『信長、天を堕とす』(木下昌輝著)の読後印象記で述べたが、『信長、天が誅する』は「小説幻冬」の2016年12月号~2019年1月号の期間内に連載されて、2019年11月に単行本として同時出版された。『信長、天を堕とす』は信長自身の視点から描かれ、短編連作により信長の生涯を描くというアプローチだった。それに対し、『信長、天が誅する』は信長と対峙対立した人物の立場・視点から信長を見つめるという真逆のアプローチである。信長と対峙対立する人々の立場と目線には信長がどのように映じ、認識されていたのか。対立する側の視点から多面的に信長像を浮彫りにしていく手法が試みられている。
天下布武の旗印を掲げた信長にとって勢力拡大の転換点となる重要な戦がある。その戦で信長と対立した人々が短編小説の主人公となる。その目と思いを介して信長が見えて来る。つまり、こちらも短編・連作により、間接的に信長像に迫るというアプローチである。『信長、天を堕とす』と呼応する点は、桶狭間の戦いから本能寺の変に到るまでの時間軸でエポック・メーキングとなる戦と信長に対立した人々が順次取り上げられていく。
単行本としては、本書も5章構成となっている。各章毎に、読後印象をご紹介しよう。章のタイトルを表記した後に、戦の名称と誰の立場から信長を見つめているかをまず併記した。
第1章 野望の狭間 桶狭間の戦い:井伊直盛
藤原氏の出で、五百年以上にわたり遠州井伊谷に根を張ってきた井伊家は、南北朝時代の後遠江守護斯波家の傘下に入り、応仁の乱期に今川家に服属する立場になる。井伊直盛は今川義元の尾張攻めにあたり、先鋒の軍に組み込まれる。その直盛に信長の家臣、簗田政綱が今川からの離反を説きにくる。戦が始まれば、今川の本陣の場所を織田に報せるだけでよいと言う。今川と織田の戦力、力量をどう捉えるか。井伊一族の命運を担う直盛が己の野心と戦の趨勢の読みの狭間で苦悩する姿を描く。信長の力量をどう評価するかが岐路となる。
井伊直盛の娘・お寅が戦に出たいと言い出す。結果的に直盛は、男として次郎法師と名乗らせ、己の傍につき従う形として許す。桶狭間での今川軍の敗戦は、直盛の命運を左右し、井伊家の命運が次郎法師に託される。
第2章 鬼の血統 姉川の合戦と小谷城の戦い:淺井長政と市
兄信長の行動に痛快さを感じ、兄が京に織田の旗を立てることに役立ちたいと市は日頃考えていた。淺井長政に嫁ぐようにと告げられると市は応諾した。長政との仲が深まると共に、市は信長とは全く異なる長政の生き様に共感していく。浅倉と織田のどちらに与するかについて家中の意見が二分する。評定の場に市も参画し、市は織田からの離反を説く。長政は浅倉家への信義を守るという決断を下す。市には信長と長政の考えが読みきれていたのだろう。その上で長政に共感していたのだと思う。長政の戦が始まる。
長政が自刃し小谷城が落城する。その後、市が幼い茶々と初に語りかける言葉がすさまじい。それがこの章のタイトルにリンクしていく。
第3章 弥陀と魔王 伊勢長島の戦い:下間頼旦
大坂本願寺は織田の軍勢と戦う。石山合戦と称された10年に及ぶ戦いである。門徒衆は「厭離穢土 欣求浄土」「進者往生極楽 退者無間地獄」という文言を大書した旗印の下に戦いに臨んで行った。大坂本願寺の物見櫓から門徒勢の戦ぶりを眺め、それを奇跡と感ずる下間頼旦は、門主顕如から伊勢長島に向かい、仏敵信長を討つために門徒を指揮せよと指示される。伊勢長島願証寺における下間頼旦の視点、つまり伊勢長島の内側から眺めた信長軍との戦い、伊勢長島が殲滅されていくプロセスが描かれる。大坂本願寺からの支援が途絶え、籠城が1月を過ぎると和睦を求める声が生まれてくる。仏敵信長を討つという指示に従い、戦に投げ込まれた結果の苦境が、生業に励み信仰心を持っていた日常生活への回帰の願いへと急転換していく姿が描き込まれる。
信仰の次元と俗世の政・権勢の次元とを結合させた過ちがどういう結果を生み出すかの問題提起に繋がっている。洋の東西を問わず、信仰絡みで一般信者を煽動するのは常にその宗教・宗派の上層部に属する人間であるように思う。
捕らわれて信長の前に引き出された頼旦と信長の交わす会話に、信長像が鮮やかに切り取っている。
第4章 天の道、人の道 設楽原の戦い:武田勝頼
落成を見ることなく心血を注いだ新府城と町に自ら火を放ち、落ちのびようとする武田勝頼が、「本当の強さとは、何なのか」を自問する場面から始まる。そしてその解を求めるために信長との数々の戦いの回想に入って行く。回想は三方ヶ原、東美濃、高天神城、そして設楽原での決戦へと展開する。設楽原の戦いに敗れ、退却した勝頼が新たな国造りに着手する。だが、時代情勢は勝頼にとり形勢不利な方向に加速していく。
父信玄をして天道さえ味方に付けた信長と言わしめた。勝頼は信長が目指しているのは天の下を統べることではなく、天そのものになることとだと見極める。それに対して、己は人としての己の道を歩み、己が生をまっとうせんと。本書を通し、武田勝頼という武将に初めて興味を覚えた。
信長と勝頼は一度も会することがなかったようだ。
第5章 天道の旗 設楽原の戦い・天王寺砦の戦い・本能寺の変:明智光秀
弘治2年9月、美濃明智城は斎藤義龍軍の総攻めにより陥落する。明智光秀は名目上の城主だったが、実質上は叔父の光安が差配していた。光秀は総攻めの前に城から逃亡する。この場面を皮切りに、己の生きる場を求めて流浪する。光秀は足利義昭の家臣となったが、それは己を活かす場所を見出すための足がかりに過ぎなかった。そして、信長に己の力量を活かす場を見出していく。光秀が信長の随一の重臣になるに到るまでが描き出される。例えば、比叡山延暦寺を攻める進言をしたのは光秀だったという。
二人の間に齟齬が生じ始めるのがどこに起因するのか。その一因に触れていく。
武田征伐に及ぶ段階で、光秀は勝頼の奮戦を期待した。「恐れの感情を知ることではじめて、信長は真の天下人になれるのだ」と光秀は信長を見極めていた。だが、勝頼の首級を検分した際に、信長が「そなたこそは、日ノ本に隠れなき、まことの弓取りだ」と発したことに接し、信長がすでにどこかで恐怖を知っていたと光秀は悟る。そして信長はさらに強い敵を求めていると。その後、光秀はさらに信長から己の目指すものが何かを知らされる。
本能寺の変を起こすに到る光秀の内心に光を当てていて興味深い。
「信長にとっての恐怖」という観点が、天野純希と木下昌輝の両者には共有され、信長の生涯と行動の軌跡を、間接的あるいは直接的に描き出し、違った立場から作品化するという発想の根底に据えられていると言える。おもしろい競作となっている。
ご一読ありがとうございます。
本書に登場する人物について、一般的な説明をネットで検索してみた。一覧にしておきたい。
井伊直盛 :ウィキペディア
井伊直盛(直虎の父)は井伊家きっての無骨武人~そして桶狭間に散った:「BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)」
淺井長政 :ウィキペディア
お市の方 :ウィキペディア
お市の方 :「歴史人」
下間頼旦 :ウィキペディア
武田勝頼 :ウィキペディア
武田勝頼 :「コトバンク」
武田勝頼~偉大な父と比べられて~ :「戦国武将列伝Ω 1100記事」
明智光秀 :ウィキペディア
明智光秀公 :「ぶらり亀岡(亀岡市観光協会)」
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『信長、天を堕とす』 木下昌輝 幻冬舎
天下布武の旗印を掲げた信長にとって勢力拡大の転換点となる重要な戦がある。その戦で信長と対立した人々が短編小説の主人公となる。その目と思いを介して信長が見えて来る。つまり、こちらも短編・連作により、間接的に信長像に迫るというアプローチである。『信長、天を堕とす』と呼応する点は、桶狭間の戦いから本能寺の変に到るまでの時間軸でエポック・メーキングとなる戦と信長に対立した人々が順次取り上げられていく。
単行本としては、本書も5章構成となっている。各章毎に、読後印象をご紹介しよう。章のタイトルを表記した後に、戦の名称と誰の立場から信長を見つめているかをまず併記した。
第1章 野望の狭間 桶狭間の戦い:井伊直盛
藤原氏の出で、五百年以上にわたり遠州井伊谷に根を張ってきた井伊家は、南北朝時代の後遠江守護斯波家の傘下に入り、応仁の乱期に今川家に服属する立場になる。井伊直盛は今川義元の尾張攻めにあたり、先鋒の軍に組み込まれる。その直盛に信長の家臣、簗田政綱が今川からの離反を説きにくる。戦が始まれば、今川の本陣の場所を織田に報せるだけでよいと言う。今川と織田の戦力、力量をどう捉えるか。井伊一族の命運を担う直盛が己の野心と戦の趨勢の読みの狭間で苦悩する姿を描く。信長の力量をどう評価するかが岐路となる。
井伊直盛の娘・お寅が戦に出たいと言い出す。結果的に直盛は、男として次郎法師と名乗らせ、己の傍につき従う形として許す。桶狭間での今川軍の敗戦は、直盛の命運を左右し、井伊家の命運が次郎法師に託される。
第2章 鬼の血統 姉川の合戦と小谷城の戦い:淺井長政と市
兄信長の行動に痛快さを感じ、兄が京に織田の旗を立てることに役立ちたいと市は日頃考えていた。淺井長政に嫁ぐようにと告げられると市は応諾した。長政との仲が深まると共に、市は信長とは全く異なる長政の生き様に共感していく。浅倉と織田のどちらに与するかについて家中の意見が二分する。評定の場に市も参画し、市は織田からの離反を説く。長政は浅倉家への信義を守るという決断を下す。市には信長と長政の考えが読みきれていたのだろう。その上で長政に共感していたのだと思う。長政の戦が始まる。
長政が自刃し小谷城が落城する。その後、市が幼い茶々と初に語りかける言葉がすさまじい。それがこの章のタイトルにリンクしていく。
第3章 弥陀と魔王 伊勢長島の戦い:下間頼旦
大坂本願寺は織田の軍勢と戦う。石山合戦と称された10年に及ぶ戦いである。門徒衆は「厭離穢土 欣求浄土」「進者往生極楽 退者無間地獄」という文言を大書した旗印の下に戦いに臨んで行った。大坂本願寺の物見櫓から門徒勢の戦ぶりを眺め、それを奇跡と感ずる下間頼旦は、門主顕如から伊勢長島に向かい、仏敵信長を討つために門徒を指揮せよと指示される。伊勢長島願証寺における下間頼旦の視点、つまり伊勢長島の内側から眺めた信長軍との戦い、伊勢長島が殲滅されていくプロセスが描かれる。大坂本願寺からの支援が途絶え、籠城が1月を過ぎると和睦を求める声が生まれてくる。仏敵信長を討つという指示に従い、戦に投げ込まれた結果の苦境が、生業に励み信仰心を持っていた日常生活への回帰の願いへと急転換していく姿が描き込まれる。
信仰の次元と俗世の政・権勢の次元とを結合させた過ちがどういう結果を生み出すかの問題提起に繋がっている。洋の東西を問わず、信仰絡みで一般信者を煽動するのは常にその宗教・宗派の上層部に属する人間であるように思う。
捕らわれて信長の前に引き出された頼旦と信長の交わす会話に、信長像が鮮やかに切り取っている。
第4章 天の道、人の道 設楽原の戦い:武田勝頼
落成を見ることなく心血を注いだ新府城と町に自ら火を放ち、落ちのびようとする武田勝頼が、「本当の強さとは、何なのか」を自問する場面から始まる。そしてその解を求めるために信長との数々の戦いの回想に入って行く。回想は三方ヶ原、東美濃、高天神城、そして設楽原での決戦へと展開する。設楽原の戦いに敗れ、退却した勝頼が新たな国造りに着手する。だが、時代情勢は勝頼にとり形勢不利な方向に加速していく。
父信玄をして天道さえ味方に付けた信長と言わしめた。勝頼は信長が目指しているのは天の下を統べることではなく、天そのものになることとだと見極める。それに対して、己は人としての己の道を歩み、己が生をまっとうせんと。本書を通し、武田勝頼という武将に初めて興味を覚えた。
信長と勝頼は一度も会することがなかったようだ。
第5章 天道の旗 設楽原の戦い・天王寺砦の戦い・本能寺の変:明智光秀
弘治2年9月、美濃明智城は斎藤義龍軍の総攻めにより陥落する。明智光秀は名目上の城主だったが、実質上は叔父の光安が差配していた。光秀は総攻めの前に城から逃亡する。この場面を皮切りに、己の生きる場を求めて流浪する。光秀は足利義昭の家臣となったが、それは己を活かす場所を見出すための足がかりに過ぎなかった。そして、信長に己の力量を活かす場を見出していく。光秀が信長の随一の重臣になるに到るまでが描き出される。例えば、比叡山延暦寺を攻める進言をしたのは光秀だったという。
二人の間に齟齬が生じ始めるのがどこに起因するのか。その一因に触れていく。
武田征伐に及ぶ段階で、光秀は勝頼の奮戦を期待した。「恐れの感情を知ることではじめて、信長は真の天下人になれるのだ」と光秀は信長を見極めていた。だが、勝頼の首級を検分した際に、信長が「そなたこそは、日ノ本に隠れなき、まことの弓取りだ」と発したことに接し、信長がすでにどこかで恐怖を知っていたと光秀は悟る。そして信長はさらに強い敵を求めていると。その後、光秀はさらに信長から己の目指すものが何かを知らされる。
本能寺の変を起こすに到る光秀の内心に光を当てていて興味深い。
「信長にとっての恐怖」という観点が、天野純希と木下昌輝の両者には共有され、信長の生涯と行動の軌跡を、間接的あるいは直接的に描き出し、違った立場から作品化するという発想の根底に据えられていると言える。おもしろい競作となっている。
ご一読ありがとうございます。
本書に登場する人物について、一般的な説明をネットで検索してみた。一覧にしておきたい。
井伊直盛 :ウィキペディア
井伊直盛(直虎の父)は井伊家きっての無骨武人~そして桶狭間に散った:「BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)」
淺井長政 :ウィキペディア
お市の方 :ウィキペディア
お市の方 :「歴史人」
下間頼旦 :ウィキペディア
武田勝頼 :ウィキペディア
武田勝頼 :「コトバンク」
武田勝頼~偉大な父と比べられて~ :「戦国武将列伝Ω 1100記事」
明智光秀 :ウィキペディア
明智光秀公 :「ぶらり亀岡(亀岡市観光協会)」
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『信長、天を堕とす』 木下昌輝 幻冬舎