遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『紫匂う』  葉室 麟   講談社

2014-07-13 16:07:30 | レビュー
 今までとはまた一色違った「純な愛」の物語を堪能できた。著者の創作世界に浸潤することで充実したひとときを楽しめたことはハッピーだ。「愛」のあり方を描き出したこの作品世界に一度浸っていただいたいと思う。

 著者がその一つの世界を発想し紡ぎ出す発端に特定の和歌がある。そんな作品がいくつかあるが、この作品もその発想方法を共通点としているようである。

   紫のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに吾恋ひめやも

この和歌がこの作品創作の起点にあるようだ。世に親炙した歌である。本書タイトルはこの上五・七句から名づけられているのだろう。

 『万葉集』巻一の第20番目の額田王の詠んだ歌
   あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
天智天皇が蒲生野に遊猟されている時に額田王が詠まれたと詞書に記す。その次、第21番目に「紫のにほへる・・・・」の歌が載っている。この歌は、その時の皇太子(後の天武天皇)が額田王の歌に答えて詠んだという。
 『口譯萬葉集(上)』(折口信夫全集第4巻・中公文庫)で折口信夫は次のように口訳する。
 「ほれぼれとするような、いとしい人だ。そのお前が憎いくらゐなら、既に人妻であるのに、そのお前の為に、どうして私が、こんなに焦がれてゐるものか」と。

 万葉集のこの2つの歌には、天智天皇とその后・額田王、そしてその額田王を恋う皇太子(天武)という3人の関係性が窺える。夫・妻・人妻を恋する男という「3人の関係性」が本作品の骨格になっていると思う。そして、そのような関係のあり方が登場する人間群の中で、幾通りものパターンに変換あるいは換骨脱退され、ストーリーに織り込まれているように思った。

 このストーリー、主な登場人物の間に「3人の関係性」が組み込まれていく。
第一の登場人物は、黒島藩6万石の郡方50石萩蔵太の妻・澪である。この物語は、澪が近頃しきりに同じ夢を見るという、その「霧の夢」そのものから始まる。目を覚ます直前に、「逃げて下さい。逃げて-」と叫び、夢の中で男の名を呼ぶ。そして、隣りに寝ている夫に聞かれたかもしれないと思うと、澪の背に汗が滲むのだ。
 「霧の夢」は澪が17歳のおりにただ一度だけ契りをかわしてしまった男、葛西笙平に関係している。葛西笙平は澪の生まれ育った三浦家の隣家であり、父・佳右衞門の友人でもあった葛西仙五郎の息子である。澪には幼馴染みであり、かつ仙五郎の急死後、勘定方に出仕していた葛西笙平に澪の父は「澪をお主の嫁にどうか」と冗談のようにして幾度も口にしていたのだ。その笙平が江戸詰めになる直前に、澪は笙平と一度の契りをかわす結果になる。
 江戸屋敷詰めとなった笙平はまもなく江戸藩邸の側用人、岡田五郎助の娘・志津との縁組を勧められる。笙平は志津を娶ることになる。殿の覚えもめでたく、重臣方に一目置かれる岡田五郎助の娘婿となるのである。笙平の将来の出世も噂に上る。
 一方、澪の父は澪と萩蔵太との見合い話を進め、澪は蔵太の許に嫁ぐことになる。婚礼の日が近づいたとき、澪の思いは「一度だけとはいえ笙平と契った身であることに恐れを抱くようになった。生娘でないことに蔵太が気づいて、ふしだらを咎めるのではないかと気持が沈んだ。責められて離縁されれば、世間に恥をさらすことになる。笙平とのことを悔いたが、いまさらどうしょうもなかった」のだ。

 だが萩家に嫁いだ澪は、蔵太との間に一男一女を得て、蔵太の両親とも良い関係を保つ平凡な日々を過ごすことになる。澪が蔵太に嫁いではや12年。寡黙で温厚に見える蔵太は、城下の檜枝道場で心極流剣術を修行し、道場主から10年にひとりの逸物と折り紙がつく腕前なのだという。澪は普段の生活から、蔵太がそんな剣術の達人だとは感じ取れない。蔵太が息子に剣術の手ほどきをすることも未だない。
 そんな澪の日常生活で、かつての笙平への思いは深く沈潜していた。しかし、それが現実の生活、家庭での人々の関係の中での思いの表層に浮上してくる。今や江戸藩邸の側用人に登用されているはずの笙平に似た旅姿の武士を、夫の蔵太の勤めを門前で送り出した直後に見かけたことによる。
 
 澪の母仁江は、華道未生流の手並みを買われ、芳光院様が歌会を催す山荘・雫亭の花を活けてきていた。仁江が腰痛で雫亭に行けないときに、澪が代役を務める。芳光院様の意に適い、澪は雫亭の花活けを任され、雫亭の管理を任されることになる。この作品では、雫亭が物語の舞台となって行く。
 芳光院様とは黒島藩の現藩主の生母であり、藩内で黒瀬家老に物が言えるのはこの人ぐらいだろうと、誰からも思われている人である。

 江戸詰めの葛西笙平がお咎めを受けたという話を澪は蔵太から聞く。澪は実家を訪れ、兄誠一郎から笙平の不祥事の内容を聞く。それは江戸藩邸での賄賂の取得と出入の呉服商の女房を手籠めにしたという不祥事だった。誠一郎はそこに不審な点もあるという。笙平の不祥事は実は濡れ衣ではないかという噂を澪は兄から聞く。黒瀬家老に疎まれて、無実の咎めを受けたのではないかというもの。その黒瀬にこそ出入りの商人との間での黒い噂があるようなのだ。
 その笙平が国許へ送り返されることになる。そしてその帰国の途次に笙平が出奔したという噂が伝わる。

 かつての笙平への純な思いが澪の心中に再燃する。一方、笙平は国許に密かに戻ってきて、大庄屋桑野清兵衛に再嫁した母・香を頼り、己の無実を晴らす助けを得ようとするが、それが不可能なことを知る。そして笙平は澪に会おうとする。二人の再会から急速にストーリーが展開していく。
 笙平が無実の咎を受けていると信じる澪。黒瀬家老の悪の証拠を握っていて、己は無実だと主張する笙平。澪は一計を思いつく。芳光院様に引き合わせることができれば、道が開けるのではないか・・・・と。
 澪を危難に遭わせないために、蔵太は笙平を芳光様に会わせるために手助けするという一歩を踏み出していく。だが、その3人の間には「愛」に関わる3人の関係性が横たわっている。
 「愛」の次元における人々の思いを基盤しながら、黒島藩の政治、藩運営における問題事象と無実の咎という問題の解決への経緯がストーリーとして展開されていく。澪のあずかる山荘・雫亭が舞台となる。郡方で村巡回を主務とする蔵太の加勢がストーリーの展開にリアル感と納得感を加味している。
 
 前半は平凡な日常生活の中に、浮上してきたかつての純な愛の思いに戸惑い、動き始める澪の姿が展開していく。後半は笙平を如何に芳光院に会わせて、問題解決の糸口を作るかという行動プロセスがメインになる。そのプロセスで3人の愛の有り様と思いが絡まっていく。そのプロセスは、澪の「純な愛」の思いが自己分析され、整理され、一つの確信へと止揚していくプロセスでもある。そこにこの作品の読ませどころがある。

 今は蔵太の妻であり一男一女の母である澪に、若き頃の思いを重ねる笙平。笙平に対して、純な思いを抱く一方、蔵太の妻であり母であることとの思い、その相剋に変転する澪。笙平を芳光院に必ず会わせると加勢し、澪を必ず守るという蔵太。この3人の関係性が勿論テーマである。
 笙平の無実を晴らし彼を救いたいという行為に潜む澪の「純な愛」。芳光院への直訴プロセスに加勢する夫・蔵太の澪に対する「純な愛」の有り様への気づきを深めていくことで、澪は己の蔵太に対する「思い、愛」の様相を発見していくことになる。蔵太への澪の愛がピュアなものに還元されていく、それを発見していくプロセスでもある。

 一方、笙平とその妻・志津と澪という3人の関係性。笙平が国許に戻される前に、笙平は志津を離婚していて、その志津はその後、家老黒瀬の許に居るという。笙平、志津、黒瀬の3人の関係性。笙平の母・香が再嫁した大庄屋桑野清兵衛は黒瀬家老と深い関係があるという。笙平、母香、桑野清兵衛の3人の関係性と同時に、笙平、桑野清兵衛、黒瀬の3人の関係性。様々な「3人の関係性」のバリエーションが絡み合っていく。

 芳光院は、一段の高みから、人々の策謀と行動、愛の有り様を眺めつつ、黒島藩の抱える問題解決に関わりを深めていく。黒島藩の政治と運営を正すために。
 副次的に、笙平の母・香の愛の有り様、志津の愛の有り様が浮かび上がって来る。3人それぞれの「愛」への姿勢がそこにはある。

 愛の有り様、思いの相剋の描き方が大変巧みである。その描写にこの作品の興味深いところがある。
 また、読み進むほど、蔵太の人物像に奥行きと広がりが加わっていき、蔵太の有り様、そして蔵太という人間に惹きつけられていく。それがこの作品のおもしろさであり、読み応えになっていくところでもある。
 
 蔵太が笙平に加勢し、澪を守る行動に出た後のある段階で、澪に声をかけた。
 そのメセージを引用しておこう。
 「ひとは誰も様々な思いを抱いて生きておる。そなたの胸にもいろいろな思いがあろう。そなたの心持ちが葛西殿へ通じておるのであれば、心に従って生きるのを止められぬ、とわたしは思った。しかし、そうでないのならば、わたしとともに生きて参ろう。たいしたことはしてやれぬかもしれぬが、危ういおりに、ひとりでは死なせぬ。ともに死ぬことぐらいはできるぞ」  (p195)
 本作品を手にとって詠みたくなる・・・のではなかろうか。 

 作品冒頭の「霧の夢」で澪が男の名を叫ぶ。その名を澪は夫に聞かれたのかと危惧するシーンは最初に述べた。澪は誰の名を叫んだのか・・・・それは、最後に近いステージで、明らかになる。この澪の危惧がどこでどのように明かされるか。乞うご期待というところ。
 屋敷の門の側に蔵太は紫草を植える。なぜそれを植えるのか。その理由を蔵太は娘には語っていた。澪はあるとき、娘からそのわけを聞くことになる。蔵太の植えた紫草を澪は雑草と思い引き抜いてしまっていたときがあるのだった。
 なぜ紫草なのか。そこに著者が語らぬ深い蔵太の深い思いがあったとも読める。この紫草を読みとることも、この作品で大事なところかもしれない。

 作品の最後のシーンで、思わず澪が「紫のにほへる妹を・・・」の和歌を思わず口ずさむ。この場面での会話のやりとりが実にいい。気持ちの良いエンディングである。ほっとし、晴れやかにもなる。この場面を味わっていただきたい。


 ご一読ありがとうございます。


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本作品の背景の和歌関連で少し調べてみた、一覧にしておきたい。温故知新である。
額田王   :ウィキペディア
天智天皇  :ウィキペディア
天武天皇  :ウィキペディア
額田王・恋ものがたり :「京阪奈ぶらり歴史散歩」
蒲生野  :「万葉の旅」
万葉の森 船岡山  :「滋賀県観光情報」
万葉集: 蒲生野(がもうの)を詠んだ歌  :「楽しい万葉集」

ムラサキ  :ウィキペディア
紫草(ムラサキクサ)とは  :「紫草の里 紫草のページ」
紫草(むらさき)を詠んだ歌  :「楽しい万葉集」


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
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『山桜記』 文藝春秋
『潮鳴り』 祥伝社
『実朝の首』 角川文庫

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