遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『橘花抄』 葉室 麟  新潮社

2011-12-24 19:51:37 | レビュー
 父・黒田光之と長男・綱之の対立、綱之の廃嫡及び三男長寛(黒田綱政)の立嫡という福岡藩における藩政権の変転が本書の背景である。藩主黒田家の親子・兄弟間で繰り広げられた藩政権力奪取の確執のおぞましさ。その渦中で福岡藩黒田家にとってのあるべき姿は何か、臣下としての道を貫いた立花重根とその弟峯均、そして、その二人に関わりを深めていく卯乃という女性が主人公である。
 一連の事件は黒田忠之時代の黒田騒動になぞらえて、第二黒田騒動と呼ばれることもあるようだ。福岡藩黒田家の存続継承において、どのような政治的確執が続き、藩主・家臣がどのように動いたか、それはなぜ?武士道とは?という、藩政治に絡む人々の思惑と行動が一つのテーマになっている。

 一方、この騒動の中で、様々な「愛」の形が織り込まれている。そしてそれらが絡み合いながら、ストーリーが進展する。秘められた愛が本書のもう一つのテーマである。
 そして、さらに本書の底流で「香」が常に漂っていく。「香を聞く」という行為が様々な局面で人の心の奥底を省みるという位置づけで使われている。この香道の世界がサブ・テーマになっているように思った。そして「香」に照応して和歌が引用されているというのも興味深い。
 本書を通じて、香道というものがどのようなもかを知ることができた。かつて何度か香道具を博物館の展示でみたことがある。どのように使うのかそれほど深くは考えなかった。本書でそのイメージが膨らんだ。そこでこの機会に、ネット検索もしてみた。また、今年の正倉院展で再び見た、蘭奢待の香木を思い浮かべた。

 藩政治というテーマ
 立花五郎左衛門重根の父は三代藩主光之に重用され、新参から家老にまで昇りつめ藩政を支えた人物だった。それ故多くの敵もできた。重根は、光之が嫡男綱之を廃嫡し藩主の座を三男綱政に譲った後、彼の許で隠居付頭取を務めている。綱之は僧形となり黒田泰雲と名乗るが、藩主に返り咲く望みを抱き画策を続け、父を恨み、実弟の藩政治に不満を漏らす。綱政に藩主を譲っても、光之は実権をなかなか譲ろうとはしない。光之は綱政の政治力量が泰雲より劣ると判断している。綱政は父のやり方に不満を抱きながら、一方で実兄泰雲の力量にコンプレックスを抱いている。家老隅田清左衛門は財政を取り仕切る人物だが、藩主綱政を第一に考え、泰雲と立花重根潰しの策謀を様々に実行する。

 重根は光之が泰雲を許し、良い父子の関係に復するために働き続ける。しかし、その行動は隅田清左衛門には、綱政廃嫡への動きであり、重根が政治の実権を握りたいためだと見える。藩主父子間の確執、家臣間の確執。その中で、隅田清左衛門の動きを推察しながら、その誤解をものともせず、黒田家存続におけるあるべき道のために何をなすべきかを信念として重根の行動が続く。その結果は厳しい結末に至るのだが・・・
 重根の生き様は爽やかである。本書に描かれたような生き様を実際どれだけの武士が行っていたことだろうか。これを現代の企業に重ね合わせたら・・・・果たして??

 峯均は綱政の小姓組に出仕していたが、小笠原家の使者津田天馬との立ち合いで敗れ、藩主の不興を買う。花房家の婿養子に入っていたが離縁され、娘奈津とともに立花家に戻る。そして、剣術修業に励み、宮本武蔵の始めた二天流を相伝されるまでになる。この峯均が兄重根を助けて行く。そこでも津田天馬との対決が最後までつきまとう。


 秘められた愛というテーマ
 泰雲の家臣だった村上庄兵衛は娘卯之を残し自害する。そこには泰雲の復権への動き・風聞が背景にあった。14歳の春、卯乃は立花重根に引き取られる。18歳になった8月、卯乃は重根の後添えにと望まれる。しかしその直後に父の友人と称する武士から亡父と重根に関わる讒言を聞く。心乱れる卯乃は翌年正月失明する。
 そして重根の継母りくが峯均と住む伊崎の屋敷に移り住むことになる。
 重根の卯乃に対する愛、強引に離縁させられた峯均の元の妻さえの峯均に対する愛、峯均の秘めた愛、卯乃の秘めた愛、りくの卯乃にかける愛、同じ屋敷に住むようになって奈津と卯乃の間に育まれていく愛、様々な愛が相互に関わり絡み合う・・・・


 香の世界というテーマ
 りくが卯乃に「香を聞く」とはどういうことかを伝授していくプロセスが描かれている。香が様々に人の心理状態を投影するものとして、底流に漂っていく。特に卯乃の自己省察、内面描写に重要な役割を果たし続ける。
 本書の中で、香道の世界の一端が見えてくるように感じた。著者の見識が反映しているのであろうか。


 主人公立花重根は、茶の道では実山と号し、千利休のわび茶の精神を伝える茶道秘伝書『南方録』を世に出したことで江戸にまで名を知られた人物でもある。かれの生き様にその精神は反映していく。
 一方、峯均は、二天流の相伝を受けた二天流五世である。流罪を許された後、峯均は『南方録』を書写するとともに、武蔵の事績を『丹治峯均筆記』として書き残したという。
 本書が、巌流島の決闘について、通説とは違う異伝をこの書から引用して締め括っているのがおもしろい。

 本書から印象深い文をいくつか抜き書きする。

「泣くでない。泣かなければ明日は良い日が来るのだ」「ようこらえたな。やがて嬉しい涙を流す日も来よう」  (p6)
・黙られい。家臣の努めは、主君に唯々諾々と従うことばかりではござるまい。主君に誤りがあれば、諫言いたすのが家臣の道でござる。なぜ、大殿を諫めようとはされなんだ。(p136)
・ひとは会うべきひとには、会えるものだと思っております。たとえ、ともに歩むことができずとも、巡り合えただけで仕合せなのではないでしょうか。 (p165)
・何かを守ろうとする者は、そのために捨てねばならぬものも多いのです。 (p292)
・わしはわしのままでいようと思う。 (p316)
・ひとは誰しも思い通りに生きることはできない。何のためにこの世に生を享けたのか。思い惑うことばかりだった。だが、生きなければならない。念ずれば必ず通ず。(p317)
・負けぬというのは、おのれを見失わぬことだ。勝ってもおのれを見失えば、それはおのれの心に負けたことになる。勝負を争う剣は空虚だ。 (p341)

 本書の題「橘花抄」は、重根が配流先で亡くなった後、治療を受け光を取り戻した卯乃が、同様に小呂島に配流の身となっている峯均に送った短冊の和歌「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」から来ているようだ。
 しかし、この題には、「立花」という家名も秘められていると受けとめた。



ご一読、ありがとうございます。

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本書の背景を広げるためのネット検索として:

立花重根 ← 立花実山 :ウィキペディア
『~実山、終焉の地~』 :鯰田・立花実山・浄善寺
立花峯均 :ウィキペディア

南方録  :ウィキペディア
南坊宗啓『南方録』:松岡正剛の千夜千冊 第939話
南方録 実山書写校合 奥書 :福岡市教育委員会
南方録 宝永二年乙酉臘月実山校 合奥書(寧拙書写本):福岡市教育委員会


福岡藩  :ウィキペディア
福岡藩  :江戸三百藩HTML便覧
黒田綱政 :ウィキペディア
奉雲 ← 黒田綱之 :ウィキペディア

香道   :ウィキペディア
香道入門講座 :「御家流香道 桂雪会」のサイトから 
香道への招待 :「有職装束研究 綺陽会」のサイトから

香道の画像検索結果
香道 長濱閑雪 :YouTube
源氏物語 和歌集 演奏:東儀秀樹 源氏香と聞香炉 :YouTube
Japanese Incense Ceremony (Kodo) pt1 :YouTube


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