遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻  中村 博   JDC

2014-12-01 09:41:05 | レビュー
 たまたま目にとまったこのタイトルに興味を持ち、手に取ってみた。
 表紙に「一億人のための万葉集」とビッグな副題が付いている。「みじかものがたり」? 万葉集にどう切り込むのだろうか・・・・そんな軽い気持ちだった。
 巻4の内表紙には、「家持青春編 (一)恋の遍歴 (二)内舎人青雲 あじま野悲恋編」と補足がある。大伴家持を取り上げているようだ。「はじめに」と「目次」を飛ばして、本文のページを開いてみた。それは「家持青春編(一)恋の遍歴」の始まりのページである。

 章というのか項目というのか解らないが、最初の見出しは「羽根蘰(はねかづら)」。
   家持は 思わず目を見張った
   太宰府から 戻った 佐保の屋敷
   麗しい 乙女がいる
   (どこの・・・・)
   と思った 家持
   (おお あの女童ではないか)
と、こんな「みじかい」口語詩のような導入文から始まる。そして、さらに同じページの下段に背景説明文が続いたのちに、「万葉集」に載る大伴家持の歌が出てくる。

 ところが、ここで一驚したのは、家持の歌の前に、<五七五・七七>の短歌形式で家持の歌が、著者により解釈された現代の日常用語で翻訳されているのである。なんとそれが、大阪弁なのだ。つまり、短歌調調翻訳である。
 トップに取り上げられた家持の歌を例示してみると、こんな調子である。

 <<年ごろの 蘰被(かずらかぶ)る児 夢に見て
           こころ秘かに 恋しとるんや>>

 羽根蘰 今する妹を 夢に見て
     心の内に 恋い亘るかも   -大伴家持- (巻4・705)

家持の歌の行間に時によって、多少の解釈付記や歌の後に簡略な語句説明が補われていたりする。

 しかし、家持の原歌の前に同じ語数で、我々が読めばすっとわかる語り口調で訳されている。五七調だからリズムをつけて読める。ストレートに歌の意味が伝わってくるから、実におもしろい。私は京都なので、京都弁と大阪弁は違うが、身近な方言として抵抗なく読める。大阪弁の語り口、抑揚などをイメージしながら読むといっそうおもしろい。
 関西出身出ない人、東日本や九州・沖縄、四国の人々が、この大阪弁の五七調翻訳を読んで、方言に含まれる語調や言葉使いのおもしろみをも感じるだろうか、この点感想を聞かせていただきたいものだ。

 手許には、岩波文庫の『新訂 新訓 万葉集』(佐佐木信綱編)をはじめ数冊の万葉集からの抜粋解説本や万葉集関連本がある。全口語訳の嚆矢でもある折口信夫著『口譯萬葉集』の上下本を中公文庫版『折口信夫全集』の第4巻・第5巻としても持っている。いままでは、何かの折に参照するだけで、通読はできていない。
 この第4巻を手に取ったことで、読み始めて、一気に本書の第5巻を合わせて通読してしまった次第である。

 私にとってのその理由は、第4巻を読み終えてから考えると次のようなことだと思う。1.五七調の大阪弁の翻訳のおもしろさとそのリズムを楽しみながら原歌を読むことで、原歌の主旨をストレートに汲み取れること。そんな意味かと気楽に読める。
 歌の細かい部分(枝葉:語句の詳細な意味解釈・確認)をあまり気にせず、歌の本意(幹)を理解するうえで、大阪弁のざっくばらんさが、「そんなもんでええやんか」という気にさせてくれる。
2.万葉集を巻一の最初の歌から順次読むということではなく、家持の人生経路というプロセスを軸に展開するために、個々の歌を一つのストーリーのように構成されていくので、読みやすい。
 学問、研究という視点では歌の成立時期や状況解釈、その編年編成に異論があるかもしれないが、一般読者としては「万葉集」の歌に触れる上ではまず入りやすい。
3.伝記ではないので、人生経路の背景説明も簡略・最小限となっている。詩文を読む調子で、さらりと背景理解を押さえるくらいの気楽さで読める。

 それで、第5巻も連続で読み進めることができた。第5巻は、「家持越中編 (一)友ありて (二)歌心湧出」である。
 巻末に付された「万葉歌みじかものがたり年表」を参照すると、巻4の「家持青春編」は家持14歳の時、天平2年(730)から天平18年(746)の20歳までをまとめている。巻5は家持が越中守として、越の国、越中の国守として単身赴任する天平18年(746)6月、20歳の時から、その任を終え、京都に帰京する天平勝宝3年(751)、35歳までを扱っている。

 このプロセスにおける家持の生き方を、彼と関わりを持った人々との歌の交流という形で、織りあげていく形である。そのプロセスの背景情報を要所要所で詩文風に語りながら展開されていく。

 第5巻は、越中守として単身赴任した家持の切々たる心情が時系列的にわかって、興味深い。この第5巻の人生プロセスは、現代の単身赴任ビジネスマンの心情と重ね合わせることができる気がする。万葉の世も現代も人間の心情と行動には、さほど大きな違いはないということだろうか。

 この2冊の本文を読了してから「はじめに」を読んで見たら、著者は本書発刊の経緯を説明する中で、最後に言及していた。
 *「文法・古語辞典・古典教養なしで、味わえる万葉」を意図したようである。
 *「みじかものがたり」という言葉は次のダブルミーニングで使われている。
    ”短編物語風の「短か」ものがたり。
     現代風で親しみ易い「身近」ものがたり。”
  を意図しているようだ。
この2冊を通読した限りでは、著者の意図は充分反映されているように思う。

 第4巻には、家持の人生行路とは別に「あじま野悲恋編」として独立したものがたりが併載されている。こちらは、突然に蟄居を申し渡されて、あじま野の配流措置が決定された中臣宅守(なかとみのやかもり)とその新妻・狭野弟上娘子(さののおとかみのおとめ)の悲恋を万葉集に所載された歌の交流を通して織りあげている。

 さて、この本のおもしろみを知るためにも、手許の本で一つの対比事例を作ってみよう。取り上げるのは、万葉集・巻3・477の家持の歌である。

 あしびきの やまさえ光り 咲く花の
       散りぬる如き 我が大君かも

これは、天平16年2月、聖武天皇の皇子である安積(あさか)皇子が17歳で薨じた時に、内舎人であった家持が作った歌である。

 齋藤茂吉はその著『万葉秀歌 上巻』(岩波新書)で、家持の歌として最初に撰歌しているものである。齋藤茂吉はこう記す。「一首の意は、満山の光までに咲き盛っていた花が一時に散ったごとく、皇子は逝きたもうた、というのである。家持の内舎人になったのは天平12年頃らしく、此作は家持の初期のものに属するであろうが、こころ謹み、骨折って作っているのでなかなか立派な歌である。」(p159)

 一方、折口信夫は『折口信夫全集 第四巻 口譯萬葉集(上)』(中公文庫)では、次のように口語訳している。
 「山さへも輝くばかりに咲いていた、立派な花が散って了った様になられた、私の仕へてゐた御子様よ。」(p148)

 巻4の「和束杣(わづかそま)山」の項(章)の末尾にこの歌を位置づけて、その前に次の翻訳を記述している。

 <<皇子(おうじ)さん 山光る様(よ)に 咲いた花
                その花散って 悲しい限り>>

 もう一例、取り上げておこう。
本書の巻4では、家持の人生編年での構成なので、「家持青春編(一)恋の遍歴」では第4番目に登場する歌である。それは、万葉集・巻6の994の歌だ。

 振り放(さ)けて 三日月見れば 
   一目見し 人の眉引(まゆびき) 思おゆるかも

 この歌も秀歌に選んだ齋藤茂吉はこの歌について、「眉引」の意味を詳細に説明した上で、「一首の意は、三日月を仰ぎ見ると、ただ一目見た美人の眉引のようである、というので、少年向きの美しい歌である。併し家持は少年にして斯く流暢な歌調を実行し得たのであるから、歌が好きで、先輩の作や古歌の数々を勉強していたものであろう。」と記す。(p205)
 折口信夫は上掲書で次のように口語訳している。
「天をば遙かに振り仰いで、三日月を見ると、只一目遇うたことのある人の、眉毛の容子が思ひ出されることだ。」(p297)

 この歌については、本書の著者が傾倒した万葉集研究の大家・犬養孝の著した『万葉の人びと』(新潮文庫)に触れられている。
 「”ふり仰いで空の三日月をみると、ただ一目見たあの人の眉を引いた姿が忘れられない”というのです。昔は眉を剃って、眉墨で三日月型の眉を書きました。ふり仰いで三日月を見ると、ただ一目見たあの人の眉引き、つまり眉を引いた姿ですから、顔が思い出されるというんです。これが16歳の頃の家持の歌です。」(p235)

 そして、本書の著者の翻訳はこうです。
 <<振り仰ぎ 三日月見たら
     一目見た お前の眉が 目に浮かんだで>>

 対比事例はわずか2つであるが、本著者のスタンス、ストレートな翻訳の感じがお解りになるのではないか。ほんとに短くて、身近な感覚で受け止められる短歌調の翻訳である。

 翻訳を大阪弁で五七調に短くおさめるということと著者一人の全訳であるので、数多くの作者による原歌の歌調や趣きという色合いのニュアンスが、捨象されぎみになる。短歌調での翻訳の中で一本調子の響き、色合いが生まれてくる気がするときがある。つまり同一作者の歌が並んでいるように感じるというニュアンスだ。口語の大阪弁で五七調におさめる語調やそのリズムからくるのだろう。翻訳だから気にする必要はないとも言えるが。
 第6巻以降がどのようにまとめられていくのか、楽しみである。第10巻まで発刊が予定されているようだ。一方で、第1~3巻を読み継ぎたいと思っている。この本がトリガーとなって、書架に眠っている万葉集関連本を、私なりに再活性化させたいと思っている。そういう点でも、いい刺激になる本である。


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大伴家持  :ウィキペディア
大伴家持略年譜  :「大伴家持の世界」
中臣宅守   :ウィキペディア
味真野散策マップ  :「味真野紀行」(内田啓一氏)
越前の里・味真野苑  :「越前市観光協会」
あじまの万葉まつり  :「越前市観光協会」
狭野弟上娘子と中臣宅守  :「万葉教室」(川野正博氏)
   万葉の悲劇 その一 恋
君が行く 道のながてを 繰り畳ね  :「万葉散歩」


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