著者によるこのカンナシリーズは第8作目になる。2008年11月に出版された第1作『 カンナ 飛鳥の光臨』を2009年5月に読んで以来、読み継いできた。
このシリーズは、伊賀にある出賀茂(いずかも)神社から盗み出された社伝『蘇我大臣馬子傳暦』(そがのおおおみうまこでんりゃく)と早乙女諒司の行方を、当神社の跡取りの鴨志田甲斐が友人等の協力を得ながら追跡して全国各地に行く物語である。各作品が各々一つのエピソードを完結させながら、最後に『傳暦』を携える人物がその土地を一足先に去るという形になり、繋がっていく。社伝・人物追跡物語であると共に、訪れる土地にまつわる歴史の謎追跡物語なのだ。
この『蘇我大臣馬子傳暦』を携えて全国各地を転々と移動しているのは、早乙女諒司である。この早乙女諒司は、『傳暦』を奪おうとしていた別の組織に追われている。甲斐はこの早乙女諒司を知っていて、彼の妻である志乃芙からも夫・諒司を見つけて、娘・澪(みお)の許に連れ戻して欲しいと頼まれている。諒司を追う別の組織として前作までに主として出てきていたのは、波多野村雲流である。本書では『玉兎』という組織がさらに現れてくる。そして、早乙女諒司はこの『玉兎』と関係していたことが明らかになる。
さて、鴨志田甲斐は神職なのだが、伊賀服部流という忍びの末裔でもある。甲斐に協力する友人の竜之介は、奈良に本社のある「歴史探究社」という中堅出版社の社員だが甲賀隠岐流の末裔なのだ。ふたりは高校時代の同級生であり、忍びのおちこぼれ仲間として親しくなった。さらに出賀茂神社の職員、加藤丹波の孫娘、貴湖が巻き込まれ協力者に加わる。彼女は東京大学教養学部に入学したのに休学し、出賀茂神社で巫女のアルバイトをしている。歴史にめっぽう強い女性であり、伊勢服部流の末裔でもある。こんな三人が『傳暦』追跡での様々な事件に関わっていく。
また、甲斐にとり親同士が決めた許嫁として、海棠聡美がいる。だが聡美の祖父である海棠鍬次もまた、実は『傳暦』を手中にしようと考えている一人でもある。
なぜ、『蘇我大臣馬子傳暦』がそれほど問題なのか?甲斐ですら、この社伝の存在を盗み出されるまで知らなかったのだ。大化の改新-乙巳(いつし)の変-で、蘇我氏が没落する。その際、彼等一族が書き記した書物は全て焼かれてしまったという。蘇我氏の史書を焼いたのは藤原氏であろう。だが、この『蘇我大臣馬子傳暦』がなぜか秘やかに出賀茂神社に伝え残されてきたのだ。そこには、藤原氏にとって非常に都合の悪い「真実」が書かれているのかも知れない。この社伝は、出賀茂神社の当主である宮司以外の人間は触れることを許されないということで継承されてきたのだ。現在は宮司である父親、完爾だけが知っていることだったのだ。
つまり、学校で教えられてきた日本史を覆すようなことが記されているかもしれない社伝である。闇に葬られてきた「裏の日本史」がこの社伝であきらかになるのかもしれない。そんな社伝を取り戻すために、甲斐が行動する羽目になったのだ。
このシリーズは、歴史の謎を秘めた場所を全国転転としている。そして、その追跡で赴く地域の歴史が関わって来る。歴史を学校で学び、その地の観光案内情報などで、そんなものだと何となく理解していた事柄、史実に潜む謎が毎回掘り起こされて行く。様々な文献資料と史実を使って、甲斐と貴湖の二人が論理的にその不明瞭な部分を解明していく。そして彼等なりに謎を論理的に究明し、合理的な解釈を組み立てて行く。このシリーズは、この歴史の謎解きという部分に大きなウエイトが置かれているように思う。
この謎解きの内容から見ると、その地に赴き『傳暦』を追跡し、諒司とコンタクトを図ろうとする本筋のストーリー展開は比較的シンプルである。
私は、このシリーズが積み重なるにつれ、この歴史の謎解きの方にむしろ興味をいだき、甲斐と貴湖の謎解き、つまり著者の謎解きに引き込まれていて、それを愉しむ自分を発見している。一般的に伝えられている史実が、様々な資料・情報を重ね合わせて、視点を変えて見つめると、なんと興味深いものに変貌することか・・・・驚きと愉しみのシリーズである。学者・研究者としてはそこまで踏み込めない領域になるのかもしれない。
まずこれまでのシリーズを列挙しておこう。最新作に掲載の広告キャッチフレーズを引用する。どんな歴史の謎に取り組まれているか、大凡のねらいがわかるだろう。
『カンナ 飛鳥の降臨』 聖徳太子の正体は誰なのか
『カンナ 天草の神兵』 天草四郎に隠された暗号は?
『カンナ 吉野の暗闘』 呪術者にして英雄! 役小角
『カンナ 奥州の覇者』 アテル降伏の真実とは?
『カンナ 戸隠の殺皆』 天岩戸伝説の偽りを暴く!
『カンナ 鎌倉の血陣』 鎌倉源氏滅亡の真相に迫る!
『カンナ 天草の葬列』 菅原道真は本当に大怨霊か?
そして、本書『カンナ 出雲の顕在』は、「出雲大社は素戔嗚尊を追放したのか!?」と記されている。
この連作のストーリー展開として、その追跡行程がなぜ日本列島を右往左往しているのか?早乙女諒司が逃げ回っているとしても・・・・と思っていたが、この最新作を読み、その意図が少し繋がった。本書でこんな会話の一端が記されているのだ。
「どうして今までぼくが、日本全国を渡り歩いていたと思う。ただ、波多野村雲流の連中から逃げ回っていただけじゃない。その間に、岩手や長野や吉野や熊本にいる、いわゆる『大物』たちと話をつけてきた。通常言われている、政財界のフィクサーたちとね」という会話ではっきりしたのだ。早乙女諒司には彼なりの思惑があったのだ。
本書において、過去の一連の作品からみて本筋が大きくうねり出した感をうける。
竜之介が諒司から呼び出しを受け、諒司から彼の意図を明かされてその行動の協力者として巻き込まれて行く形になる。一方、貴湖だが、最初は出雲資料の分析プロセスで顔をのぞかせるのだが、今回は怪我をした祖父の許にとどまることになる。本書で甲斐が出雲に行く目的は行き先も明確に家族に告げずに出雲に行ってしまった竜之介を探しに行くことなのだ。その出雲行きに聡美が同行するのである。そして、その聡美におそろしい危難が襲う・・・・。早く次作を出して欲しい展開で本書が終わる。
さて、今回の出雲、出雲大社に関連して初めて知ったことをいくつか列挙しよう。
本文をお読みいただいている方はこれらのことをご存じだったでしょうか。
*出雲といえば出雲大社を思い浮かべる。しかし、「ほんの百数十年前までは『出雲大社』という名称すら日本史上に存在していなかった」(p7)
*八岐大蛇退治の物語は、『出雲国風土記』には、全く書かれていない。(p112)
*拝殿の大注連縄は、拝殿に向かって「左が本、右が末」となっていて、通常の注連縄とは向きが逆になっていること。太さ3m、長さ8m、重量1.5t (p144)
*出雲大社は、「独特の『二礼、四拍手、一礼』でお参りする」(p144)
→ 通常の神社は、「ニ礼、二拍手、一礼」
*大国主命が鎮座する神座(御内殿)は南向きではなく西向き。拝殿からは誰一人として大国主命を正面から拝めない。 (p146)
*出雲の地には、「八」がつく事柄や地名が、やけに多い。 (p138,147)
→ 八雲、八重垣神社、八岐大蛇、大国主命の八つの名前、出雲大社の八足門
*寛文6年(1666年)に毛利綱広が銅鳥居を寄進した。その柱に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記されている。 (p142)
著者が出雲の歴史の謎解きで甲斐に語らせている事柄で、印象に残る点を併せていくつか記しておきたい。
なぜ・・・? その論理思考については、本書を読んでいただくとよいだろう。
*「天皇家における万世一系というのは、あくまでも『一本の系図を持っている』ということだ。そういう意味では、まさに『一系』だ。しかし、長い歴史の中で、血は何度か入れ替わっている。これは事実だ」 (p126)
*「ぼくは、もともと出雲の地は素戔嗚尊が治めていたんじゃないかと思ってる」(p220)
*「出雲国造は・・・・素戔嗚尊を、そして大国主命を裏切った・・・・」(p224)
最後に、未だに私が謎と思っているのは、この連作のタイトルである『カンナ』という言葉の選択である。著者はこのカンナについてこれまでには説明していないと思う。(私の読み落としもありえるが・・・・)
ただ、本書に「彼らは砂鉄を採るために『鉄穴流し』という手法を使っていたらしい」(p113)という会話が出てきた。この鉄穴に「カンナ」というルビが振られている。「カンナ流し」と。著者は「鉄は力なり」に関係する意図を込めているのだろうか。書名の『カンナ』にどのような意味が秘められているのか・・・・・『傳暦』の内容が語られるとき、その意図がわかるのかもしれない。そんな気がしている。さて?
次作の展開が楽しみだ。
ご一読ありがとうございます。
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本書に関連する項目と派生項目のネット検索結果を一覧にしてみた。
荒神谷遺跡 :ウィキペディア
荒神谷博物舘HP
加茂岩倉遺跡 :ウィキペディア
加茂岩倉(かもいわくら)遺跡 :「出雲の2つのイメージ」
An IZUMO Tour (出雲ツアー) :「邪馬台国大研究」
出雲国風土記 :ウィキペディア
『出雲国風土記』の概要 :「出雲の2つのイメージ」
出雲國風土記 原文 :「あゆみ 歩」 あおやぎ しゅんじ氏
出雲国造 :ウィキペディア
出雲国造神賀詞 :「出雲大社紫野教会」のサイト
島根県の史跡分布図 :「出雲の2つのイメージ」
出雲大社HP
出雲大社 :ウィキペディア
古事記の神話 :「神話博しまね」のサイト
出雲大社建造の謎 :「邪馬台国大研究」Inoue氏
事実情報、CGによる復元図、現在の出雲大社の本殿平面図等が載っています。
ツクヨミ :ウィキペディア
月読神社 (京都市) :ウィキペディア
伏見稲荷神符21 「身逃神事」と「爪剥祭」:「ブログ 古代からの暗号」
新羅神社考~「新羅神社」への旅 出羽弘明氏 :三井寺 HP
新羅 :ウィキペディア
高麗 → 高句麗 :ウィキペディア
百済 :ウィキペディア
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このシリーズは、伊賀にある出賀茂(いずかも)神社から盗み出された社伝『蘇我大臣馬子傳暦』(そがのおおおみうまこでんりゃく)と早乙女諒司の行方を、当神社の跡取りの鴨志田甲斐が友人等の協力を得ながら追跡して全国各地に行く物語である。各作品が各々一つのエピソードを完結させながら、最後に『傳暦』を携える人物がその土地を一足先に去るという形になり、繋がっていく。社伝・人物追跡物語であると共に、訪れる土地にまつわる歴史の謎追跡物語なのだ。
この『蘇我大臣馬子傳暦』を携えて全国各地を転々と移動しているのは、早乙女諒司である。この早乙女諒司は、『傳暦』を奪おうとしていた別の組織に追われている。甲斐はこの早乙女諒司を知っていて、彼の妻である志乃芙からも夫・諒司を見つけて、娘・澪(みお)の許に連れ戻して欲しいと頼まれている。諒司を追う別の組織として前作までに主として出てきていたのは、波多野村雲流である。本書では『玉兎』という組織がさらに現れてくる。そして、早乙女諒司はこの『玉兎』と関係していたことが明らかになる。
さて、鴨志田甲斐は神職なのだが、伊賀服部流という忍びの末裔でもある。甲斐に協力する友人の竜之介は、奈良に本社のある「歴史探究社」という中堅出版社の社員だが甲賀隠岐流の末裔なのだ。ふたりは高校時代の同級生であり、忍びのおちこぼれ仲間として親しくなった。さらに出賀茂神社の職員、加藤丹波の孫娘、貴湖が巻き込まれ協力者に加わる。彼女は東京大学教養学部に入学したのに休学し、出賀茂神社で巫女のアルバイトをしている。歴史にめっぽう強い女性であり、伊勢服部流の末裔でもある。こんな三人が『傳暦』追跡での様々な事件に関わっていく。
また、甲斐にとり親同士が決めた許嫁として、海棠聡美がいる。だが聡美の祖父である海棠鍬次もまた、実は『傳暦』を手中にしようと考えている一人でもある。
なぜ、『蘇我大臣馬子傳暦』がそれほど問題なのか?甲斐ですら、この社伝の存在を盗み出されるまで知らなかったのだ。大化の改新-乙巳(いつし)の変-で、蘇我氏が没落する。その際、彼等一族が書き記した書物は全て焼かれてしまったという。蘇我氏の史書を焼いたのは藤原氏であろう。だが、この『蘇我大臣馬子傳暦』がなぜか秘やかに出賀茂神社に伝え残されてきたのだ。そこには、藤原氏にとって非常に都合の悪い「真実」が書かれているのかも知れない。この社伝は、出賀茂神社の当主である宮司以外の人間は触れることを許されないということで継承されてきたのだ。現在は宮司である父親、完爾だけが知っていることだったのだ。
つまり、学校で教えられてきた日本史を覆すようなことが記されているかもしれない社伝である。闇に葬られてきた「裏の日本史」がこの社伝であきらかになるのかもしれない。そんな社伝を取り戻すために、甲斐が行動する羽目になったのだ。
このシリーズは、歴史の謎を秘めた場所を全国転転としている。そして、その追跡で赴く地域の歴史が関わって来る。歴史を学校で学び、その地の観光案内情報などで、そんなものだと何となく理解していた事柄、史実に潜む謎が毎回掘り起こされて行く。様々な文献資料と史実を使って、甲斐と貴湖の二人が論理的にその不明瞭な部分を解明していく。そして彼等なりに謎を論理的に究明し、合理的な解釈を組み立てて行く。このシリーズは、この歴史の謎解きという部分に大きなウエイトが置かれているように思う。
この謎解きの内容から見ると、その地に赴き『傳暦』を追跡し、諒司とコンタクトを図ろうとする本筋のストーリー展開は比較的シンプルである。
私は、このシリーズが積み重なるにつれ、この歴史の謎解きの方にむしろ興味をいだき、甲斐と貴湖の謎解き、つまり著者の謎解きに引き込まれていて、それを愉しむ自分を発見している。一般的に伝えられている史実が、様々な資料・情報を重ね合わせて、視点を変えて見つめると、なんと興味深いものに変貌することか・・・・驚きと愉しみのシリーズである。学者・研究者としてはそこまで踏み込めない領域になるのかもしれない。
まずこれまでのシリーズを列挙しておこう。最新作に掲載の広告キャッチフレーズを引用する。どんな歴史の謎に取り組まれているか、大凡のねらいがわかるだろう。
『カンナ 飛鳥の降臨』 聖徳太子の正体は誰なのか
『カンナ 天草の神兵』 天草四郎に隠された暗号は?
『カンナ 吉野の暗闘』 呪術者にして英雄! 役小角
『カンナ 奥州の覇者』 アテル降伏の真実とは?
『カンナ 戸隠の殺皆』 天岩戸伝説の偽りを暴く!
『カンナ 鎌倉の血陣』 鎌倉源氏滅亡の真相に迫る!
『カンナ 天草の葬列』 菅原道真は本当に大怨霊か?
そして、本書『カンナ 出雲の顕在』は、「出雲大社は素戔嗚尊を追放したのか!?」と記されている。
この連作のストーリー展開として、その追跡行程がなぜ日本列島を右往左往しているのか?早乙女諒司が逃げ回っているとしても・・・・と思っていたが、この最新作を読み、その意図が少し繋がった。本書でこんな会話の一端が記されているのだ。
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本書において、過去の一連の作品からみて本筋が大きくうねり出した感をうける。
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さて、今回の出雲、出雲大社に関連して初めて知ったことをいくつか列挙しよう。
本文をお読みいただいている方はこれらのことをご存じだったでしょうか。
*出雲といえば出雲大社を思い浮かべる。しかし、「ほんの百数十年前までは『出雲大社』という名称すら日本史上に存在していなかった」(p7)
*八岐大蛇退治の物語は、『出雲国風土記』には、全く書かれていない。(p112)
*拝殿の大注連縄は、拝殿に向かって「左が本、右が末」となっていて、通常の注連縄とは向きが逆になっていること。太さ3m、長さ8m、重量1.5t (p144)
*出雲大社は、「独特の『二礼、四拍手、一礼』でお参りする」(p144)
→ 通常の神社は、「ニ礼、二拍手、一礼」
*大国主命が鎮座する神座(御内殿)は南向きではなく西向き。拝殿からは誰一人として大国主命を正面から拝めない。 (p146)
*出雲の地には、「八」がつく事柄や地名が、やけに多い。 (p138,147)
→ 八雲、八重垣神社、八岐大蛇、大国主命の八つの名前、出雲大社の八足門
*寛文6年(1666年)に毛利綱広が銅鳥居を寄進した。その柱に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記されている。 (p142)
著者が出雲の歴史の謎解きで甲斐に語らせている事柄で、印象に残る点を併せていくつか記しておきたい。
なぜ・・・? その論理思考については、本書を読んでいただくとよいだろう。
*「天皇家における万世一系というのは、あくまでも『一本の系図を持っている』ということだ。そういう意味では、まさに『一系』だ。しかし、長い歴史の中で、血は何度か入れ替わっている。これは事実だ」 (p126)
*「ぼくは、もともと出雲の地は素戔嗚尊が治めていたんじゃないかと思ってる」(p220)
*「出雲国造は・・・・素戔嗚尊を、そして大国主命を裏切った・・・・」(p224)
最後に、未だに私が謎と思っているのは、この連作のタイトルである『カンナ』という言葉の選択である。著者はこのカンナについてこれまでには説明していないと思う。(私の読み落としもありえるが・・・・)
ただ、本書に「彼らは砂鉄を採るために『鉄穴流し』という手法を使っていたらしい」(p113)という会話が出てきた。この鉄穴に「カンナ」というルビが振られている。「カンナ流し」と。著者は「鉄は力なり」に関係する意図を込めているのだろうか。書名の『カンナ』にどのような意味が秘められているのか・・・・・『傳暦』の内容が語られるとき、その意図がわかるのかもしれない。そんな気がしている。さて?
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出雲国風土記 :ウィキペディア
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出雲国造 :ウィキペディア
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