2015年9月に出版された本書のカバーは、題名と照応するかのように、爽やかなタッチで描かれた装画である。表・表紙の並んで佇む二人は、佐久良亮・菜摘夫妻。佐久良亮は石坂宗哲門下で学びさらに長崎にて蘭方医学を学んだ鍼灸医で、黒田藩・博多の瓦町で開業する。菜摘は16歳のときに佐久良亮に嫁いだ。そして4年ほど亮から鍼灸術を学び、オランダ医学にも通じるようになり、亮の代診ができる腕前になっていた。そんな医者夫妻である。
一方、裏・表紙には腰に二刀をさし背後を振り返る武家としての男装をし、後を振り向く若い女と両腕を組み後から歩いて行く若い武士を描いている。若い女は筑前国の博多で眼科医を営む稲葉照庵の二女で16歳の千沙であり、若い男は菜摘の弟・誠之助。黒田藩郡方五十石、渡辺半兵衛の二男で部屋住みの身である。
この小説のタイトルは本書の最終ページから取られた。最終ページはこんな三行で締めくくられる。
「風がかおるように生きなければ。
菜摘はそう思いつつ中庭に目を遣った。
朝方の光があふれる中、風がさわやかに庭木の枝を揺らしている。」
タイトルは一種の反語である。ストーリーは菜摘の養父に関わる10年余前の長崎でのある出来事に端を発し、悲しい結末を迎えるに至る謎解きのプロセスを描く。亮が菜摘に言う。「長崎での悲しい出来事をわたしたちが吹き飛ばしたほうがいいと思う」と。
この物語が始まる時点で、佐久良亮は開業医としての仕事は菜摘に任せて、再び長崎に赴きオランダ医学を学んでいる。菜摘は夫・亮との間で手紙の交信をする。というよりも、事態の状況をつぶさに伝えるのである。亮から菜摘にはさして返信はないが、亮は菜摘の手紙から独自に長崎での情報収集を行い、ストーリーの最終段階で急遽知り得た重要な情報を胸に秘めて帰国してくるということになる。謎解きの最後の切り札を亮が掴んでいたというおもしろい設定である。
ストーリーは、千沙が父・照庵の意を受けて、菜摘の許にやってくる。照庵が診た病人側の頼みで、菜摘に病人を診に平尾村の待月庵まで出向いてほしいいと言う。求められれば、どこへでも、どのような患者でも出向くのが医者の努めだ、と亮に教えられていた菜摘は出向く。
待月庵は、千沙の従姉で馬廻り役嘉村吉衛(かむらきちえ)の妻であった多佳(たか)が髪を下ろし、城下のはずれに住む庵である。菜摘が待月庵で診ることになる病人が実は養父だった竹内佐十郎なのだ。菜摘は渡辺半兵衛の三女として生まれ、3歳のときに佐十郎の養女となり、10年間親子として生活してきた。だが佐十郎が致仕したことから離縁となり実家に戻る。そして3年後に亮の許に嫁いでいた。
佐十郎の病状を診た菜摘は、放っておけば1年はもたない体だと見立てる。
多佳の口から、佐十郎は果たし合いのために国に戻ってきたのだということである。
佐十郎が江戸詰めだったおり、妻の松江が幼馴染みの藩士河合源五郎と密通して駆け落ちしたという。帰国した佐十郎は、ある人物からなぜ妻敵(めがたき)討ちをしないのかと執拗に責められ、腰抜け呼ばわりされたという。そのため、佐十郎は致仕し、妻敵討ちの旅に出たのだ。佐十郎は妻敵討ちをすると告げ、討ち果たした暁には腰抜け呼ばわりした人と改めて果たし合いをするとまで言ったというのである。
佐十郎は致仕して10年後に黒田藩城下に戻ってきた。佐十郎は相手に果たし状の手紙を出した上で、戻ってきたのだった。
多佳は菜摘に言う。佐十郎が果たし合いをするのを止めてほしい、もし、それが無理なら、せめて果たし合いができる体にしてあげてほしいと。
養父の病状と余命を見立てた菜摘は、佐十郎が多佳や菜摘に対して黙して語らないために、養父が果たし合いをしようと考えている相手探しに踏み込んで行く。
菜摘は養父の体の治療と亮の代診としての日常の仕事がある。そこで、居候をしている誠之助に果たし合いの相手探しを頼むのである。千沙は誠之助が姉の代わりに相手探しの役に立てと言い、みずからも手助けすると申し出る。
果たし合いの相手探しは、結局佐十郎がなぜそれをしなければならない状況になったのかという謎解きのプロセスでもある。つまり、この小説は、佐十郎が妻敵討ちを終え、帰国し、果たし状を突きつけたことから広がる波紋を描き、その裏に潜む原因究明という謎解きを展開していく。
菜摘は養父佐十郎の治療に待月庵に出向く。佐十郎がなぜか嘉村吉衛の妻であった多佳には心を許しているような印象を、菜摘は初めて待月庵に出向いたときから抱くのだった。
果たし合いの相手を知るための手がかりがないかと、菜摘は多佳に相談する。多佳は、しばらく考え、横目付の田代助兵衛に訊いてみてはどうかとアイデアを出す。横目付は藩士の非違を見張る役職である。横目付の仕事柄、妻敵討ちの経緯を知っているはずだと言う。菜摘は、かつて竹内家を訪ねてきた田代のことを思い出す。佐十郎が後で田代のことを「鼬(いたち)め」と言ったときの記憶が甦る。
誠之助と千沙は、菜摘の代わりに田代の家に訪ねることから始めていく。助兵衛は誠之助の依頼に関心を寄せ、手助けを約束する。そして、少しずつ波紋が広がっていく。佐十郎の妻敵討ちは仕組まれたものであり、若き頃佐十郎を始めとする優秀な人々が「長崎聞役」として長崎に派遣されていた時代にその原因が潜んでいるということが見え始めていく。長崎聞役とは、幕府が西国十四藩に長崎での異国船の動きなど情報を集める役を命じており、長崎警備役も勤める福岡藩には重要な職務だったのだ。長崎聞役は他藩の者と組合を作って力を合わせて行動していたのだが、その過程で悪しき慣習も醸成されていたのだった。
この小説の興味深いところは二重構造性にある。10年余という歳月を経て、長崎聞役の同僚だった連中がそれぞれ出世し、藩の要職に就いていた。それぞれが出世欲を持ち競っていた若い時代の頃のことをそっと闇の底にそのまま潜ませておきたいという自己保身の層(側面)がある。しかし一方で、関係者それぞれにはその事実の核心について不確かさの部分を残す故に、曝かずにそっとしておきたいという友への思いという心情層(側面)がある。
若い頃竹内佐十郎とともに長崎聞役に出向いていた人物を田代助兵衛は調べあげた。
峰次郎右衛門 今は勘定奉行に出世している。
佐竹陣内 同じく、郡奉行に。
高瀬孫大夫 同じく、側用人に。
嘉村吉衛 再度、長崎聞役を志願し、長崎にて死去。
ここに、佐十郎の幼馴染みであり、城下で私塾を開く在野の人、間部暁斎(まなべぎょうさい)が関わってくる。佐十郎の意を受けて、峰たちに近づくのである。
これで、大凡主な登場人物が出揃ったことになる。
著者葉室の作品の多くは、2つの軸が絡み合いながらも広がりと深みを加えていくという構成になっている。この小説では、ストーリーに関係する様々な人々の出世欲という一つの太い軸に、愛というもう一つの軸が関わり合い、織り交ぜられていく。
出世欲は裏返せば、悪意や見て見ぬ振りという間接的な悪意が関わってくる。そこに愛欲の問題が絡まるという次第だ。
このストーリーで興味深いのは、やはり2重構造という構図である。
1つは、過去層の構造である。関係者の出世欲に絡む小さな悪意に、第三者の意図的な悪意がノイズとして加わえられたことにより、悪循環がスパイラル的に拡大していく構造である。関係者に知らされていない原因部分が起爆剤となり、それぞれの関係者の解釈と思いのレベルで、悪循環が広がって行く。復讐という怨念を生み出す。関係者がその悪循環サイクルに陥っていくという構図である。それが過去の事実の謎解きのプロセスとして展開していく。過去の真実が徐々に曝かれて行き、そこに意外性が加わって行く。
ここで、田代助兵衛は、黒子的存在となる。謎解きの糸口を与える役割を果たす。みずからの関心と欲からその原因をほぼ突きとめるが、結果的に殺害されてしまう。誰に殺されやのか? それが一つの読ませどころにもなる。
ここで、最後に佐久良亮がこう答えているのが、興味のあるところである。
「今回の件で悪人はひとりもいないようだ。しかし、ひとの心には時として魔が入り込む。魔は毒となってひとを次々に蝕んでいく。その様はまるで疫病のコロリのようだな」と。
ここに作者が描きたかったモチーフがあるように思う。
2つめは、現在層の構造である。過去のことに蓋をしておきたいがために取られる画策。そこには婚姻までも手段として使おうとする行動が現れる。
ところが、ここに、嫌なものは嫌だとする現代的感覚が盛り込まれ、織り込まれていく。勿論その裏側には想い定めた恋心が潜んでいるからでもある。過去層との違いは、己の想いを拒否という形で行動化するところにある。その行動を取るのは千沙。千沙は誠之助に想いを寄せている。誠之助は気づいていない。しかし、徐々に・・・・。
千沙の行動は、江戸時代に実際に取り得ただろうか? 私にはわからない。
だが、この作品世界では千沙と誠之助の関係が実に楽しく読める。そして、菜摘と亮の間の愛の在り方も点描されていく。
勿論、過去層から連綿と現在層に繋がっているある愛の問題が、この小説の大きな底流となっている。そこから出発しているストーリーでもある。
現在層では、様々な愛の有り様が織り込まれていく構図となっていて印象深い。
読み終えてから、あらためて表紙の装画を見直すと、う~ん、いいなあ・・・・と改めて感じた次第。謎解きプロセスから浮かびあがってくる暗さに対して、「風がかおるように生きなければ」という明るさが絵に表出されていて、うまくバランスが生み出されているように感じた。
実は、表紙だけ見たときには、タイトルに合わせたのかちょっと軽い乗りだな・・・内容も楽しいタッチのストーリーなのかなと思って、この小説を読み始めたのである。
だが、少しずつ核心に迫っていく謎解きプロセスを十分に楽しめ、最初の予想とは全くちがったストーリーに引きこまれて行った。千沙と誠之助の関わり方もおもしろかった。菜摘と亮の信頼関係が巧みに描かれている。そして、多佳という女性の生き方も読後に余韻を残す。一読をお奨めする。
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本書を読み、関心事項を少し調べてみた。一覧にしておきたい。
石坂宗哲 :「コトバンク」
石坂宗哲ノート :「疎簾風聞」
大隈言道 :ウィキペディア
大隈言道 千人万首 :「やまとうた」
大隈言道略伝 :「ささのや会」
長崎聞役 :ウィキペディア
長崎聞役 -江戸時代の情報収集者- 山下博幸氏 :「長崎楽会」
本草学 :「コトバンク」
江戸で生まれた植物学-本草学事始 大場秀章氏 :「こだわりアカデミー」
小野蘭山 日本の本草学の始まり もうひとつの学芸員室:「くすりの博物館」
オランダ商館 :「コトバンク」
出島和蘭商館跡 :「長崎市」
平戸オランダ商館の歴史 :「平戸オランダ商館」
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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『はだれ雪』 角川書店
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』 新潮社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東 講談社
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版(37+1冊)2016.1.27
一方、裏・表紙には腰に二刀をさし背後を振り返る武家としての男装をし、後を振り向く若い女と両腕を組み後から歩いて行く若い武士を描いている。若い女は筑前国の博多で眼科医を営む稲葉照庵の二女で16歳の千沙であり、若い男は菜摘の弟・誠之助。黒田藩郡方五十石、渡辺半兵衛の二男で部屋住みの身である。
この小説のタイトルは本書の最終ページから取られた。最終ページはこんな三行で締めくくられる。
「風がかおるように生きなければ。
菜摘はそう思いつつ中庭に目を遣った。
朝方の光があふれる中、風がさわやかに庭木の枝を揺らしている。」
タイトルは一種の反語である。ストーリーは菜摘の養父に関わる10年余前の長崎でのある出来事に端を発し、悲しい結末を迎えるに至る謎解きのプロセスを描く。亮が菜摘に言う。「長崎での悲しい出来事をわたしたちが吹き飛ばしたほうがいいと思う」と。
この物語が始まる時点で、佐久良亮は開業医としての仕事は菜摘に任せて、再び長崎に赴きオランダ医学を学んでいる。菜摘は夫・亮との間で手紙の交信をする。というよりも、事態の状況をつぶさに伝えるのである。亮から菜摘にはさして返信はないが、亮は菜摘の手紙から独自に長崎での情報収集を行い、ストーリーの最終段階で急遽知り得た重要な情報を胸に秘めて帰国してくるということになる。謎解きの最後の切り札を亮が掴んでいたというおもしろい設定である。
ストーリーは、千沙が父・照庵の意を受けて、菜摘の許にやってくる。照庵が診た病人側の頼みで、菜摘に病人を診に平尾村の待月庵まで出向いてほしいいと言う。求められれば、どこへでも、どのような患者でも出向くのが医者の努めだ、と亮に教えられていた菜摘は出向く。
待月庵は、千沙の従姉で馬廻り役嘉村吉衛(かむらきちえ)の妻であった多佳(たか)が髪を下ろし、城下のはずれに住む庵である。菜摘が待月庵で診ることになる病人が実は養父だった竹内佐十郎なのだ。菜摘は渡辺半兵衛の三女として生まれ、3歳のときに佐十郎の養女となり、10年間親子として生活してきた。だが佐十郎が致仕したことから離縁となり実家に戻る。そして3年後に亮の許に嫁いでいた。
佐十郎の病状を診た菜摘は、放っておけば1年はもたない体だと見立てる。
多佳の口から、佐十郎は果たし合いのために国に戻ってきたのだということである。
佐十郎が江戸詰めだったおり、妻の松江が幼馴染みの藩士河合源五郎と密通して駆け落ちしたという。帰国した佐十郎は、ある人物からなぜ妻敵(めがたき)討ちをしないのかと執拗に責められ、腰抜け呼ばわりされたという。そのため、佐十郎は致仕し、妻敵討ちの旅に出たのだ。佐十郎は妻敵討ちをすると告げ、討ち果たした暁には腰抜け呼ばわりした人と改めて果たし合いをするとまで言ったというのである。
佐十郎は致仕して10年後に黒田藩城下に戻ってきた。佐十郎は相手に果たし状の手紙を出した上で、戻ってきたのだった。
多佳は菜摘に言う。佐十郎が果たし合いをするのを止めてほしい、もし、それが無理なら、せめて果たし合いができる体にしてあげてほしいと。
養父の病状と余命を見立てた菜摘は、佐十郎が多佳や菜摘に対して黙して語らないために、養父が果たし合いをしようと考えている相手探しに踏み込んで行く。
菜摘は養父の体の治療と亮の代診としての日常の仕事がある。そこで、居候をしている誠之助に果たし合いの相手探しを頼むのである。千沙は誠之助が姉の代わりに相手探しの役に立てと言い、みずからも手助けすると申し出る。
果たし合いの相手探しは、結局佐十郎がなぜそれをしなければならない状況になったのかという謎解きのプロセスでもある。つまり、この小説は、佐十郎が妻敵討ちを終え、帰国し、果たし状を突きつけたことから広がる波紋を描き、その裏に潜む原因究明という謎解きを展開していく。
菜摘は養父佐十郎の治療に待月庵に出向く。佐十郎がなぜか嘉村吉衛の妻であった多佳には心を許しているような印象を、菜摘は初めて待月庵に出向いたときから抱くのだった。
果たし合いの相手を知るための手がかりがないかと、菜摘は多佳に相談する。多佳は、しばらく考え、横目付の田代助兵衛に訊いてみてはどうかとアイデアを出す。横目付は藩士の非違を見張る役職である。横目付の仕事柄、妻敵討ちの経緯を知っているはずだと言う。菜摘は、かつて竹内家を訪ねてきた田代のことを思い出す。佐十郎が後で田代のことを「鼬(いたち)め」と言ったときの記憶が甦る。
誠之助と千沙は、菜摘の代わりに田代の家に訪ねることから始めていく。助兵衛は誠之助の依頼に関心を寄せ、手助けを約束する。そして、少しずつ波紋が広がっていく。佐十郎の妻敵討ちは仕組まれたものであり、若き頃佐十郎を始めとする優秀な人々が「長崎聞役」として長崎に派遣されていた時代にその原因が潜んでいるということが見え始めていく。長崎聞役とは、幕府が西国十四藩に長崎での異国船の動きなど情報を集める役を命じており、長崎警備役も勤める福岡藩には重要な職務だったのだ。長崎聞役は他藩の者と組合を作って力を合わせて行動していたのだが、その過程で悪しき慣習も醸成されていたのだった。
この小説の興味深いところは二重構造性にある。10年余という歳月を経て、長崎聞役の同僚だった連中がそれぞれ出世し、藩の要職に就いていた。それぞれが出世欲を持ち競っていた若い時代の頃のことをそっと闇の底にそのまま潜ませておきたいという自己保身の層(側面)がある。しかし一方で、関係者それぞれにはその事実の核心について不確かさの部分を残す故に、曝かずにそっとしておきたいという友への思いという心情層(側面)がある。
若い頃竹内佐十郎とともに長崎聞役に出向いていた人物を田代助兵衛は調べあげた。
峰次郎右衛門 今は勘定奉行に出世している。
佐竹陣内 同じく、郡奉行に。
高瀬孫大夫 同じく、側用人に。
嘉村吉衛 再度、長崎聞役を志願し、長崎にて死去。
ここに、佐十郎の幼馴染みであり、城下で私塾を開く在野の人、間部暁斎(まなべぎょうさい)が関わってくる。佐十郎の意を受けて、峰たちに近づくのである。
これで、大凡主な登場人物が出揃ったことになる。
著者葉室の作品の多くは、2つの軸が絡み合いながらも広がりと深みを加えていくという構成になっている。この小説では、ストーリーに関係する様々な人々の出世欲という一つの太い軸に、愛というもう一つの軸が関わり合い、織り交ぜられていく。
出世欲は裏返せば、悪意や見て見ぬ振りという間接的な悪意が関わってくる。そこに愛欲の問題が絡まるという次第だ。
このストーリーで興味深いのは、やはり2重構造という構図である。
1つは、過去層の構造である。関係者の出世欲に絡む小さな悪意に、第三者の意図的な悪意がノイズとして加わえられたことにより、悪循環がスパイラル的に拡大していく構造である。関係者に知らされていない原因部分が起爆剤となり、それぞれの関係者の解釈と思いのレベルで、悪循環が広がって行く。復讐という怨念を生み出す。関係者がその悪循環サイクルに陥っていくという構図である。それが過去の事実の謎解きのプロセスとして展開していく。過去の真実が徐々に曝かれて行き、そこに意外性が加わって行く。
ここで、田代助兵衛は、黒子的存在となる。謎解きの糸口を与える役割を果たす。みずからの関心と欲からその原因をほぼ突きとめるが、結果的に殺害されてしまう。誰に殺されやのか? それが一つの読ませどころにもなる。
ここで、最後に佐久良亮がこう答えているのが、興味のあるところである。
「今回の件で悪人はひとりもいないようだ。しかし、ひとの心には時として魔が入り込む。魔は毒となってひとを次々に蝕んでいく。その様はまるで疫病のコロリのようだな」と。
ここに作者が描きたかったモチーフがあるように思う。
2つめは、現在層の構造である。過去のことに蓋をしておきたいがために取られる画策。そこには婚姻までも手段として使おうとする行動が現れる。
ところが、ここに、嫌なものは嫌だとする現代的感覚が盛り込まれ、織り込まれていく。勿論その裏側には想い定めた恋心が潜んでいるからでもある。過去層との違いは、己の想いを拒否という形で行動化するところにある。その行動を取るのは千沙。千沙は誠之助に想いを寄せている。誠之助は気づいていない。しかし、徐々に・・・・。
千沙の行動は、江戸時代に実際に取り得ただろうか? 私にはわからない。
だが、この作品世界では千沙と誠之助の関係が実に楽しく読める。そして、菜摘と亮の間の愛の在り方も点描されていく。
勿論、過去層から連綿と現在層に繋がっているある愛の問題が、この小説の大きな底流となっている。そこから出発しているストーリーでもある。
現在層では、様々な愛の有り様が織り込まれていく構図となっていて印象深い。
読み終えてから、あらためて表紙の装画を見直すと、う~ん、いいなあ・・・・と改めて感じた次第。謎解きプロセスから浮かびあがってくる暗さに対して、「風がかおるように生きなければ」という明るさが絵に表出されていて、うまくバランスが生み出されているように感じた。
実は、表紙だけ見たときには、タイトルに合わせたのかちょっと軽い乗りだな・・・内容も楽しいタッチのストーリーなのかなと思って、この小説を読み始めたのである。
だが、少しずつ核心に迫っていく謎解きプロセスを十分に楽しめ、最初の予想とは全くちがったストーリーに引きこまれて行った。千沙と誠之助の関わり方もおもしろかった。菜摘と亮の信頼関係が巧みに描かれている。そして、多佳という女性の生き方も読後に余韻を残す。一読をお奨めする。
ご一読ありがとうございます。
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本書を読み、関心事項を少し調べてみた。一覧にしておきたい。
石坂宗哲 :「コトバンク」
石坂宗哲ノート :「疎簾風聞」
大隈言道 :ウィキペディア
大隈言道 千人万首 :「やまとうた」
大隈言道略伝 :「ささのや会」
長崎聞役 :ウィキペディア
長崎聞役 -江戸時代の情報収集者- 山下博幸氏 :「長崎楽会」
本草学 :「コトバンク」
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その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『はだれ雪』 角川書店
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』 新潮社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東 講談社
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版(37+1冊)2016.1.27