本書を読んで最初に思い浮かんだのは「羊頭狗肉」の逆バージョンだな、である。羊の頭を看板に掲げて、実はイヌの肉を売るという、見せかけだけで実質のともなわないことを例える成句がある。この『京都ぎらい』第2作はその逆ではないか。
第一作の『京都ぎらい』はその視点の面白さ、ちょっとしたなるほどと思える意識格差などを取り上げ、経験談を含みつつ洛中・洛外の切り分けでの嫌いな側面を語るというところを興味深かく感じた。そこで、「京都ぎらい」をさらに「官能」という観点で絞り込んだらどんな所論が展開され、深堀りされるのか・・・・・なんて、そんな軽い気持で読み始めた。そういう意味では、看板に偽りありともいえる。「京都ぎらい」からは、良い意味ではずれていく。
いわば「京都ぎらい」+「官能」というタイトル。「京都ぎらい」という「羊頭」は、いわば第一作がヒットしたので、その名称を○○シリーズのタイトルに使っているに過ぎない。あたかもヒットしている警察小説ジャンルの作家たちのシリーズ本のように。勿論、警察小説読者は、たぶん私も含めて、そのシリーズで主人公の活躍に「羊肉以上」の期待を求める。
一方、本書は小説ではないので、「京都ぎらい」のスタンスという「羊頭」看板からはちょっと期待外れ。出版営業マーケティングの打ち出したタイトルか。
提供された内容は「狗肉」ではない。お間違えなく! 本書のタイトルからの期待感を外して、別物として読むとおもしろいヒストリア集と言える。
史書や文書類に書き残された人々の生活・活動の累積から眺められる長い歴史について、事実を研究する学者・研究者は知っていても表立って語ることのない歴史秘話や側面がある。それは決して義務教育の教科書(建前の世界)では語られることのない側面である。それ故に教科書は事象・項目の羅列、表層的な記述となり、おもしろさがない。無味乾燥化しがちなのだろう。歴史=テスト用・受験用年代・事項暗記物に堕してしまう。
ところが、本書では広義の京都を中心に、教科書では触れられない局面である「官能」の視点を絡ませて、古代から中世にかけての宮廷や公家・武士を含めた権力者層の様々な題材に切り込んでいく。この視点を打ち出せば、まあ「教科書」に載ることはない。だから、背景話・裏話を明るみに取り出したエピソード語りということになる。そこには泥臭いリアルな人間の素顔、またその時代の体制の思惑が現れてくる。リアルな人間味が陰から表に暴き出され、教科書的でない、生々しい「実質」が伴われてくる。このヒストリア的な側面が興味深く、読ませどころになる。
著者が奥嵯峨で育ち大学受験時代までに奥嵯峨で経験したことを原点にして、嵯峨に関連した歴史と官能の視点からまず書き始めている。一つだけ、『京都ぎらい』の前作と架橋されている部分がある。それはかつて洛中に住み、今は関東在住の人から著者が読後感想として受信した手紙に触れ、その論点を展開している点である。これは後で触れる。
本書は6章で構成されている。それぞれ一応独立したテーマとして読める。各章で何がおもしろい点かという印象を綴っていき、本書への誘いとしよう。
1.古典と嵯峨
奥嵯峨で育った著者が、少年時代から受験生時代にかけての奥嵯峨の変化を眺めてきた。それを背景にしながら、奥嵯峨観光化の歴史を語っている。子供の頃の常寂光寺の庭に当時の住職がぶこつな空き缶細工のオブジェを意図的に置いていたというおもしろいエピソードから始まり、常寂光寺のその後の変化を導入にして、嵯峨野で女性観光客に人気のある「祇王寺」を始とした観光名所と仕掛人(諸メディアなど)との関連話になっていく。嵯峨に人気が集まる前の情景を知る著者ならではの体験を踏まえた変化の書きっぷりがおもしろい。
東京オリンピックに間に合わせて1964年に東海道新幹線が東京-大阪間で営業開始を始めた折に、京都を「ひかり」の停車駅にした裏話が興味深い。それが、当時の国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンになり、奥嵯峨がどう変化したかに繋がって行く。『an・an』『non・no』という懐かしい雑誌名まで遡っていく。そして、大ヒットしたデューク・エイセスの「女ひとり」の地理観を語る。しいて言えば、ここに前作『京都ぎらい』とのリンキングを加えているといえる。
著者は時代劇映画全盛の頃、嵯峨は撮影の舞台となり、「嵯峨こそがテレビの世界では江戸なのだ」と想うようになったと言う。だが、その考えが1973,4年頃からゆらぎだし、古典との関わりの認識になったという。それは、著者が現住する宇治にも当てはまると言う。JR(旧国鉄)、雑誌、さらには旅行社も含めて、「どこがいちばんかせげるか、そんな営業上の打算から、京都とその周辺にねらいをしぼった」(p58)という筋読みはナルホドである。
根っからの古典・文芸好き、歴史好きの観光客も居るだろうが、外部情報源・諸メディアが大きな流れづくりをする中で蠢く観光客の側面をさらりと語ってもいておもしろい。
2.白拍子のかくれ里
第1章で祇王寺が事例になった。ここではその祇王寺、いわゆる尼寺の由来と歴史的変遷を語る。おもしろいのは、その歴史のウエイトの置き方である。祇王寺が『平家物語』に登場する祇王岐女の出家、後に加わり出家した仏の物語という由来は、勿論触れている。だが興味深いのは、著者が物心が付いたころの庵主・智照尼にウエイトを置いて説明している。そして、この智照尼が瀬戸内晴美著『女徳』のモデルであることと、それに絡めて解説が展開する。智照尼=名妓照葉のエピソード話となる。
面白いのは「祇王寺」そのものについての裏話をきっちりと押さえている点である。
3.京都はかわった
この第3章は、著者の前作に対する読者の手紙に記されていた一文へのこだわりとの関連で話材が展開していく。その一文とは「なお嵯峨の老人が『京へ行く』というのは物理的に移動する意味ではなく、京都の遊郭へ女を買いに行く意味だと想います」である。
つまり、ストレートに官能に絡む視点の展開となる。1958年売春防止法の施行で切り分けをしながら、主に明治大正以降のいわば洛中の淫風を、諸資料を引用しながら論じている。『京都文学巡礼』(菊地昌治著)、『全国花街めぐり』(松川二郎著・1929年)、『日本女地図』(殿山泰司著・1969年)などである。当時の状況が垣間見える。
この章で私が特に面白いと感じるのは次の諸点だ。
*「作家の夏目漱石が京都を小馬鹿にしていたことは、よく知られる」(p98)という一文から著者が論じているエピソード。
*島原の角屋は、現在「角屋もてなしの文化美術館」として知られている。この美術館は、江戸初期の揚屋建築がそのまま現存し使われている。著者はこの角屋が同じ時代の遺構である桂離宮とデザイン的にひびきあうと言う。歴史家の林屋辰三郎がその類似性に驚いて見せた形で文を書いているという例を紹介している。著者の論点はそれは驚きではなく同時代性の視座にたつのだろう。この点詳述はない。ただ、これにまつわる裏話がきっちりと記されていておもしろい。
*林屋辰三郎は寛永文化論という持論から角屋を遊郭と述べた。一方、現在の角屋は「もてなしの文化美術館」と位置づけ、遊郭という表現を嫌うようになっているという。そこには、遊郭という言葉のイメージと実態がが時代の変遷とともに変化したことにもよるのだろう。著者が、「高度成長期にすすんだ京都観光の脱=性化」「文化に敬意をはらう女性客の浮上」「京都観光の女性化」という動向に角屋が女性客の来館をターゲットにするためと意図を解釈していることもおもしろい。
4.武者をとろけさせる女たち
この章で、著者は『太平記』にもとづいて、南北朝時代の権力者の有り様を日本歴史の学者なら公の場ではたぶん語らない歴史の裏側を取り上げている。共通理解や推測が可能でも、事実を論理的に立証する確証なしには研究者としては論議でいないだろうからである。その点、その分野の専門家でない著者は自由に発言ができるともいえる。
著者は、南朝の起点となる後醍醐天皇が「えびす心」の武士操縦術として、後宮に仕えていた女を利用したという。後醍醐は己の想い者であった勾当内侍(こうとうのないし)を宮廷警護の任をひきうけていた新田義貞に盃に付けて勾当内侍を譲ったという。後醍醐天皇が新田義貞の忠誠心を買うために取ったこの事例を引いて論じている。同様のことを、足利尊氏につかえた執事である高師直が「連れ平家」の形式で平家語りを聴いた話として、近衛天皇と源頼政の間での逸話を取り上げている。その上で、高師直自身が侍従の語り口から塩冶高貞の美人妻に横恋慕したエピソードの顛末につないでいく。
要は南北朝時代に武士への報償として天皇により宮廷の女が道具に使われたという実態話である。教科書には載ることのない側面である。後醍醐天皇が頻繁に行った宴席がどんな者だったかを、現代風に説明しているのがおもしろい。やっていることは昔も今も変わらないなあ・・・・という感じ。「無礼講」の意味は知っていたが、どの語源が『太平記』の宴席にあるというのを、本書を読んで知った次第。手許にある3種の大型国語辞典を引いてみたが、やはり『太平記』の宴席のことまでは触れていない。
5.共有された美女
興味をそそられる見出しである。ここでも南北朝時代を取り上げて、幾つかの教科書に記されることのない裏話をオープンに語っている。13世紀の後深草天皇に関わる話。少年時代に乳母に性的な手ほどきをしてもらい、成人してはその乳母の娘・二条を引き取り育て、二条が14歳の折りに、後深草は寝ているところに忍び込んだという。『源氏物語』のバリエーションを地で行った話のよう。ここに後日譚があり、西園寺実兼という公家が絡んでくる。その内容は本文を読んでいただきたい。やるもんやな・・・・というところ。著者は、ここに、後深草の政治的な野心を想定し、美貌の二条の利用法だと読み取って行く。南北朝時代の両統交代制確立の裏話、一つの泥臭い仮説として楽しめる。そして、さらには・・・・と二条の数奇な人生、その美貌故の官能篇的行動が語られて行く。著者は『とはずがたり』を種本として、読者向けにわかりやすく解き明かしてくれているようである。この章を読んで、この古典に俄然興味が湧いてきた次第。
著者は、『万葉集』の超有名な恋歌にも言及する。額田王・天智天皇・大海人皇子の三角関係話である。「俺と弟は、ただの兄弟じゃあない。同じ女をわかちあう、その意味でも血のかよいあう兄弟である。そう群臣たちの前でも、言外につげていたのではないか」(p188)という解釈に展開していく。国文学の世界で通説となっている読み解きとは大いに異なり、おもしろい。そして、天智天皇が宮廷でも評判の高かった安見児(やすみこ)という采女をある重要人物にさげわたした話で締めくくる。末尾の文興味深い。
「安見児の下賜が叙勲の儀礼めいてうつる。あるいは、女という褒章、トロフィーミストレスの授与式ででもあるかのように。」(p195)こんなことは教科書には出て来ない。そこが本書を通じて、古代史の時代と価値観を含めて、人間臭さ、血と肉を伴う人物群の歴史として、種々のエピソード、裏話を楽しめるところである。
6.王朝の力
著者は、平安京での王朝がどんなものだったかを、ごくわかりやすい例えを駆使しながら語る。そして、ヴェルサイユの王朝との比較もしている。
例えの面白さという側面をまずご紹介しておこう。8世紀半ばに成立した「内教坊」=王朝内の芸能プロダクション。王朝のホステス=女房たち。12世紀半ばの近衛天皇の后の一人、藤原呈子(しめこ)が市中から雑仕女(ぞうしめ)選びとして行った美人コンテスト。という例えである。
その美人コンテストの結果選ばれたのが常葉(常盤)だという。常葉は雑仕女として宮廷に勤め、呈子の居所の警備をしていた源義朝に下野守の官職とともにさげわたされたという。それが頼朝・義経など3人の子の母となった町娘の登場である。常葉は源義朝が平清盛に敗れた後、清盛が人質としてとらえた常葉を想い者としてかこい、花山院の女房となる廊の御方を生ませたという。その後、清盛は常葉を大蔵卿・一条長成にゆずられたとか。常葉の人生もまた波乱万丈の処世だった。
著者は最後に、捕虜となり鎌倉に一旦おくられた平重衡を源頼朝の命でなぐさめたという千手の前を取り上げている。
かつて、王朝や権力者は女を道具として扱ったということなのだろう。
京の王朝が得意とした性の政治手法が一番発展したのが後醍醐の時代であり、300年弱後の17世紀、後陽成の時代には性の政治を活かすことができなくなった時代であるとする。そして、京都に当局の管理下に置かれた遊郭が存在するようになる。そして、江戸幕府体制下の1640年代からは、島原に公許の色街が設けられ、遊戯的な性のアウトソーシング化が明確になったと著者は言う。そして、そこに王朝のセックスにまつわる文化が、街場に伝わり、遊里へ拡散したと孝察する。宮廷文化の精華である桂離宮の造形と、遊郭の揚屋における造形のデザインがつうじあう理由がそこにあるという。王朝文化への憧憬が、造形の形で文化伝搬されたということなのだろう。興味深い。
タイトル「京都ぎらい」は看板倒れで、一歩「京都」に踏み込んで歴史的に知るようにしむけ「京都好き」にさせる本になっている。読ませるエサが「官能篇」という切り口である。どの時代にもセックスにまつわる文化的側面がある。好奇心をかき立てる側面から導かれていく歴史の懐は深く、実に多彩である。
ご一読ありがとうございます。
本書に出てくる事項や名所関連情報でネット検索したものを一覧にしてみよう。(仕掛人側に加担するいとはないけれど・・・・)それらの内容から、実質と仕掛けを識別していただければおもしろいかも。
観光マップ 嵯峨野・嵐山 :「そうだ 京都、行こう」
常寂光寺 ホームページ
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 ホームページ
祇王寺 ホームページ
平家物語 - 巻第一・祇王 『入道相国…』 (原文・現代語訳):「学ぶ・教える.com」
常盤御前 :ウィキペディア
桂離宮 :「宮内庁」
桂離宮のモダニズム :「京都文化博物館」
角屋保存会 角屋もてなしの文化美術館 ホームページ
北朝 持明院の跡 :「京都旅屋」
後醍醐天皇 :ウィキペディア
後醍醐天皇 :「コトバンク」
南北朝時代 :ウィキペディア
後深草天皇 :ウィキペディア
後深草天皇 :「コトバンク」
後陽成天皇 :ウィキペディア
後陽成天皇 :「コトバンク」
遊郭 :ウィキペディア
売春防止法 :「e-Gov」
もはや観光地 京都最大の花街『島原』はこんな所 :「レトロな風景を訪ねて」
かつて花街だった島原界隈を散策◆京都でもかなり穴場の観光地 :「4travel.jp」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもご一読いただけるとうれしいです。
『京都ぎらい』 朝日新書
『関西人の正体』 朝日文庫
第一作の『京都ぎらい』はその視点の面白さ、ちょっとしたなるほどと思える意識格差などを取り上げ、経験談を含みつつ洛中・洛外の切り分けでの嫌いな側面を語るというところを興味深かく感じた。そこで、「京都ぎらい」をさらに「官能」という観点で絞り込んだらどんな所論が展開され、深堀りされるのか・・・・・なんて、そんな軽い気持で読み始めた。そういう意味では、看板に偽りありともいえる。「京都ぎらい」からは、良い意味ではずれていく。
いわば「京都ぎらい」+「官能」というタイトル。「京都ぎらい」という「羊頭」は、いわば第一作がヒットしたので、その名称を○○シリーズのタイトルに使っているに過ぎない。あたかもヒットしている警察小説ジャンルの作家たちのシリーズ本のように。勿論、警察小説読者は、たぶん私も含めて、そのシリーズで主人公の活躍に「羊肉以上」の期待を求める。
一方、本書は小説ではないので、「京都ぎらい」のスタンスという「羊頭」看板からはちょっと期待外れ。出版営業マーケティングの打ち出したタイトルか。
提供された内容は「狗肉」ではない。お間違えなく! 本書のタイトルからの期待感を外して、別物として読むとおもしろいヒストリア集と言える。
史書や文書類に書き残された人々の生活・活動の累積から眺められる長い歴史について、事実を研究する学者・研究者は知っていても表立って語ることのない歴史秘話や側面がある。それは決して義務教育の教科書(建前の世界)では語られることのない側面である。それ故に教科書は事象・項目の羅列、表層的な記述となり、おもしろさがない。無味乾燥化しがちなのだろう。歴史=テスト用・受験用年代・事項暗記物に堕してしまう。
ところが、本書では広義の京都を中心に、教科書では触れられない局面である「官能」の視点を絡ませて、古代から中世にかけての宮廷や公家・武士を含めた権力者層の様々な題材に切り込んでいく。この視点を打ち出せば、まあ「教科書」に載ることはない。だから、背景話・裏話を明るみに取り出したエピソード語りということになる。そこには泥臭いリアルな人間の素顔、またその時代の体制の思惑が現れてくる。リアルな人間味が陰から表に暴き出され、教科書的でない、生々しい「実質」が伴われてくる。このヒストリア的な側面が興味深く、読ませどころになる。
著者が奥嵯峨で育ち大学受験時代までに奥嵯峨で経験したことを原点にして、嵯峨に関連した歴史と官能の視点からまず書き始めている。一つだけ、『京都ぎらい』の前作と架橋されている部分がある。それはかつて洛中に住み、今は関東在住の人から著者が読後感想として受信した手紙に触れ、その論点を展開している点である。これは後で触れる。
本書は6章で構成されている。それぞれ一応独立したテーマとして読める。各章で何がおもしろい点かという印象を綴っていき、本書への誘いとしよう。
1.古典と嵯峨
奥嵯峨で育った著者が、少年時代から受験生時代にかけての奥嵯峨の変化を眺めてきた。それを背景にしながら、奥嵯峨観光化の歴史を語っている。子供の頃の常寂光寺の庭に当時の住職がぶこつな空き缶細工のオブジェを意図的に置いていたというおもしろいエピソードから始まり、常寂光寺のその後の変化を導入にして、嵯峨野で女性観光客に人気のある「祇王寺」を始とした観光名所と仕掛人(諸メディアなど)との関連話になっていく。嵯峨に人気が集まる前の情景を知る著者ならではの体験を踏まえた変化の書きっぷりがおもしろい。
東京オリンピックに間に合わせて1964年に東海道新幹線が東京-大阪間で営業開始を始めた折に、京都を「ひかり」の停車駅にした裏話が興味深い。それが、当時の国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンになり、奥嵯峨がどう変化したかに繋がって行く。『an・an』『non・no』という懐かしい雑誌名まで遡っていく。そして、大ヒットしたデューク・エイセスの「女ひとり」の地理観を語る。しいて言えば、ここに前作『京都ぎらい』とのリンキングを加えているといえる。
著者は時代劇映画全盛の頃、嵯峨は撮影の舞台となり、「嵯峨こそがテレビの世界では江戸なのだ」と想うようになったと言う。だが、その考えが1973,4年頃からゆらぎだし、古典との関わりの認識になったという。それは、著者が現住する宇治にも当てはまると言う。JR(旧国鉄)、雑誌、さらには旅行社も含めて、「どこがいちばんかせげるか、そんな営業上の打算から、京都とその周辺にねらいをしぼった」(p58)という筋読みはナルホドである。
根っからの古典・文芸好き、歴史好きの観光客も居るだろうが、外部情報源・諸メディアが大きな流れづくりをする中で蠢く観光客の側面をさらりと語ってもいておもしろい。
2.白拍子のかくれ里
第1章で祇王寺が事例になった。ここではその祇王寺、いわゆる尼寺の由来と歴史的変遷を語る。おもしろいのは、その歴史のウエイトの置き方である。祇王寺が『平家物語』に登場する祇王岐女の出家、後に加わり出家した仏の物語という由来は、勿論触れている。だが興味深いのは、著者が物心が付いたころの庵主・智照尼にウエイトを置いて説明している。そして、この智照尼が瀬戸内晴美著『女徳』のモデルであることと、それに絡めて解説が展開する。智照尼=名妓照葉のエピソード話となる。
面白いのは「祇王寺」そのものについての裏話をきっちりと押さえている点である。
3.京都はかわった
この第3章は、著者の前作に対する読者の手紙に記されていた一文へのこだわりとの関連で話材が展開していく。その一文とは「なお嵯峨の老人が『京へ行く』というのは物理的に移動する意味ではなく、京都の遊郭へ女を買いに行く意味だと想います」である。
つまり、ストレートに官能に絡む視点の展開となる。1958年売春防止法の施行で切り分けをしながら、主に明治大正以降のいわば洛中の淫風を、諸資料を引用しながら論じている。『京都文学巡礼』(菊地昌治著)、『全国花街めぐり』(松川二郎著・1929年)、『日本女地図』(殿山泰司著・1969年)などである。当時の状況が垣間見える。
この章で私が特に面白いと感じるのは次の諸点だ。
*「作家の夏目漱石が京都を小馬鹿にしていたことは、よく知られる」(p98)という一文から著者が論じているエピソード。
*島原の角屋は、現在「角屋もてなしの文化美術館」として知られている。この美術館は、江戸初期の揚屋建築がそのまま現存し使われている。著者はこの角屋が同じ時代の遺構である桂離宮とデザイン的にひびきあうと言う。歴史家の林屋辰三郎がその類似性に驚いて見せた形で文を書いているという例を紹介している。著者の論点はそれは驚きではなく同時代性の視座にたつのだろう。この点詳述はない。ただ、これにまつわる裏話がきっちりと記されていておもしろい。
*林屋辰三郎は寛永文化論という持論から角屋を遊郭と述べた。一方、現在の角屋は「もてなしの文化美術館」と位置づけ、遊郭という表現を嫌うようになっているという。そこには、遊郭という言葉のイメージと実態がが時代の変遷とともに変化したことにもよるのだろう。著者が、「高度成長期にすすんだ京都観光の脱=性化」「文化に敬意をはらう女性客の浮上」「京都観光の女性化」という動向に角屋が女性客の来館をターゲットにするためと意図を解釈していることもおもしろい。
4.武者をとろけさせる女たち
この章で、著者は『太平記』にもとづいて、南北朝時代の権力者の有り様を日本歴史の学者なら公の場ではたぶん語らない歴史の裏側を取り上げている。共通理解や推測が可能でも、事実を論理的に立証する確証なしには研究者としては論議でいないだろうからである。その点、その分野の専門家でない著者は自由に発言ができるともいえる。
著者は、南朝の起点となる後醍醐天皇が「えびす心」の武士操縦術として、後宮に仕えていた女を利用したという。後醍醐は己の想い者であった勾当内侍(こうとうのないし)を宮廷警護の任をひきうけていた新田義貞に盃に付けて勾当内侍を譲ったという。後醍醐天皇が新田義貞の忠誠心を買うために取ったこの事例を引いて論じている。同様のことを、足利尊氏につかえた執事である高師直が「連れ平家」の形式で平家語りを聴いた話として、近衛天皇と源頼政の間での逸話を取り上げている。その上で、高師直自身が侍従の語り口から塩冶高貞の美人妻に横恋慕したエピソードの顛末につないでいく。
要は南北朝時代に武士への報償として天皇により宮廷の女が道具に使われたという実態話である。教科書には載ることのない側面である。後醍醐天皇が頻繁に行った宴席がどんな者だったかを、現代風に説明しているのがおもしろい。やっていることは昔も今も変わらないなあ・・・・という感じ。「無礼講」の意味は知っていたが、どの語源が『太平記』の宴席にあるというのを、本書を読んで知った次第。手許にある3種の大型国語辞典を引いてみたが、やはり『太平記』の宴席のことまでは触れていない。
5.共有された美女
興味をそそられる見出しである。ここでも南北朝時代を取り上げて、幾つかの教科書に記されることのない裏話をオープンに語っている。13世紀の後深草天皇に関わる話。少年時代に乳母に性的な手ほどきをしてもらい、成人してはその乳母の娘・二条を引き取り育て、二条が14歳の折りに、後深草は寝ているところに忍び込んだという。『源氏物語』のバリエーションを地で行った話のよう。ここに後日譚があり、西園寺実兼という公家が絡んでくる。その内容は本文を読んでいただきたい。やるもんやな・・・・というところ。著者は、ここに、後深草の政治的な野心を想定し、美貌の二条の利用法だと読み取って行く。南北朝時代の両統交代制確立の裏話、一つの泥臭い仮説として楽しめる。そして、さらには・・・・と二条の数奇な人生、その美貌故の官能篇的行動が語られて行く。著者は『とはずがたり』を種本として、読者向けにわかりやすく解き明かしてくれているようである。この章を読んで、この古典に俄然興味が湧いてきた次第。
著者は、『万葉集』の超有名な恋歌にも言及する。額田王・天智天皇・大海人皇子の三角関係話である。「俺と弟は、ただの兄弟じゃあない。同じ女をわかちあう、その意味でも血のかよいあう兄弟である。そう群臣たちの前でも、言外につげていたのではないか」(p188)という解釈に展開していく。国文学の世界で通説となっている読み解きとは大いに異なり、おもしろい。そして、天智天皇が宮廷でも評判の高かった安見児(やすみこ)という采女をある重要人物にさげわたした話で締めくくる。末尾の文興味深い。
「安見児の下賜が叙勲の儀礼めいてうつる。あるいは、女という褒章、トロフィーミストレスの授与式ででもあるかのように。」(p195)こんなことは教科書には出て来ない。そこが本書を通じて、古代史の時代と価値観を含めて、人間臭さ、血と肉を伴う人物群の歴史として、種々のエピソード、裏話を楽しめるところである。
6.王朝の力
著者は、平安京での王朝がどんなものだったかを、ごくわかりやすい例えを駆使しながら語る。そして、ヴェルサイユの王朝との比較もしている。
例えの面白さという側面をまずご紹介しておこう。8世紀半ばに成立した「内教坊」=王朝内の芸能プロダクション。王朝のホステス=女房たち。12世紀半ばの近衛天皇の后の一人、藤原呈子(しめこ)が市中から雑仕女(ぞうしめ)選びとして行った美人コンテスト。という例えである。
その美人コンテストの結果選ばれたのが常葉(常盤)だという。常葉は雑仕女として宮廷に勤め、呈子の居所の警備をしていた源義朝に下野守の官職とともにさげわたされたという。それが頼朝・義経など3人の子の母となった町娘の登場である。常葉は源義朝が平清盛に敗れた後、清盛が人質としてとらえた常葉を想い者としてかこい、花山院の女房となる廊の御方を生ませたという。その後、清盛は常葉を大蔵卿・一条長成にゆずられたとか。常葉の人生もまた波乱万丈の処世だった。
著者は最後に、捕虜となり鎌倉に一旦おくられた平重衡を源頼朝の命でなぐさめたという千手の前を取り上げている。
かつて、王朝や権力者は女を道具として扱ったということなのだろう。
京の王朝が得意とした性の政治手法が一番発展したのが後醍醐の時代であり、300年弱後の17世紀、後陽成の時代には性の政治を活かすことができなくなった時代であるとする。そして、京都に当局の管理下に置かれた遊郭が存在するようになる。そして、江戸幕府体制下の1640年代からは、島原に公許の色街が設けられ、遊戯的な性のアウトソーシング化が明確になったと著者は言う。そして、そこに王朝のセックスにまつわる文化が、街場に伝わり、遊里へ拡散したと孝察する。宮廷文化の精華である桂離宮の造形と、遊郭の揚屋における造形のデザインがつうじあう理由がそこにあるという。王朝文化への憧憬が、造形の形で文化伝搬されたということなのだろう。興味深い。
タイトル「京都ぎらい」は看板倒れで、一歩「京都」に踏み込んで歴史的に知るようにしむけ「京都好き」にさせる本になっている。読ませるエサが「官能篇」という切り口である。どの時代にもセックスにまつわる文化的側面がある。好奇心をかき立てる側面から導かれていく歴史の懐は深く、実に多彩である。
ご一読ありがとうございます。
本書に出てくる事項や名所関連情報でネット検索したものを一覧にしてみよう。(仕掛人側に加担するいとはないけれど・・・・)それらの内容から、実質と仕掛けを識別していただければおもしろいかも。
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後醍醐天皇 :ウィキペディア
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後陽成天皇 :ウィキペディア
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遊郭 :ウィキペディア
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もはや観光地 京都最大の花街『島原』はこんな所 :「レトロな風景を訪ねて」
かつて花街だった島原界隈を散策◆京都でもかなり穴場の観光地 :「4travel.jp」
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『京都ぎらい』 朝日新書
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