終戦間もない頃、父に連れられてこの地に来ていたのです。
父は土産物の製造と卸業をやっていました。近鉄吉野駅前から続く土産物店への売り込みです。
幼い私は近鉄駅の待合室で父が戻って来るのを待っていました。
すぐ戻るからと言って出かけた父が、
なかなか戻って来ないので今にも泣き出しそう顔で不安げに駅前の広場を眺めていました。
その時の風景が心象となって、今でも夢に出てきます。
近鉄吉野駅から大阪の難波に向う車中で、父の若い頃の話をしてくれました。
父が小学生の頃、学校から帰ると家財道具の全てに赤い紙片が貼られていたそうです。
そして、その日から生活が一変し貧乏を味わうことになったそうです。