遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『百人一首がよくわかる』  橋本 治  講談社

2017-06-10 12:08:26 | レビュー
 百人一首に関心を持っているので、文庫本や新書版で出ている解説本は手許に結構ある。通読というより、その都度の参照読みが多い。そこで、この本の背表紙を見たとき、著者がどう読み解くのかに関心をいだき読んでみた。

 奥書を見ると、「本書は、2009年に海竜社より刊行の単行本『新装版 桃尻語訳百人一首』を底本にしました」と記されている。私は海竜社刊の方もこの奥書を読んで初めて知ったので、底本とするという意味がどういうことか不案内である。事実だけ記しておく。
 さて、この本の特徴はまず実に手軽に感覚的に読みやすいということである。一首の説明に見開き2ページで使われている。ただし、右のページは、詠者名、本歌、現代語訳が記されているだけ。そして左のページは、一行41文字で最大12行、文字数にして最大492文字。一文字落としや段落があるので、さらに文字数は少なくなる。だから、現代語役に直接関係する事柄にほぼ絞り込まれた説明になっている。著者の現代語訳の解釈を読者の知識を広げるために少し補足解説する程度と言えようか。だから、学習参考書的な雰囲気はないので、面白く読み進むことができる。文字を読むという観点で言えば、221ページのボリュームが実質百数十ページの本を読むくらいになる。
 
 2つめには、文学研究者の解説本とは異なる点がある。それは、現代語訳のやり方である。藤原定家が選んだとされる百人一首の現代語訳を、著者が和歌の形で訳しているのだ。だから百人一首が現代人の感覚で和歌の5・7・5・7・7のリズムの感覚で読め、意味が現代感覚ですっと読める。つまり、百人一首が感覚的にス~ッと伝わってくるという次第である。そのス~ッと感の補強解説を必要に応じて左のページに加えていると言える。
 ただし、著者は和歌の形での現代語訳について、そのスタンスを4ページの「百人一首の現代語訳」で次のように述べている。著者のスタンスが現れている。
 「元の歌を見てください。たいした内容の歌でもないのに、昔の言葉にすると、とても深い内容で、美しいイメージがあるように見えるのです。大切なのは、そのことです。どんなことでも、言い方によっては、美しくなるし、深くなるのです。現代語訳は、そんな古典の言葉の美しさを知るための、参考だと思ってください」と。ちょっとした反語的言い回しがここにあると思う。

 3つめです。藤原定家が鎌倉時代までの100人の和歌を1作者1首で選んで、『百人秀歌』にまとめた。それが出発点で、後に『百人一首』が生まれたというプロセスが研究者により分析されています。よく言われているのは、定家は一人の歌人の詠んだ歌の中からベストと思われる歌を選んでいるとは限らないという論議があることです。定家には一歌人の歌を何らかの意図に合わせて1首チョイスしているという立場にたち、百首の歌のつながり具合や全体構造を読み解くというアプローチがかなり研究されている。こういう視点で分析的に研究された研究書や解説書、あるいは小説として描き出した本などがいくつも存在する。学者ではなく、作家として活躍する著者は、この点で一つの仮説を設定して、その観点で百人一首を読み解いていく。百人一首の関連構造を論じるということは、少なくとも文学研究者の百人一首解説本にはない。手許の文庫本・新書を見た範囲では、学者・研究者の解説本は原則的に各一首の歌の解釈と鑑賞のための読み解き解説である。
 それに対し、著者は、百人一首は「二人ずつのペアが50組ある」という仕組みで「オールタイム・ベスト100」が時代順に並べられているという仮説で読み解いていく。この点が、興味をそそる点でもある。歌をペアにして、時代順に並べて行きながら、全体の構造的なつながりにも触れていく。この点が興味をそそり、かつおもしろい。
 つまり、天智天王・持統天皇が最初のペア歌、柿本人麻呂・山部赤人がペア歌、・・・・という仕組みだと著者は読み解く。詠まれた歌の関わり方の解説が興味深いのである。そこに当事者の歌人が意図しなかった、藤原定家がペア歌にした意図、思惑が織り交ぜられているということになる。全体の関係性の中で、歌人と歌を理解するという鑑賞要素が生まれていく。

 それでは、著者の現代語訳自体を紹介するという観点で、手許にある百人一首解説・鑑賞本の中から、幾つかを取り上げて現代語訳を対比的に並べてみることにしよう。対比するそれぞれの解説・鑑賞本には、それぞれの特徴・個性がある。それぞれに有益なアプローチであることは間違いがない。対比n中から、橋本流現代語訳の面白さを感じていただく対比材料に使わせていただくだけである。参照書にまず少し触れておこう。

『百人一首』 全訳注 有吉 保著  講談社学術文庫
 文学研究者のオーソドックスな解説・鑑賞本。各一首に4ページでまとめられている。現代語訳・語釈・出典・鑑賞・作者・古註・解説とオールラウンドであり、過去の解釈原典などのソースもあり、研究視点では有益である。

『こんなに面白かった「百人一首」』 吉海直人監修 PHP文庫
 百人一首の研究者が監修している初心者向けの解説本。各一首に2~3ページを使い、現代語訳と解説がある。解説には、興味を惹かせるキャッチフレーズ見出しが付く。1ページをまるまる使ったイラスト図が要所要所に挿入されていて、イメージに訴求するので、入門書としては親しみ易い。10人の有名歌人のプロフィールをそれぞれ見開き2ページでまとめたコラムもある。

『百人一首 恋する宮廷』 高橋陸郎著 中公新書
 詩人である著者が、新聞連載という形で百人一首について一首ずつ語った文章を新書にまとめたもの。各一首に、見開き2ページでまとめられている。本歌が最初に記され、著者の連載記事文章の冒頭に現代語訳が書かれて、その後に著者の解釈や思い、読者への歌人周辺情報の解説などが綴られていく。著者は「後読みの大切さ」を重要だと言う。「読者それぞれが自分の生きている条件の中で読むことで、作品は書かれた時点からさらに成長するのではないか」(はじめに)と主張する。また、「わが国の詩歌の基本が恋歌」であると言う。詩人が受け止めた百人一首の鑑賞本である。

         

 以下、橋本訳、有吉訳、吉海訳、高橋訳という表記で対比的に良く知られた歌数例をサンプリングしてご紹介する。一つの歌を現代語訳するとどうなるか。その面白さも味わえるだろう。ここに対比した参照本に興味を持ってもらうきっかけにもなるかもしれない。
 本歌、歌人名をまず掲げ、その続きに各氏の現代語訳を並記する。

☆ 春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山     持統天皇 2

 橋本訳 春すぎて 夏来たみたい 真っ白な 衣干すのね 天のかぐ山
 
 有吉訳 いつの間にか春が過ぎて夏がきてしまったらしい。白妙の衣を干すという
     天の香具山に。

 吉海訳 春が過ぎて夏が来たらしい。昔から夏に白い着物をほすといわれている
     天の香具山に、純白の着物が干されているよ。

 高橋訳 どうやら春が過ぎて、夏が到来したようだ。新しい季節のしるしに白栲織
     の衣を干すという聖なる香具山に、白い色がまぶしい。この山に来た夏は
     たちまち全国に及ぶだあろう。

☆ 花の色はうつりにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに  小野小町 9

 橋本訳 花の色は 変わっちゃったわ だらだらと 
              ひとりでぼんやり してるあいだに

 有吉訳 美しい桜の花の色香は、すっかり色あせてしまったことであるよ。むなしく
     春の長雨が降っていた間に。--私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。
     むなしく私が男女の間のことにかかずらわって過ごし、いたずらに物思いに
     ふけっていた間に。

 吉海訳 桜の花の色はあさえてしまったわね。長雨が降り続く間に。私の容色も衰え
     てしまったわ。もの思いにふけっているうちに。

 高橋訳 目の前の花の色も、それを見ている私の色香も、すっかり移ろい褪せてしま
     ったなあ。ただぼんやりとなすこともなく、降りつづく長雨を来る日も来る
     日もながめ、自分の身すぎ世すぎのことを思いつづけているあいだに。


☆ 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにし我ならなくに   河原左大臣 14

 橋本訳 東北の しのぶ摺りだよ 誰のせい 乱れ模様は 僕からじゃない

 有吉訳 陸奥の信夫で産するしのぶ摺りの乱れ模様のように、私の心は忍ぶ思いに
     乱れていますが、あなた以外のだれかのために、乱れ始めた私ではないのに。
 吉海訳 陸奥の染め物「信夫もぢずり」の乱れ模様のように、私の心も乱れ始めた。
     誰のせいか? 私ではない、あなたのせいだ。

 高橋訳 遠いみちのくの、音に名高い信夫の里のしのぶぐさで染めた捩り染めの摺衣。 
     しのびにしのんだ私の心が捩り染めのように乱れ始めたのは、誰のせいでも
     なくあなたのせい。それなのにかえって私の心をお疑いとは、心外千万とは
     まさにこのことではありますまいか。

☆ 逢ふことのたえてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし 中納言朝忠 44

 橋本訳 セックスが この世になければ 絶対に こんなイライラ しないだろうさ!

 有吉訳 もし逢うことがまったくないものならば、かえって、相手の無情や、我が身
     のつらさを恨んだりはしないだろうに。

 吉海訳 もし逢うことがまったくなかったら、かえって、つれないあの人を恨んだり
     自分の運命を恨んだりしないだあろうに。

 高橋訳 世の中に男と女の相逢うて契りを交わすということがまったくないものなら、
     その後でつめたくなったあなたを恨むことも、そんなあなたを慕わしく思って
     契りを結んでしまった自分を恨むこともあるまいに。しかし、それでも、
     そんなあなたがいよいよ慕わしく、そんな自分がいとおしく思えてならない
     とは。ああ、恋というものは。

☆ 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする  式子内親王 89

 橋本訳 ネックレス 切れてもいいのよ このままじゃ 
                 心もそのうち はじけて消えそう

 有吉訳 わが命よ、絶えてしまうなら絶えてしまえ。このまま生きながらえると、自分
     の心ひとつに秘めている気持ちが弱り、思いが外に現れてしまいそうであるよ。
 吉海訳 私の命よ、絶えるのなら絶えてしまえ。生き長らえると、この恋を心に秘める
     力が弱まって、人に知られてしまうと困るから。

 高橋訳 みずから見たことはないが、わが魂をわが躰に結びつけているという美しい
     いのちの緒紐よ、切れるならいっそ切れてしまってくれ、こんな苦しい気持の
     まま、これ以上生き存えても、いつか心弱りして、せっかく忍び匿してきた
     裡の思いが外に現れてしまいかねないから。

と、まあこんな感じである。和歌の形で現代語にストレートで訳して、ス~ッと読者に分からせるおもしろさが読ませどころだろう。すばやくわかる、よくわかるというところ。
一方で、重ね合わせて読んでいくことで、百人一首の歌意のニュアンス理解に奥行きと広がりが加わるということも言える。「和歌の入門レッスン」である「百人一首」の世界に入るために、まず一冊、手軽な書を読んでみることから始めよう。

 ご一読ありがとうございます。


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