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バブルの絶頂期にも陰りが出始めると、私の絶頂期も徐々に縮小して行くようでした。運気縮小のトリガーとなったのは病院における副院長と事務長の対立からです。常日頃から、事務長のやり方に批判的だった副院長の事務長への攻撃が年々エスカレートして行ったのです。そして、いつの間にか主な職員達は副院長派と事務長派に色分けされ対立の構図が出来ていたのです。悪いことに、私は副院長派の総師のような立場になっていました。私は二人の和解に色々と尽力しましたが副院長の頑健さが和らぐことはありませんでした。事務長の盗聴に近い会話の録音がもとで、副院長は経営者である院長の逆鱗で他の病院に移ってしまいました。。当然、副院長派に無理やり色分けされた職員にも、それなりのペナルティーが課せられ、何人かは依願退職に追い込まれてしまいました。副院長派の総師と言われた私でしたが、抗争中の仲介や院長への意見具申書が幸いしたのか、特段のペナルティーを受けることはありませんでした。それが、ペナルティーを受けた人達からの反感となり、私のバブルも急速に収縮して行きました。
副院長の更迭の後ち大学の医局人事で病院医局の総入れ替えがあったり、副院長派だった職員へのペナルティーで病院全体に沈滞ムードが広がり急速に活気が失われて行きました。医局員もタイムカードで管理されるようになり、物言わぬ沈黙の会議がやたら多くなり、事務長がいくら笛吹き踊っても冷笑で受け流す雰囲気が常態化して行きました。チーム医療だ、コメディカルだと言われなくても、医局と和気あいあいで、治療に検査に看護にリハビリに取り組んできた病院の日々は遠い過去のものとなってしまいました。検査科には、いつもティーテル・アルバイトの医局員や、メディカルスタッフとディスカッションする医局員や、将棋や囲碁に興じる医局員や、看護研究や画像処理や臨床工学の研究に来る看護師、放射線技師、理学・作業療法士で一杯でした。
ここでは、ニューメディカルの熱き波を肌で感じることが出来ました。そして、私にとってもダイナミックに輝き生きた日々だったのです。
次回からは「やさしい医学統計手法」を経験談でご紹介します。