「はじめに」で著者自身が的確にこの本の特徴を述べている。
「歴史学者が『司馬遼太郎』をあえて正面から取り上げ、司馬作品から入って、体系的に戦国時代から昭和までの日本史を学ぶ珍しい本です」と。「あえて」「珍しい」という意味は、これまで学問としての歴史という世界に身を置く歴史学者が司馬遼太郎の作品を文学という別世界のものとして切り離してきた。学者観点から司馬遼太郎の歴史の考え方にには触れてこなかった事実、多分素人考えとして相手にしなかったことを踏まえている。つまり、著者はそのタブー(?)を破ったということである。
「司馬史観」という言葉が普通に使われていると私も思っている。歴史の流れのとらえかたについて、一般社会への影響力は大きかったと思う。細部を厳密詳細に分析・研究する歴史学者よりもその影響力は大きかったかもしれない。在野の小説家である司馬が歴史について語ることに対して、研究者の立場・視点から賛否両論あるのは当然のことだろう。正面から司馬遼太郎の記述・考え方を素材にして「歴史」をどうとらえるかについて、本書で語られていることは、一般人には役立つと思う。「学問としての歴史」という専門家の中だけでの象牙の塔的論議を積み重ねていても、一般大衆には直接的な影響力、インパクトが小さい。過去の歴史研究の成果は、やはり現在・未来という時間軸の先に対して役立つ必要があると思う。時代の動向に警鐘を鳴らす、あるいは歴史をつくる上で適切な発言をしてこそ、学者としての存在意義が生まれるのではないか。
そういう意味で、本書の試みは日本の歴史を捕らえ直す上でも、また司馬作品そのものを楽しむガイドとしても、役に立ち興味深い。
著者は司馬遼太郎を作家であると同時に歴史家だったと位置づける。「歴史について調べ、深く考えるという意味においては歴史家でもありました」(p12)と。さらに、「後世の歴史に影響を与えた」と言う意味において「歴史をつくる歴史家」だと言う。結構持ち上げている。
「歴史をつくる歴史家」として、著者は南北朝時代に『太平記』を著した小島法師、約200年前の江戸時代末期に『日本外史』を著した頼山陽、明治時代に全100巻に及ぶ『近世日本国民史』を書いた徳富蘇峰の3人を挙げている。この3人に続くのが司馬遼太郎だとする。歴史を描く際にたくさんの史料を引用した徳富蘇峰の影響を司馬遼太郎が受けながら「さらに多くの史料を収集して、蘇峰以後の、戦後日本人の歴史観をつくりました」(p16)と説明している。
人々は、学校の教科書にある無味乾燥な歴史ではなく、歴史上の人物の生きざまを知りたいという欲求が強い。私もそういう欲求を持つ。ある時代にある人物が何を思い、どう行動したのか、その生き様から学びたい。それに応えたのが司馬の作品だったと著者はとらえている。
「司馬さんの場合は、史料がたくさん残っている近代に近ければ近いほど、事実に近い史伝文学に近づいていき、逆に古代に向かっていくほど、歴史小説を離れて時代小説になっていきます」(p18)と分析しつつ、殆どが歴史小説と呼ばれる作品だとする。
その上で、司馬遼太郎を正面から取り上げて、「体系的に」日本史を学ぶという観点から、司馬作品のうち、事実に近い史伝文学作品を戦国時代から昭和以前までの期間で選択する。著者がここで取り上げたのは、戦国時代を語る上で『国盗り物語』、明治維新を語る上で『花神』を中軸にしながら、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』を取り上げていく。
著者は司馬文学に対して、これらの作品に触れながら、その特徴を分析する。そのいくつかを要約してみる。それ以外に指摘されている点は、本書を開いて読み込んでいただきたい。
*司馬遼太郎は戦争体験により「どうしてこういう国になってしまったのだろう?」「なぜ日本は失敗したのか」「なぜ日本陸軍は異常な組織になってしまったのか」という疑問を抱いた。それが小説を書かせた動因になった。HowよりWhyが根源にある。
司馬遼太郎はその疑問の原因を過去の歴史の中に探った。
*司馬文学は、時代のダイナミズムや社会の変動を描く「動態」の文学である。
それ故に、激動の時代を生きる我々に重要な示唆を与えてくれる。
*司馬遼太郎は、人物の好き嫌いは語らず、史料を踏まえて人物の本質に迫り、明確に評価し、その人物を定義する。つまり、人物評価に対する言明が明確である。
*司馬作品の中の人物評価で低く評価を与えられた人物は、ある種の「役割」を与えられた側面で描かれている。その人物の多様性は保留し、社会に与えた影響という視点で人物を大雑把に切り取っている。司馬文学に描かれた人物を客観的に理解するには、一定の約束事(司馬リテラシー)の理解が必要である。
人物の別の側面を捕らえ直して、人物評価をしないと駄目という著者の指摘である。
*社会変革期を「革命の三段階」という視点で歴史を捉えている。(1)新しい価値の創出者・予言者、(2)実行家・革命家、(3)果実を受け取る権力者、という三段階の展開である。
*旧来の日本人とは異なる、日本人離れした人物を描くという「自由さ」が魅力を生み出している。
*『国盗り物語』は、日本社会で上手に生きていくためのヒントを与える文学である。
上意下達の負の側面、国家と軍事力の関係、軍事力の暴走と結末を発生過程から見ていくことができる。
*『花神』で描かれた大村益次郎は、大村益次郎についての一次資料から見える実像に限りなく近い。著者はこの作品に司馬文学の真髄をみる。
*明治に生き残り活躍した元勲たちに比し、ある程度忘れかけられた存在だった坂本龍馬を「発見」し「宣揚」したのは司馬遼太郎である。
*明治新国家にとり、最も有用な財産となったのが江戸時代の多様性だと司馬は見抜いていた。その一つが人材の多様性である。
著者は、「公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではないものに向かって合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを成し遂げるのだというメッセージ」を司馬遼太郎が『坂の上の雲』に込めたとみる。明治という時代をひとつの「理想」として司馬は描いた。一方で、「昭和前期」についての小説は書かずに終わった。昭和については司馬がエッセイで様々に語っている箇所を引用して、司馬の考えを分析し説明する。司馬は昭和を「鬼胎の時代」と表現した点に触れ、司馬が明治をひとつの「理想」として描いたが、その中に「鬼胎の時代」を導いて言った原因が既に胚胎されていた点を指摘している。「第4章 「鬼胎の時代の謎に迫る」は、本書の読ませどころでもある。
著者は、司馬遼太郎がその作品群の中で、「日本国家が誤りに陥っていくときにパターンを何度も繰り返し」(p184)示している、日本人の弱みの部分を作品中に描き出している点を指定している。そして、その側面こそ我々の鏡として、未来に備えるために有益なのだと結論づけているように思う。司馬文学から改めて学びを引き出すための語り部となっている。
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「歴史学者が『司馬遼太郎』をあえて正面から取り上げ、司馬作品から入って、体系的に戦国時代から昭和までの日本史を学ぶ珍しい本です」と。「あえて」「珍しい」という意味は、これまで学問としての歴史という世界に身を置く歴史学者が司馬遼太郎の作品を文学という別世界のものとして切り離してきた。学者観点から司馬遼太郎の歴史の考え方にには触れてこなかった事実、多分素人考えとして相手にしなかったことを踏まえている。つまり、著者はそのタブー(?)を破ったということである。
「司馬史観」という言葉が普通に使われていると私も思っている。歴史の流れのとらえかたについて、一般社会への影響力は大きかったと思う。細部を厳密詳細に分析・研究する歴史学者よりもその影響力は大きかったかもしれない。在野の小説家である司馬が歴史について語ることに対して、研究者の立場・視点から賛否両論あるのは当然のことだろう。正面から司馬遼太郎の記述・考え方を素材にして「歴史」をどうとらえるかについて、本書で語られていることは、一般人には役立つと思う。「学問としての歴史」という専門家の中だけでの象牙の塔的論議を積み重ねていても、一般大衆には直接的な影響力、インパクトが小さい。過去の歴史研究の成果は、やはり現在・未来という時間軸の先に対して役立つ必要があると思う。時代の動向に警鐘を鳴らす、あるいは歴史をつくる上で適切な発言をしてこそ、学者としての存在意義が生まれるのではないか。
そういう意味で、本書の試みは日本の歴史を捕らえ直す上でも、また司馬作品そのものを楽しむガイドとしても、役に立ち興味深い。
著者は司馬遼太郎を作家であると同時に歴史家だったと位置づける。「歴史について調べ、深く考えるという意味においては歴史家でもありました」(p12)と。さらに、「後世の歴史に影響を与えた」と言う意味において「歴史をつくる歴史家」だと言う。結構持ち上げている。
「歴史をつくる歴史家」として、著者は南北朝時代に『太平記』を著した小島法師、約200年前の江戸時代末期に『日本外史』を著した頼山陽、明治時代に全100巻に及ぶ『近世日本国民史』を書いた徳富蘇峰の3人を挙げている。この3人に続くのが司馬遼太郎だとする。歴史を描く際にたくさんの史料を引用した徳富蘇峰の影響を司馬遼太郎が受けながら「さらに多くの史料を収集して、蘇峰以後の、戦後日本人の歴史観をつくりました」(p16)と説明している。
人々は、学校の教科書にある無味乾燥な歴史ではなく、歴史上の人物の生きざまを知りたいという欲求が強い。私もそういう欲求を持つ。ある時代にある人物が何を思い、どう行動したのか、その生き様から学びたい。それに応えたのが司馬の作品だったと著者はとらえている。
「司馬さんの場合は、史料がたくさん残っている近代に近ければ近いほど、事実に近い史伝文学に近づいていき、逆に古代に向かっていくほど、歴史小説を離れて時代小説になっていきます」(p18)と分析しつつ、殆どが歴史小説と呼ばれる作品だとする。
その上で、司馬遼太郎を正面から取り上げて、「体系的に」日本史を学ぶという観点から、司馬作品のうち、事実に近い史伝文学作品を戦国時代から昭和以前までの期間で選択する。著者がここで取り上げたのは、戦国時代を語る上で『国盗り物語』、明治維新を語る上で『花神』を中軸にしながら、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』を取り上げていく。
著者は司馬文学に対して、これらの作品に触れながら、その特徴を分析する。そのいくつかを要約してみる。それ以外に指摘されている点は、本書を開いて読み込んでいただきたい。
*司馬遼太郎は戦争体験により「どうしてこういう国になってしまったのだろう?」「なぜ日本は失敗したのか」「なぜ日本陸軍は異常な組織になってしまったのか」という疑問を抱いた。それが小説を書かせた動因になった。HowよりWhyが根源にある。
司馬遼太郎はその疑問の原因を過去の歴史の中に探った。
*司馬文学は、時代のダイナミズムや社会の変動を描く「動態」の文学である。
それ故に、激動の時代を生きる我々に重要な示唆を与えてくれる。
*司馬遼太郎は、人物の好き嫌いは語らず、史料を踏まえて人物の本質に迫り、明確に評価し、その人物を定義する。つまり、人物評価に対する言明が明確である。
*司馬作品の中の人物評価で低く評価を与えられた人物は、ある種の「役割」を与えられた側面で描かれている。その人物の多様性は保留し、社会に与えた影響という視点で人物を大雑把に切り取っている。司馬文学に描かれた人物を客観的に理解するには、一定の約束事(司馬リテラシー)の理解が必要である。
人物の別の側面を捕らえ直して、人物評価をしないと駄目という著者の指摘である。
*社会変革期を「革命の三段階」という視点で歴史を捉えている。(1)新しい価値の創出者・予言者、(2)実行家・革命家、(3)果実を受け取る権力者、という三段階の展開である。
*旧来の日本人とは異なる、日本人離れした人物を描くという「自由さ」が魅力を生み出している。
*『国盗り物語』は、日本社会で上手に生きていくためのヒントを与える文学である。
上意下達の負の側面、国家と軍事力の関係、軍事力の暴走と結末を発生過程から見ていくことができる。
*『花神』で描かれた大村益次郎は、大村益次郎についての一次資料から見える実像に限りなく近い。著者はこの作品に司馬文学の真髄をみる。
*明治に生き残り活躍した元勲たちに比し、ある程度忘れかけられた存在だった坂本龍馬を「発見」し「宣揚」したのは司馬遼太郎である。
*明治新国家にとり、最も有用な財産となったのが江戸時代の多様性だと司馬は見抜いていた。その一つが人材の多様性である。
著者は、「公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではないものに向かって合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを成し遂げるのだというメッセージ」を司馬遼太郎が『坂の上の雲』に込めたとみる。明治という時代をひとつの「理想」として司馬は描いた。一方で、「昭和前期」についての小説は書かずに終わった。昭和については司馬がエッセイで様々に語っている箇所を引用して、司馬の考えを分析し説明する。司馬は昭和を「鬼胎の時代」と表現した点に触れ、司馬が明治をひとつの「理想」として描いたが、その中に「鬼胎の時代」を導いて言った原因が既に胚胎されていた点を指摘している。「第4章 「鬼胎の時代の謎に迫る」は、本書の読ませどころでもある。
著者は、司馬遼太郎がその作品群の中で、「日本国家が誤りに陥っていくときにパターンを何度も繰り返し」(p184)示している、日本人の弱みの部分を作品中に描き出している点を指定している。そして、その側面こそ我々の鏡として、未来に備えるために有益なのだと結論づけているように思う。司馬文学から改めて学びを引き出すための語り部となっている。
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