本書は「とんぼの本」シリーズの1冊である。このシリーズ、”「視野を広く持ちたい」という思いから名づけた”という。本書も、ヴィジュアルな入門書・案内書をめざしたという点は、その構成において、十分に反映されていると思う。
見開きのページ全体が写真である場合以外、ほぼどの見開きページにも大小様々であるが写真が載っているので、まずヴィジュアルに楽しめる。図解も沢山載っている。この点で、取っつきやすい本だといえる。
五重の塔とは何かについての理解を深める入門書であるとともに、案内書の役割を担う形になっている点は、本書の構成に現れている。
全体構成は、総論、各論、まとめとなっている。
総論 「人類はそうして塔を立てずにはいられないのか」 藤森照信
「はじめに 私たちはなぜ五重塔に心ひかれるのか」 前橋重二
各論 国宝五重塔の高さくらべ (見開きページ図解)
五重塔はこうなっている 図解、説明文、五重塔ができるまで
→これはコンパクトなまとめだがイメージがつかみやすい。
五重塔の事例:全景写真、断面図、境内図、案内説明、事例の詳細分析
→この部分が個別の五重塔の詳細な案内書の役割を担い参考になる。
案内説明は「建立年代、建物の規模、初重内部、指定、文献、備考」で構成 事例の分析は、入門書の域を突き抜けて専門領域に踏み込んでいると思う。 つまり、解説の中味は濃い。この点、うれしい限りだ。
まとめ 「五重塔2500年史」 前橋重二
→インドに始まる仏塔の2500年の通史を15ページにまとめてあり、
様々な観点からの説明は入門として有益でまさに視野が広がる。
本書は入門と冠しているが、その説明はかなり専門的な内容にも触れていて読み応えのある内容になっていると思う。
本書から私が学んだことの要点をQ&Aの形で一部抽出してまとめてみよう。
どのあたりからの学びかをページで示す。具体的な説明は本書をお読みいただきたい。
Q:人類がはじめて作った表現行為としての建造物は何か? また、何のため?
A:木の立柱。そして、スタンディング・ストーン(例:イギリスのストーンヘンジ)。 立柱、スタンディング・ストーンは太陽信仰のしるし。 p6-7
Q:「スツーパ」とは何か? それは日本にもあるのか?
A:初期仏教の遺骨への信仰から、シャカの残された骨(舎利)を土マンジュウ型の墓に納めた。その後、それが石造化した墓となる。「スツーパ」は「卒塔婆」と音写表記された。そこに納めた遺骨が「サリーラ」(舎利羅)と呼ばれる。つまり「仏舎利塔」である。このスツーパが中国に入ると、仏舎利塔が塔状化する。日本に入ってきて五重塔の形式となる。世界最古の仏舎利塔は法隆寺五重塔。 p10-11、p111
五重塔は仏舎利の奉安所であり、普通一般の人間の登る塔ではない。 p14-15
「スツーパ」は中国で「卒塔婆」と音写表記された。お墓にたてる白木の板きれ「ソトバ(卒塔婆)」は究極の簡略形である。 p15、p111
Q:国宝の五重塔は幾つあるのか? 在る場所は?
A:昭和41年(1966)までに国宝に認定されたのは11件である。 p122
奈良県 5件 :興福寺、法隆寺、室生寺、元興寺、海龍王寺
京都府 3件 :教王護国寺(=東寺)、醍醐寺、海住山寺
広島県 1件 :明王院
山口県 1件 :瑠璃光寺
山形県 1件 :羽黒山
→ これら11の国宝五重塔がすべて、本書で五重塔の事例として説明されている。
p22-109
Q:五重塔の屋根の上に立っている部分は何か? その構成要素は?
A:全体を「相輪(そうりん)」と称する。
その形状を構成するのは、下から順に、
露盤(ろばん)、伏鉢(ふくはち)、請花(うけはな)、擦管(さつかん)、
九輪(くりん)水煙(すいえん)、竜車(りゅうしゃ)、宝珠(ほうじゅ) p18
Q:土まんじゅう型のスツーパの代表的な事例は? スツーパと五重塔の関係は?
A:インド中部サーンチー所在の第1スツーパが有名。建造は紀元前3~前1世紀。p11
スツーパの構造と五重塔の相輪に相同性が認められている。つまり、
スツーパの基壇→露盤、覆鉢→伏鉢、笠→九輪 が響き合っている。 p112
Q:五重塔の中心にある「心柱」はどこから立っているのか? 皆、一緒か?
A:国宝11件はいくつかのパターンがある。
地下に心礎の石があり、その上に心柱が立っていた様式 :法隆寺 p25
初重の土台に心礎がありそこから心柱が立つ様式: p41、p55、p87、p97、p105
元興寺極楽坊五重小塔、醍醐寺、興福寺、瑠璃光寺、教王護国寺
初重天井上から心柱が立つ様式 :海住山寺、明王院、羽黒山 p63、p71、p79
三重の中間から心柱が立つ様式 :海龍王寺五重小塔 p33
Q:五重塔の作り方はどれもほぼ同じか?
A:現存する最古の多層塔である法隆寺五重塔と、天平以降の多層塔では大きな変化が見られる。天平以降は「二軒(ふたのき)・三手先(みてさき)」が標準となる。8世紀初頭の法隆寺塔でいったんスタイルが完成し、天平以降は新しいスタイルが発展していったようだ。
法隆寺では一列の垂木の上に屋根が乗っている。天平以降はこの垂木が二列になる(二軒)。法隆寺五重塔の組物は「雲斗・雲肘木」とよばれるシンプルなものである。その軒などを支える組物が複雑になる。つまり、斗(ます・ますがた・とがた)が一手、二手、三手(みて)と増えていく。それにより、軒を張り出す支点の位置を外側へもちだすことができる。
この二つの様式、建造年代でみると、30年ほどしか隔たっていない。 p29、114
Q:金堂と五重塔の役割の違いは何か? その配置はどう変化していくのか?
A:飛鳥時代の寺院では、金堂は仏像を安置し、塔は仏舎利を奉安するものであり、塔を中心にして金堂を配し、回廊をめぐらす形だった。しかし、五重塔が寺院の中心に置かれたのは初期の百年あまりだけである。その後は本来の機能を失い、伽藍の脇役的な存在になる。回廊の外に配置されるようにも変化する。 p15、p112
鑑真和上が来朝し、如来の舎利をたずさえて来た。国王大臣らに分け与えた残りを白瑠璃の壺におさめ、これを金銅の小仏塔に安置して保管、舎利の一部は「日供舎利塔」に分奉して日々供養したという。つまり、舎利の取り扱い方にも変化が生まれて来たという。 p116
Q:五重塔の内部はどうなっているのか?
A:さまざまな形式が取られている。時代、宗派によって異なる。たとえば、
法隆寺の場合、初重には塑像の須弥山を築き、涅槃像や羅漢像が配置されている。「塔本四面具」と称される。
室生寺の場合、四天柱と心柱を囲い込んで須弥壇を設け、仏像五尊を安置する。
海住山寺の場合、四天柱の柱間を板扉でふさぎ、厨子状に造られている。
興福寺の場合、四天柱の内側に須弥壇を設け、顕教の四方四仏を三尊形式で安置する。南都寺院の流儀による配置。四方四仏は四方の浄土世界の表象。
教王護国寺の場合、四天柱内に須弥壇を設け、金剛界四仏を三尊形式で安置し、初重内部に濃密な密教空間を創り上げている。
羽黒山の場合、明治の神仏分離で、塔は羽黒神社の所有となり、現在は大国主命を祀る。
p25、p47、63-64、p79、p87・91、p105・108
Q:金堂と仏塔の間に、規模的な関連性、法則性があるか?
A:伊東忠太氏の研究によれば、古代寺院においては、仏塔が金堂の2倍ほどの高さである例がけっこう多いという。金堂の規模により、仏塔も三重塔、五重塔、七重塔などと変化する。たとえば、
法隆寺 : 金堂 5丈半、 五重塔 10.7丈
東大寺 : 金堂 16丈 七重塔 32丈
當麻寺 : 金堂 4丈、 三重塔 8丈 p112
Q:五重塔の姿の美しさはどこから来ている?
A:法隆寺五重塔の例では、総間(両端の側柱間の距離)を各重で測定すると、総間は24,21,18,15,12というシンプルな等差数列になるという。
塔の造立にあたって日本の工匠は「枝割のシステム」を考案したという。 p118
この辺りで、たとえばのQ&Aを止めておこう。五重塔への誘いとしての入門書としては、十分すぎるほどの内容だ。125ページで写真豊富という本でありながら、全景写真の美しさ、細部写真への興味喚起で誤魔化さずに、本文は説明が凝縮されていて、読み応えがあった。
一つ欲張って言えば、五重塔の平面図についての図解や説明が欲しかった。
尚、本書を読む際、手許にある『図説歴史散歩事典』(井上光貞監修・山川出版社)の次の箇所を併せて参照したが、本のコラボレーションとして役立った。
「七堂伽藍(おもな建物)」の項の「塔」 p154-156
「建物の部分構造」の項の「組物(斗栱)」 p175-178
ご一読、ありがとうございます。
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本書に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
五重塔 :ウィキペディア
国宝、重文の五重塔のある各寺は、このページからリンクあり。
スツーパ → 仏塔 :ウィキペディア
スツーパの話
サンチ :ウィキペディア
サーンチーの仏教建造物 :「NHK世界遺産」
多宝塔 :ウィキペディア
東寺 五重塔 :東寺のHP
興福寺 五重塔 :興福寺のHP
羽黒山五重塔
明王院(みょうおういん)五重塔
五重塔は耐震設計の教科書 :「プラント地震防災アソシエイツ」
心柱の不思議 :「五重塔をつくる」
法隆寺 五重の塔( 発見 免震構造 ) :YouTube
法隆寺五重塔の模型と大工の親方 :youTube
法隆寺五重塔の謎
五重塔写真集 T. Nagata 氏
垂木のお話
斗栱・蟇股・木鼻のお話
身延山久遠寺 五重塔復元工事レポート【PDF】:身延山久遠寺のHP
宮大工の挑戦VOL1 慈尊院の修復 :YouTube
宮大工の挑戦VOL2 構造の謎 :YouTube
宮大工の挑戦VOL3 過去からの手紙 :YouTube
宮大工の挑戦VOL4 伝統建築の保護 :YouTube
日本の伝統木組み :YouTube
竹中大工道具館での説明
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その1 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その2 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その3 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その4 :YouTube
継ぎ手 :YouTube
継手-2 四方蟻継ぎ.mp4 :YouTube
継手-3 婆娑羅継ぎ.mp4 :YouTube
四方鎌 接続の瞬間 :YouTube
宮大工の技 :YouTube
手斧(ちょうな)実演 :YouTube
天然秋田杉の木挽き作業 :YouTube
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見開きのページ全体が写真である場合以外、ほぼどの見開きページにも大小様々であるが写真が載っているので、まずヴィジュアルに楽しめる。図解も沢山載っている。この点で、取っつきやすい本だといえる。
五重の塔とは何かについての理解を深める入門書であるとともに、案内書の役割を担う形になっている点は、本書の構成に現れている。
全体構成は、総論、各論、まとめとなっている。
総論 「人類はそうして塔を立てずにはいられないのか」 藤森照信
「はじめに 私たちはなぜ五重塔に心ひかれるのか」 前橋重二
各論 国宝五重塔の高さくらべ (見開きページ図解)
五重塔はこうなっている 図解、説明文、五重塔ができるまで
→これはコンパクトなまとめだがイメージがつかみやすい。
五重塔の事例:全景写真、断面図、境内図、案内説明、事例の詳細分析
→この部分が個別の五重塔の詳細な案内書の役割を担い参考になる。
案内説明は「建立年代、建物の規模、初重内部、指定、文献、備考」で構成 事例の分析は、入門書の域を突き抜けて専門領域に踏み込んでいると思う。 つまり、解説の中味は濃い。この点、うれしい限りだ。
まとめ 「五重塔2500年史」 前橋重二
→インドに始まる仏塔の2500年の通史を15ページにまとめてあり、
様々な観点からの説明は入門として有益でまさに視野が広がる。
本書は入門と冠しているが、その説明はかなり専門的な内容にも触れていて読み応えのある内容になっていると思う。
本書から私が学んだことの要点をQ&Aの形で一部抽出してまとめてみよう。
どのあたりからの学びかをページで示す。具体的な説明は本書をお読みいただきたい。
Q:人類がはじめて作った表現行為としての建造物は何か? また、何のため?
A:木の立柱。そして、スタンディング・ストーン(例:イギリスのストーンヘンジ)。 立柱、スタンディング・ストーンは太陽信仰のしるし。 p6-7
Q:「スツーパ」とは何か? それは日本にもあるのか?
A:初期仏教の遺骨への信仰から、シャカの残された骨(舎利)を土マンジュウ型の墓に納めた。その後、それが石造化した墓となる。「スツーパ」は「卒塔婆」と音写表記された。そこに納めた遺骨が「サリーラ」(舎利羅)と呼ばれる。つまり「仏舎利塔」である。このスツーパが中国に入ると、仏舎利塔が塔状化する。日本に入ってきて五重塔の形式となる。世界最古の仏舎利塔は法隆寺五重塔。 p10-11、p111
五重塔は仏舎利の奉安所であり、普通一般の人間の登る塔ではない。 p14-15
「スツーパ」は中国で「卒塔婆」と音写表記された。お墓にたてる白木の板きれ「ソトバ(卒塔婆)」は究極の簡略形である。 p15、p111
Q:国宝の五重塔は幾つあるのか? 在る場所は?
A:昭和41年(1966)までに国宝に認定されたのは11件である。 p122
奈良県 5件 :興福寺、法隆寺、室生寺、元興寺、海龍王寺
京都府 3件 :教王護国寺(=東寺)、醍醐寺、海住山寺
広島県 1件 :明王院
山口県 1件 :瑠璃光寺
山形県 1件 :羽黒山
→ これら11の国宝五重塔がすべて、本書で五重塔の事例として説明されている。
p22-109
Q:五重塔の屋根の上に立っている部分は何か? その構成要素は?
A:全体を「相輪(そうりん)」と称する。
その形状を構成するのは、下から順に、
露盤(ろばん)、伏鉢(ふくはち)、請花(うけはな)、擦管(さつかん)、
九輪(くりん)水煙(すいえん)、竜車(りゅうしゃ)、宝珠(ほうじゅ) p18
Q:土まんじゅう型のスツーパの代表的な事例は? スツーパと五重塔の関係は?
A:インド中部サーンチー所在の第1スツーパが有名。建造は紀元前3~前1世紀。p11
スツーパの構造と五重塔の相輪に相同性が認められている。つまり、
スツーパの基壇→露盤、覆鉢→伏鉢、笠→九輪 が響き合っている。 p112
Q:五重塔の中心にある「心柱」はどこから立っているのか? 皆、一緒か?
A:国宝11件はいくつかのパターンがある。
地下に心礎の石があり、その上に心柱が立っていた様式 :法隆寺 p25
初重の土台に心礎がありそこから心柱が立つ様式: p41、p55、p87、p97、p105
元興寺極楽坊五重小塔、醍醐寺、興福寺、瑠璃光寺、教王護国寺
初重天井上から心柱が立つ様式 :海住山寺、明王院、羽黒山 p63、p71、p79
三重の中間から心柱が立つ様式 :海龍王寺五重小塔 p33
Q:五重塔の作り方はどれもほぼ同じか?
A:現存する最古の多層塔である法隆寺五重塔と、天平以降の多層塔では大きな変化が見られる。天平以降は「二軒(ふたのき)・三手先(みてさき)」が標準となる。8世紀初頭の法隆寺塔でいったんスタイルが完成し、天平以降は新しいスタイルが発展していったようだ。
法隆寺では一列の垂木の上に屋根が乗っている。天平以降はこの垂木が二列になる(二軒)。法隆寺五重塔の組物は「雲斗・雲肘木」とよばれるシンプルなものである。その軒などを支える組物が複雑になる。つまり、斗(ます・ますがた・とがた)が一手、二手、三手(みて)と増えていく。それにより、軒を張り出す支点の位置を外側へもちだすことができる。
この二つの様式、建造年代でみると、30年ほどしか隔たっていない。 p29、114
Q:金堂と五重塔の役割の違いは何か? その配置はどう変化していくのか?
A:飛鳥時代の寺院では、金堂は仏像を安置し、塔は仏舎利を奉安するものであり、塔を中心にして金堂を配し、回廊をめぐらす形だった。しかし、五重塔が寺院の中心に置かれたのは初期の百年あまりだけである。その後は本来の機能を失い、伽藍の脇役的な存在になる。回廊の外に配置されるようにも変化する。 p15、p112
鑑真和上が来朝し、如来の舎利をたずさえて来た。国王大臣らに分け与えた残りを白瑠璃の壺におさめ、これを金銅の小仏塔に安置して保管、舎利の一部は「日供舎利塔」に分奉して日々供養したという。つまり、舎利の取り扱い方にも変化が生まれて来たという。 p116
Q:五重塔の内部はどうなっているのか?
A:さまざまな形式が取られている。時代、宗派によって異なる。たとえば、
法隆寺の場合、初重には塑像の須弥山を築き、涅槃像や羅漢像が配置されている。「塔本四面具」と称される。
室生寺の場合、四天柱と心柱を囲い込んで須弥壇を設け、仏像五尊を安置する。
海住山寺の場合、四天柱の柱間を板扉でふさぎ、厨子状に造られている。
興福寺の場合、四天柱の内側に須弥壇を設け、顕教の四方四仏を三尊形式で安置する。南都寺院の流儀による配置。四方四仏は四方の浄土世界の表象。
教王護国寺の場合、四天柱内に須弥壇を設け、金剛界四仏を三尊形式で安置し、初重内部に濃密な密教空間を創り上げている。
羽黒山の場合、明治の神仏分離で、塔は羽黒神社の所有となり、現在は大国主命を祀る。
p25、p47、63-64、p79、p87・91、p105・108
Q:金堂と仏塔の間に、規模的な関連性、法則性があるか?
A:伊東忠太氏の研究によれば、古代寺院においては、仏塔が金堂の2倍ほどの高さである例がけっこう多いという。金堂の規模により、仏塔も三重塔、五重塔、七重塔などと変化する。たとえば、
法隆寺 : 金堂 5丈半、 五重塔 10.7丈
東大寺 : 金堂 16丈 七重塔 32丈
當麻寺 : 金堂 4丈、 三重塔 8丈 p112
Q:五重塔の姿の美しさはどこから来ている?
A:法隆寺五重塔の例では、総間(両端の側柱間の距離)を各重で測定すると、総間は24,21,18,15,12というシンプルな等差数列になるという。
塔の造立にあたって日本の工匠は「枝割のシステム」を考案したという。 p118
この辺りで、たとえばのQ&Aを止めておこう。五重塔への誘いとしての入門書としては、十分すぎるほどの内容だ。125ページで写真豊富という本でありながら、全景写真の美しさ、細部写真への興味喚起で誤魔化さずに、本文は説明が凝縮されていて、読み応えがあった。
一つ欲張って言えば、五重塔の平面図についての図解や説明が欲しかった。
尚、本書を読む際、手許にある『図説歴史散歩事典』(井上光貞監修・山川出版社)の次の箇所を併せて参照したが、本のコラボレーションとして役立った。
「七堂伽藍(おもな建物)」の項の「塔」 p154-156
「建物の部分構造」の項の「組物(斗栱)」 p175-178
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本書に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
五重塔 :ウィキペディア
国宝、重文の五重塔のある各寺は、このページからリンクあり。
スツーパ → 仏塔 :ウィキペディア
スツーパの話
サンチ :ウィキペディア
サーンチーの仏教建造物 :「NHK世界遺産」
多宝塔 :ウィキペディア
東寺 五重塔 :東寺のHP
興福寺 五重塔 :興福寺のHP
羽黒山五重塔
明王院(みょうおういん)五重塔
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法隆寺 五重の塔( 発見 免震構造 ) :YouTube
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法隆寺五重塔の謎
五重塔写真集 T. Nagata 氏
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斗栱・蟇股・木鼻のお話
身延山久遠寺 五重塔復元工事レポート【PDF】:身延山久遠寺のHP
宮大工の挑戦VOL1 慈尊院の修復 :YouTube
宮大工の挑戦VOL2 構造の謎 :YouTube
宮大工の挑戦VOL3 過去からの手紙 :YouTube
宮大工の挑戦VOL4 伝統建築の保護 :YouTube
日本の伝統木組み :YouTube
竹中大工道具館での説明
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その1 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その2 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その3 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その4 :YouTube
継ぎ手 :YouTube
継手-2 四方蟻継ぎ.mp4 :YouTube
継手-3 婆娑羅継ぎ.mp4 :YouTube
四方鎌 接続の瞬間 :YouTube
宮大工の技 :YouTube
手斧(ちょうな)実演 :YouTube
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