統計ブログはじめました!

各専門分野の統計技術、方法、テクニックなどを気ままに分かり易く例題をもとに解説します。

独立業務請負業(最終)

2007-01-21 18:09:26 | 日記・エッセイ・コラム

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統計データの分析や解析のご依頼は「情報統計研究所」にお問合せ下さい。

情報統計研究所(ISL)のご紹介

バブルの絶頂期にも陰りが出始めると、私の絶頂期も徐々に縮小して行くようでした。運気縮小のトリガーとなったのは病院における副院長と事務長の対立からです。常日頃から、事務長のやり方に批判的だった副院長の事務長への攻撃が年々エスカレートして行ったのです。そして、いつの間にか主な職員達は副院長派と事務長派に色分けされ対立の構図が出来ていたのです。悪いことに、私は副院長派の総師のような立場になっていました。私は二人の和解に色々と尽力しましたが副院長の頑健さが和らぐことはありませんでした。事務長の盗聴に近い会話の録音がもとで、副院長は経営者である院長の逆鱗で他の病院に移ってしまいました。。当然、副院長派に無理やり色分けされた職員にも、それなりのペナルティーが課せられ、何人かは依願退職に追い込まれてしまいました。副院長派の総師と言われた私でしたが、抗争中の仲介や院長への意見具申書が幸いしたのか、特段のペナルティーを受けることはありませんでした。それが、ペナルティーを受けた人達からの反感となり、私のバブルも急速に収縮して行きました。

副院長の更迭の後ち大学の医局人事で病院医局の総入れ替えがあったり、副院長派だった職員へのペナルティーで病院全体に沈滞ムードが広がり急速に活気が失われて行きました。医局員もタイムカードで管理されるようになり、物言わぬ沈黙の会議がやたら多くなり、事務長がいくら笛吹き踊っても冷笑で受け流す雰囲気が常態化して行きました。チーム医療だ、コメディカルだと言われなくても、医局と和気あいあいで、治療に検査に看護にリハビリに取り組んできた病院の日々は遠い過去のものとなってしまいました。検査科には、いつもティーテル・アルバイトの医局員や、メディカルスタッフとディスカッションする医局員や、将棋や囲碁に興じる医局員や、看護研究や画像処理や臨床工学の研究に来る看護師、放射線技師、理学・作業療法士で一杯でした。

ここでは、ニューメディカルの熱き波を肌で感じることが出来ました。そして、私にとってもダイナミックに輝き生きた日々だったのです。

次回からは「やさしい医学統計手法」を経験談でご紹介します。


独立業務請負業(36)

2007-01-16 16:23:11 | 日記・エッセイ・コラム

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病院の正面玄関で私の出勤を待っている人がいました。全く見知らぬ人で某氏の紹介だと言い、試作のオカラで作ったコロッケ、煎餅、パン、うどんなどを試食して欲しいと言います。産業廃棄物になるオカラを使った食品の開発研究に協力して欲しいとのことです。

また、ある時は金属化繊維による抗菌ソックスの開発や、高分子ポリマーを使ったドライブ用簡易排尿袋の開発や、多機能電子タイマー装置の開発など、色々な研究開発の相談者が訪れるようになりました。まさに、

バブル経済の真っ只中で、私を訪ねて来る経営者たちは銀行からいくらでもお金を借りられると豪語していました。ある若いパソコンハウスの経営者は「銀行から金を借りてくれ・・」と再三営業に来ると言っていました。私は「経済は循環しているから、その内に不況が来るから注意しないと・・・」など言っても、当時の若い経営者は「不況・・?、そんな言葉があったっけ・・」などと皆なが浮かれていたバブルの時代だったのです。


独立業務請負業(35)

2007-01-11 17:26:04 | 日記・エッセイ・コラム

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人生において順調な時期は全てが順調で、色々な人達が訪ねて来るようになった。訪問者は医療関係者だけではなかった。ある日の突然の訪問者には驚かされた。 その訪問者は不自由な足を引きずりながら、姉の介添で私の部屋に入って来た。私は初対面の二人から訪問の理由を聞くことになった。それは、「霊芝を煎じたドリンク剤を開発した、ついては、ドリンク剤の成分表を見て欲しい」と言って、有名な国立大学での分析成分表を渡され、「良い商品なので販売ルートを紹介して欲しい」とのことだった。私が躊躇していると、突然、床に土下座して一家の生活がかかっているので是非とも販売先を紹介して欲しいと懇願するのです。よくよく話を聞くと、足が不自由になり勤めていた会社を退職した後、住居の一部を改造して大きな釜を据え霊芝を煎じ、やっと製品化出来たとのとである。私は二人のあまりの熱心さに「九州の福岡でよければ・・・」と知り合いへの紹介状を書いて渡した。 それから、何ヶ月か経ったか忘れましたが、彼から電話があり福岡の有名なデパートに商品を置いて貰えることになったと言うのです。電話の先で泣いているのが分かりました。彼のお姉さんや娘さんも電話で礼を述べながら泣いていました。 私が特段のお世話をした訳ではありませんが、何だか感激してしまいました。それから音信はありませんが、当地のデパートでも「霊芝ドリンク」を見かけたものですから、きっと成功したのだと信じています。

独立業務請負業(34)

2007-01-03 19:23:26 | 日記・エッセイ・コラム
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情報統計研究所(ISL)のご紹介

>病院検査科のパソコンは「日立ベーシックマスタ・レベルⅡ」から「シャープMZシリーズ」、そして「NEC9801シリーズ」へと変遷をかさね、OSもWindowsに代わったが、検査科のパソコンシステムは相変わらずの自作で通した。後に自作システムが良かったかどうかは疑問であるが、私個人の能力を高めたことは事実である。私にとって幸いなことはパソコン言語が良く理解できたことである。パソコンを使えば難解な数学も簡単に解ける。特に、統計的問題ではFORTRANライブラリーからBASICへ、そしてC言語への移植が容易で大いに役立った。私は夢中で統計的・数学的な問題に挑戦しその成果を学会などで発表していた。そんな時、私の計量診断に関する論文が公衆衛生学教室の有名な教授の目に留まり、統計学に関する出版の話が舞い込んできた。それからは、私の原稿を同教授が目を通し了解されれば、同大学工学部の助教授の元に行き統計プログラムの点検を受ける日々が続いた。医学部教授と工学部助教授の意見の相違やプログラムのオリジナルの問題など、原稿執筆とプログラム作成、デバッグなど深夜に及ぶ作業が続いた。病院でのルーチン業務の間にもオリジナルプログラムの作成に注力しないと予定日までに間に合わない。しかし、難解な数学的な問題で数行のプログラムのために1週間を要することもあった。1週間目の深夜に完成したプログラムを一瞬で消してしまい絶叫したこと、解けない問題が夢の中で解けたことなど色々な試行が何故か全てプラスになり有名出版社からの上梓を果たすことが出来た。