遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『失踪都市 所轄魂』  笹本稜平   徳間文庫

2020-01-13 00:02:56 | レビュー
 『所轄魂』の第2作である。2014年7月に単行本として出版され、2017年5月に文庫本となった。
 中心となる人物は、城東署刑事・組織犯罪対策課強行犯捜査係の係長、葛木邦彦である。ノンキャリアの警察官で、警視庁捜査一課殺人捜査係に所属していたが、それを擲ち希望して所轄署に転出した。葛木が早朝にジョギングをしていて自宅に向かう途中で携帯が鳴り出すという場面からストーリーが始まる。亀戸5丁目の民家で完全に白骨化した遺体が二体発見されたと宿直当番だった若宮から告げられる。機捜が間もなく現場付近での初動捜査に入ると言う。第一機捜の上尾小隊長らが現場を担当していた。上尾は葛木のかつての同僚である。無線のやり取りを聞き、葛木は上尾の声の調子から、事件性はなさそうな感触を受けた。事件性のない孤独死だったのか。
 隣人は昨年引っ越ししてきた人で、隣家が空き家と聞いていたという。早朝に、その隣家に明かりが見えたので不安を抱き110番通報。近くの交番の警官が駆けつけて遺体の第一発見者となったという。事件性は状況から判断するしかないと葛木は思う。そこに、検視官が臨場してきた。室井警視である。現場を臨検した室井は他殺だと断定する。白骨化した遺体を鑑定した室井は舌骨に骨折の形跡が見られ、扼殺だと言う。
 初動捜査で、遺体は矢上幹男と妻の文代と推定された。3年前に矢上幹男が町内会長に引っ越しを理由に町内会退会を申し出ていて、その数日後の夜中に車が来て1時間ほどで走り去ったという。隣人は息子夫婦が二人を引き取っていったと判断したらしい。それ以来空き家と思われていたのだ。

 庶務担当管理官はこの春に着任した倉田であるという。倉田は5年前の足立区での女子大生殺害事件の時にこの事件を担当し、室井との間に凶器の見立てで意見が対立した。捜査本部の現場の混乱で、事件が迷宮入りするという因縁があった。つまり倉田には室井に遺恨があるようなのだ。捜査本部の設置判断は倉田の所管である。
 東京都監察医務院での検案の結果、担当監察医の結論は二体とも自然死だという。それに対し、室井は大学の法医学教室に再鑑定を依頼したいと主張し、なぜか、葛木の息子である葛木俊史管理官を巻き込んでいた。葛木俊史管理官は特命捜査対策室の事案として担当することを考えているという。
 そんな矢先、大原課長が遺体の引き取り手を探すために区役所と連絡を取ったことから、住んでいた二人は3年前の5月に豊橋市に転出していて戸籍上は存命として残っているという。二つの遺体は矢上夫妻ではない可能性が出て来た。池田と若宮が豊橋に出かけて矢上夫妻が存命かどうかを調べることになる。そこから事件は厄介な方向に動き出す。
 矢上夫妻の戸籍簿と住民票から様々な確認すべき事象が生まれてくる。矢上夫妻の息子昭正は四年前に勤務先の工場での事故で死亡。昭正の妻は除籍して旧姓で新戸籍を作り、一人息子はそこに転籍し、その息子はアメリカに居住していた。
 さらに矢上夫妻の住民票の住所地を現地で確認したことから意外な事実が明らかになってくる。加えて、豊橋に調査に行った池田は、予想外の話をもたらした。今は存在しないアパートの所番地に、実態のない住民登録がなされていた結果、沼沢隆夫という高齢者夫妻が去年に職権消除されている事例である。その人物の前の住所が、戸籍所在地と同一で、江東区住吉一丁目だという。さらに、居住実態のない住民票の問題が江東区大島町五丁目にもあった。高齢者の相場夫妻であり、戸籍上は生きている形になっている。そこに共通するのは、江東区と豊橋、そしてどのケースも高齢者の男女二人世帯という点だった。
 大原課長は事件にならず終わればと願っていたが、思わぬ事態が出て来たことから、本気で取り組もうと微妙に積極的になってきた。葛木がトップで、池田・若宮・山井の4人でこの事件の専従チームを組めと決断する。

 白骨の女性死体から砒素が検出されたことから、殺人事件として立件された。とりあえず特命捜査対策室扱いの事案として具体的な捜査活動が始まる。葛木俊史管理官のもとに特命捜査対策室第三係の5名と城東署の葛木以下の専従チームが捜査に取り組むことになる。それでも事件に対し捜査一課の司令センターの担当係と倉田庶務担当管理官は静観する立場をとる。俄然、大原課長以下捜査員の所轄魂に火がつくことに・・・・。
 捜査活動で事実と証拠が累積され明らかになってくると、思いも寄らなかった側面が浮上してくる。あるカルト教団が背景に絡んでいるということが浮かび上がってくる。また、警察組織内部にも問題が繋がっていた。そして衝撃的なクライマックスへ展開していく。二体の白骨化した遺体の発見が、捜査プロセスを通じ最終段階でスケールの大きな事件に拡大して行くところが読ませどころと言える。

 捜査活動は砒素の検出事実から本格的に始まることになる。このストーリーの興味深いところ、おもしろみはいくつかある。列挙してみよう。
1. 殺人事件として立件する判断が微妙なであるケースが存在しうるという一例が、フィクションという形ではあるが提示されていること。事件としての立件つまり、入口を通り抜ける前段に、ある意味で重要な判断のステージがあること。そこが描かれていて興味深い。
2. 3年という時間が経過し、現場が風化している状況の中から、捜査活動の糸口をどこに見出していくかという点での取り組み方と視点が描き込まれている。殺人事件発生直後からの捜査でないというところに、捜査プロセスの違う進展というおもしろみが加わっていく。
3. 捜査活動は事件に関する事実と証拠の究明、事件解決に向けての論理的な推論プロセスの描写という側面が重要である。一方で、捜査に取り組むメンバー間の人間関係の有り様が、捜査の進展でのアクセルにもブレーキにもなるという側面がつきまとう。このシリーズでは、所轄魂というキーワードが使われる位に、人間関係での情動や情熱の側面が捜査員の人物評価も含めて具体的に描き込まれていく。このところが興味深い。それぞれの捜査員をどう活かすかという局面も大いに関係していく。特に城東署の捜査員若宮がこの事件の捜査プロセスで自ら意識変革していく局面も描き込まれていて、一つの読ませどころとなっている。葛木が息子を思う気持ちがところどころに織り込まれていくところも、このシリーズの特徴と言える。
4.戸籍と住民票との関係並びにその行政上の手続きがこのストーリーの一つの要になっている。行政上「職権消除」という制度があるという。この小説でそんな制度があることを初めて知った。この職権消除という制度を悪用した殺人事件というモチーフがここで取り上げられている。職権消除されると、その住民票に記載された人物は住所不定となる。職権消除は戸籍上は生きているが、所在は不明という事態に措置する手続きだそうだ。「失踪都市」というタイトルは、まさにここから来ている。
 こんな一文が記述されている。「悪用する手段は簡単だ。日本全国どこでもいいから、適当な住所に架空の住民登録をするだけでいい。あとは一定の期間が過ぎれば、自治体が居住の事実なしと判断し、頼まなくても消除してくれる。」(p150)恐ろしい一文と言える。
5.捜査プロセスの途中から、この合同捜査チームに倉田管理官が強行犯捜査一係の橋川をお目付役として、送り込んでくるという要素が加わる。橋川は前の部署は警務部で、監察だったという。そして、自分は連絡役として来たが、何のために来たのか良く分からないと言う。「現場のことで見聞きしたことを報告するようにという話なんです。つまりスパイをやれということでしょうかね」とあっけらかんと言う。葛木たちがこの橋川をどう扱うか。また橋川が己の立場としてどういう行動を取っていくか、この点が読ませどころのひとつにもなっていくおもしろさが加わる。
6.今回もノンキャリアの所轄署係長・葛木と息子でキャリアの俊史管理官との間で交わされる会話がこの小説の底流にある。警察組織内の問題事象について、要所要所で批判的視点での会話が交わされ織り込まれていく。勿論それは警察組織に限らず、巨大組織に内包される問題事象にも通じることなのだが、建設的批判という立場での親子の会話が描写されていく。著者の批判的精神が問題提起として提示されていると受け止めた。読者にとっては、警察組織とその機構を考える材料になる。

 お読みいただきありがとうございます。

この小説のテーマに関連して、関心事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。統計で見る孤独死(2018):過去15年で2倍以上に増加 :「横浜ベスト遺品整理社」
孤独死の現状  :「株式会社デイライト」
身元不明死者情報ページのリンク集 :「警察庁」
全国包括 身元不明者およびご遺体の捜索サイト
職権による住民票の消除の取扱いに関する要綱 :「国分寺市」
住民票の職権消除に関する事務取扱規則
失踪者  :ウィキペディア
年間8万人も! 行方不明者どこに消えるのか  :「日刊ゲンダイ」
本当は怖い世の中 年間の行方不明者の数  :「NAVERまとめ」

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『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館