遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『カレイドスコープの箱庭』  海堂 尊  宝島社

2014-12-13 19:47:09 | レビュー
 著者の作品は、そのネーミングがうまいと思う。海堂ワールドの中で、どのようにその作品がはめ込まれていくのかという関心に併せて、内容をちょっと窺わせないようなタイトルそのものにまず惹きつけられる。
 この作品の末尾に近いところに、「とかく人の世は、善悪が入り乱れた万華鏡の箱庭の世界だ」という一節がある。そのフレーズの次にこんな記述が続く。
 「そう言えばカレイドスコープの語源はギリシャ語で”美しい模様を見る”ということだという。かつては錦眼鏡とも呼ばれたらしいが、人のこころの錦を見る、という意味であれば、まことに美しい名前の道具だと思う」(p236)
 ところが、ここでは「人の心の悪意」を見る形の道具になる。
 厚生労働省の役人、あの白鳥室長が、「この世の森羅万象はカレイドスコープの箱庭の中の出来事なのさ。1816年スコットランドの物理学者、ブルースター卿が発明した万華鏡は、わずか3年後の1819年に日本に伝来した。つまり、日本は万華鏡の先進国だったわけ。だからと言ってそんな万華鏡をくるくる回してできる虚像に騙されちゃいけないよ」と田口に蘊蓄を傾けながら、これをなんと嘘発見器として使うと言いだし、実行するのだ。 こんなところに、作品タイトル名の由来があるようだ。

 この作品は、2009年10月19日(日)午前9時に、田口が高階病院長から病院長室に呼び出される場面が発端となる。例によって、高階病院長から田口が無理難題のお願いを命じられることから始まる。そして、2つの異なるテーマが同時進行で展開していく。
 一つは、70代の小栗昇平という患者さんが、検診で肺陰影の指摘をうけて、気管支鏡生検で癌と診断され、右肺葉摘出の外科手術は無事済んだのだが、2日後の真夜中に突然心停止し、死亡した。その後、病理の誤診だという内部告発があったのだ。誤診ではなく検体取り違えの可能性もあるという。内部告発の内容が小栗さんの親族に伝わっていて、そのことが問題視されている。
 そこで、電子カルテ導入検討委員会の委員長である田口に、電子カルテ運用に関わる問題として調査してほしいという指示なのだ。検体取り違えの可能性から、電子カルテシステムの検証が必要なのだと高階病院長は言う。
 もう一つは、Ai(オートプシー・イメージング:死亡時画像診断)の技術認知に関わることだ。海堂ワールド作品には切り離せないテーマ。時代背景として、臓器移植法が改正され、2010年7月から日本でも15才未満の小児臓器移植ができるようになるという状況が出てきている。そこにはAi技術の利用が関わっていく。一方、直近ではAiが内部告発に寄与したという認識が持ち上がり、Aiアンチの蠢きが始まっているという。それに対する手を打つために、Ai標準化国際会議を東城大学主催で実施するという企画である。実施の手はずは高階が整えたので、その企画の具体化を田口が責任者となって実行せよという指示である。田口は、高階に呼び出された週末に、マサチューセッツ医科大学上席教授・東堂文昭と会議内容の大枠を決めるために渡米せざるを得ない羽目になる。あの東堂との応対から始まるのだ。
 この2つの筋が展開していく。

 最初のテーマは、田口一人が、小栗さんの手術を執刀した呼吸器外科の橋爪教授に対する事情聴取から始めて行く。この案件の初期対応ではAiを実施し、遺族との間で死因が手術後の出血ではないというコンセンサスが確立していたのだ。だが、病理診断で誤診があったという匿名の内部告発により、手術適用自体が間違っていたという問題にもつながりかねないのだ。田口は気管支鏡検査室、病理検査室へと事情聴取の調査を進めていくことになる。誤診と検体取り違えの可能性について、実務のプロセスを克明に調査・聴取した田口は、病理検査を担当した牛島講師の誤診と結論づける。そして、報告書(案)をまとめるのだが、なんとその田口の出した結論が、白鳥により、「不肖の弟子の調査結果を監査する」という理由で、白鳥・田口コンビでの再調査が展開されていく。このテーマの展開で興味深い点がいくつかある。
1.医療現場に於ける病理検査の状況について著者が光を当てていること。
2.患者死亡に関し、司法は医療を悪者に仕立て上げ、正義の鉄槌を下すという構図を取りたがることへの問題指摘が高階病院長の発言として触れられている点。
3.患者死亡に関連したAi情報利用の有効性。
4.大学病院の中の医療組織、医療実務の問題。例えば電子カルテと紙カルテ。人員問題。 このような副次的な視点の問題を描き込みながら、「今回のようにささやかな悪意を持ち合わせた人間がそれなりの立場にいて、悪意を増幅させた時に、病院のスタッフがその悪意を排除することは難しい」という局面を著者はストーリーに展開したのだ。
 その再調査の中で、カレイドスコープが白鳥によって、新型嘘発見器と称して使われていくのだから、おもしろい! その狙いは何だったか? 読んでのお楽しみである。
 このストーリー展開の中での田口と白鳥の会話は絶妙のコミカルさを含む。思わずニヤリとしたくなる箇所がしばしば登場する。この二人のやりとり部分を、著者自身楽しみながら書いているのではないか・・・とすら思いたくなる。いや、その軽妙さを出すために意外と辛苦しているのだろうか・・・・。読者としては実に楽しめるところでもある。

 2つめのテーマは、日本が新たなものを確立して行こうとするときのメンタリティというか、日本的風土がある意味でアイロニカルに描かれている。それが、高階病院長の根回しによる「Ai標準化国際会議」開催という手段とそのインパクトということになる。このテーマでは、東堂が積極的に田口をサポートしていてほほえましい。Ai技術が真に理解され、医療分野の中で正当な認知を得、積極的に活用されるためには何が障害となり、何が必要なのかが、Ai標準化国際会議というフィクションの企画の中で、著者は一般読者にわかりやすいパースペクティブを提示しているように感じた。
 この会議実行プロセスのなかで、田口の旧友たちが一堂に会する形になるのは、海堂ワールドの中での実に楽しい展開である。そして、ここにも、白鳥室長が顔を出してくるところが面白い。

 この作品は、11月16日午後3時、病院長室での場面描写と新年の迎え、病院機構の改革があったことで、幕を閉じる。

 著者が登場人物に語らせている事柄のいくつかを引用し、ご紹介しておきたい。
*医学が進歩し、人工授精という技術が生まれたため生命の起点が前方に遡り、受精卵が生命個体の発生点になりました。また、人工呼吸器や人工心臓が出来たため、死は後方に延長された。その新しい終点が脳死です。こうした概念の転換時に基本になる医学文法がエシックスです。新しい医学、医療を一般大衆に呑み込ませるには、エシックスは必要不可欠なのです。  p186
*日本の立法では小児臓器移植の脳死判定の際、死亡原因が虐待だと判明すると除外要因になる。
 虐待の診断Aiを実施しないと不可能です。虐待の診断基準には陳旧性の多発性骨折という項目があり、その所見の検出は、解剖では不可能で、画像診断が必須ですから。
 するとAi実施し虐待所見を発見したら、脳死判定自体を停止してしまうかもしれません。経過観察していた昏睡患者に脳死判定をしようとするモチベーションは、臓器移植のためだからです。すると同じ撮影でも、臓器移植が可能なら脳死と判定され、そうでなければ延命が続けられるというパラドキシカルな状況も出現し、その時撮影された画像はAiになったりAiでなくなったりする。これは医学の範疇を逸脱した、論理破綻した状況です。  p188
*Aiは生と死の境界線を引くために医療が必要とする検査。解剖は死亡した原因を調べるため行われる医学の土台。   p189
*非破壊検査の特性から、Aiは患者の死を客観的に確定できる境界領域の検査になるのさ。だから市民社会に適応する医療の基礎に置かれるだろうね。  p190

この作品の最後に近いところで、著者は田口の心境として、こんな文を記している。
 「いつの世も、顔を上げた前に道は広がる。
  うつむいてしおれた人間に未来は拓けない。」
 「それでも俺は医療に携わる人々の善意を信じたい。」

 尚、本書の巻末に「海堂尊ワールド」として、「作品相関図」、「登場人物相関図」、「全登場人物表」、「桜宮市年表」、「大学・病院施設MAP」、「用語解説」、「医療用語事典」が p240~p287 に掲載されている。海堂ファンには必須の優れものだと思う。この作品を読むのは後でも、この部分が手許にあると便利だろう。


 ご一読ありがとうございます。


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本作品に関係する語句で関心を抱いたものについて、少し検索してみた結果を一覧にしておきたい。

万華鏡   :ウィキペディア
Kaleidoscope  From Wikipedia, the free encyclopedia
David Brewster  From Wikipedia, the free encyclopedia
the Brewster Kaleidoscope Society (BKS)  ホームページ
The History of the Kaleidoscope   :「about.com」

脳死  :ウィキペディア
法的脳死判定マニュアル    厚生労働省
緊急医学からみた脳死  島崎修次氏 :「脳死を考える」
小児の法的脳死判定の実際  子どもの脳死臓器移植プロジェクト報告
小児脳死判定後の脳死否定例(概要および自然治癒例)
   :「屍体からの臓器摘出に麻酔?」( 守田憲二氏)

臓器の移植に関する法律  :ウィキペディア
臓器の移植に関する法律 (平成九年七月十六日法律第百四号) :「e-Gov」
「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)  厚生労働省
小児の脳死判定及び臓器提供等に関する調査研究

臓器移植法に関するトピックス  :「朝日新聞DIGITAL」

改正臓器移植法が施行されました  :「日本臓器移植ネットワーク」
臓器移植患者団体連絡会 活動報告
脳死・臓器移植法の改正に反対します 全国交通事故遺族の会



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『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版