柵(しがらみ)から解放され、後ろ髪引かれるものが無くなったのであろう。日常普段に眼にするものをそのまま表現する。卑近なものであっても卑俗にならない。ここにこの句が軽みを表現していると言われる
所以がある。モーツアルトの音楽の軽快さに共通するものがある。
芭蕉と曽良、他の門人たちは深川の芭蕉庵から隅田川をさかのぼり千住で船をあがる。門人たちは芭蕉と曽良の後姿が見えなくなるまで見送ってくれた。そのときに詠んだ句が「行春や鳥啼魚の目は泪」である。なんと後髪の引かれる思いであったことでろう。門人たちは皆、目に泪をたたえ、別れを惜しんでいる。それはもう二度とまみえることがないだろうという不安を抱えていたからである。芭
蕉たちもまた振り返ることもなく足早に後姿が小さくなっていった。
このような重い別れであったのに比べて「奥の細道」最後の句「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」、大垣に駆けつけてくれた門人たちとの別れのを詠んだ句はなんとも軽い。大きな旅を無事終えた芭蕉にとっては身も心も軽くなっていたことでろう。そんな気持ちの軽さが表現されている。ここにも軽みがある。
将来を背負ったときには荷の重さが心を占める。人生の歩みが始まってしまえ
ば心は軽くなるものなのかもしれない。忙しい毎日が過ぎていく。その忙しさに人間は楽しみを見出していく。歩く足裏の痛みもいつしか笑いの種になる。日射しの暑さに咽の渇きを覚えることがあったても井戸水で咽を潤す喜びがある。風の音に秋の訪れを感じる寒さがやってきても迎え入れてくれる門人たちのぬくもりに癒される。雨に濡れる冷たさはあっても見飽きることのない景色を心にとどめていく楽しさは今、生きているという実感があったであろう。
テクテク歩く旅を通して芭蕉は人間の本質を究めた。その人間の本質とは重く悩み苦しむことではなく、生活を楽しむ軽さにあると気づいたのである。
生きる苦しみにではなく、生きる楽しみに人間の本質はある。老いの苦しみに老いの本質があるのではなく、老いの楽しみに人間の本質はある。
死ぬ危険性をたたえた旅を真正面から受け入れたとき、実感をもって知った人間の本質であった。この現実を肯定的に受け入れることによってこの現実を変える力を得るのだ。