この小説を新聞広告で知った。天野純希作『信長、天が誅する』とセットにした併載広告が目に止まった。二冊を手にして、これら表紙のイラスト画の感覚が似ているなという印象をまず受けた。それもそのはず、装画・永井秀樹、想定・片岡忠彦と共通していた。だが、これらの小説における信長へのアプローチは全く異なる。勿論、信長を扱うに当たって共有されている認識があるが、それを表現するスタンスが違う点がおもしろい。
これら2作品の奥書を見ると、共に「小説幻冬」に連載された後に、同時に単行本化されている。『信長、天が誅する』は2016年12月号~2019年1月号、『信長、天を堕とす』は2017年3月号~2019年3月号に連載された。それらは交互に連載されていくという試みだったことがわかる。両作品のアプローチの違いは、この発表プロセスともうまく照応しているようだ。新聞広告の関心の引き寄せ方もうまいが、やはりこの二冊は併読するのをお薦めする。
まずは、たまたま先に読んだこちらの小説について、読後印象のご紹介から始めたい。
単行本は「第1章 下天の野望」から「第5章 滅びの旗」という5章立てになっている。時系列的にみると、桶狭間の戦いで信長が勝利に到るプロセスから始まり、本能寺の変での「信長の旅の終わり」までが描かれている。
本書の見出しは章立てになっている。そこには桶狭間から本能寺までのプロセスにおける信長の思いと生き様がテーマに設定されていると受け止めた。著者の生涯からハイライトになるイベントを抽出し、信長自身の視点から描き、テーマを浮かび上がらせていくやり方を試みているように思う。5章立ての長編小説ではなくて、短編小説の連作という構想で信長が描き出されたという印象である。
そこで、章毎に読後印象をご紹介していきたい。
第1章 下天の野望
馬廻衆(親衛隊)80人を引き連れて上洛し、堺・奈良・京を見物して回った信長が、一転して強行軍で尾張まで駆け抜けて帰還するという場面から始まる。そして、今川義元を討つと宣言するのだ。桶狭間での戦いで勝利を収めるまでが描かれている。
そのプロセスで一際着目されているのは馬廻衆中の最精鋭のひとり、岩室長門守である。出陣を告げ、熱田神宮まで駆けた信長の前に即座につどっていたのは赤黒の母衣を背負った鎧武者がたった5人とその従者たちあわせて200人に足らないという状況だったと著者は描く。それが信長の思考と思いの原点のひとつとなったと。
桶狭間での勝利が信長に京を目指す決断をさせた。「本当の強さの正体が、あの京や堺につどう人々のなかにあることを」と。
第2章 血と呪い
尾張国北端にある丹羽郡の小口城攻めから描き出す。美濃斎藤家に与する織田信清との戦いであり、その戦は尾張国を掌握し上洛するための布石である。岩室長門守は、小牧山に城を築き拠点を移すよう信長に献策し、「人とは理(ことわり)ではなく、情で動きます」とも強い口調で語る。更に信長に対し「恐怖を受けとめて、乗り切る。それなくして、本当の強さは得られませぬ」と、信長に恐怖の心がないことが問題だと指摘させる。その岩室は小口城攻撃において討ち死にする。
信長が恐怖を感じたことがないというこの指摘に信長がどう立ち向かうかが、この連作での命題になっていく。この視点の設定が興味深い。
妹の市を淺井長政に娶らせ、淺井と同盟し、さらにその淺井の小谷城を落城させるまでを描く。長政が信長の許に送り返させた市とその娘たちを仏門に入れるという当初の考えを信長は取りやめる。その発想と理屈づけがおもしろい。信長の母(土田御前)、妹・市、市の娘という三代にわたる呪いを信長自身に向けさせようとするのだから。
第3章 神と人
大坂本願寺の一向衆との戦いおよび比叡山延暦寺との戦いの経緯が描かれて行く。
これらの戦いのプロセスで、信長の思考に影響を与える挿話がここでの押さえ所になる。戦死した森可成の妻で一向宗に帰依している妙向尼との対話、および阿含経の事を知りたいと告げ、信長の養育役だった沢彦和尚との間で行う対話である。ここには、日本における仏教の変容という視点並びに一向宗と仏道としての浄土真宗を峻別するという視点が持ち込まれていて興味深い。
そして、ハイライトは信長と森乱との会話。(信長)「己が恐怖を覚えるには、どうすればよいのだ」(森乱)「上様。神におなりあそばせ」である。恐怖心を得んがために「己は神になる」と信長に決断させるという展開がおもしろい。
第4章 天の理、人の理
信長は神になると宣言し、己の分身として”盆山”と名づけた石を安土城内の摠見寺に安置させた。その”盆山”と信長が対峙する場面から始まる。それは武田攻めの10日ほど前のシーンである。信長は「高みに昇るものは、かならずや天から鉄槌をうける」と内省し、戦への出立前に手綱を引き締めよと言う。ストーリーは、天が信長に味方した天正3年(1575)5月の設楽原の戦闘の回想に転じ、そして現在(9年後)の武田攻めに戻って行く。設楽原の戦いのエッセンスの描写が読ませどころであるが、さらに、信長の息子の一人、織田信房のことや信長のうたた寝での夢想が織り交ぜられていく。
ここでのストーリー展開は、現時点と過去時点の回想を織り交ぜ、その構成を少し複雑にしてあるところがある意味でおもしろい。読者を一瞬戸惑わせる構成である。信長の心の襞を描こうとしているのだろうか。ストーリーの構成を読み解いていただきたい。
信長には武田勝頼が信玄以上に強かったと評価させ、一方、天の理・人の理に見放されたことで敗北した武将と著者は言外に語っていると受けとめた。
第5章 滅びの旗
熱田神宮境内で信長の前に馬廻衆がたった5人しかいない状況を信長が再度夢に見るという場面から始まる。そして、信長が明智光秀に謁見する場面へと展開する。
興味深いのは、謁見の前に、信長が明智光秀との軍略についての対話や光秀の行動、己と光秀の武将としての力量について回想する場面が連ねられて行くところにある。その上で、「この国内で、誰も信長を恐怖させてくれなかった」という己の思いに帰着していく。さらに、信長が市の娘茶々を安土城に呼び出し、誰を婿にしたいかと、織田の諸将の一覧を前にして尋ねる場面を描いていくのがおもしろい。
光秀との謁見は、信長が海外制覇の意図を光秀に話し、光秀を信忠の補佐として日本に残すと告げる場面となっていく。そして信長が光秀を扇で打擲する結果となる。
信長が父のことを回想する場面が織り交ぜられた上に、本能寺の変の最後の場面が描かれてエンディングとなる。あたかも信長が海外遠征の意図を光秀に語ったことで、光秀が決起するトリガーになった印象を受けるようなつながりになっている。
この章のタイトル「滅びの旗」はダブル・ミーニングなのだろう。まずは織田の旗が光秀による変で滅び去り、光秀の桔梗紋の旗もまた、滅びの旗となったのだから。ここでは、信長の旅の終わりまでしか描いてはいないが。
ここのタイトルは「強さとは何か」という問いに戻って行く。
この小説で、著者は信長が「はたして、強さとは何なのか」を追い求め、「余は、強さの正体を見極められなんだ」とつぶやかせるに到る。最後に、「しかと心せよ。強さと弱さは、表裏一体だ。それを忘れるな」と叫ばせている。
信長自身の内面の葛藤をテーマに据えた時系列の連作で、信長像を描き出そうとした小説という印象を持った。
お読みいただきありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『信長、天が誅する』 天野純希 幻冬舎
これら2作品の奥書を見ると、共に「小説幻冬」に連載された後に、同時に単行本化されている。『信長、天が誅する』は2016年12月号~2019年1月号、『信長、天を堕とす』は2017年3月号~2019年3月号に連載された。それらは交互に連載されていくという試みだったことがわかる。両作品のアプローチの違いは、この発表プロセスともうまく照応しているようだ。新聞広告の関心の引き寄せ方もうまいが、やはりこの二冊は併読するのをお薦めする。
まずは、たまたま先に読んだこちらの小説について、読後印象のご紹介から始めたい。
単行本は「第1章 下天の野望」から「第5章 滅びの旗」という5章立てになっている。時系列的にみると、桶狭間の戦いで信長が勝利に到るプロセスから始まり、本能寺の変での「信長の旅の終わり」までが描かれている。
本書の見出しは章立てになっている。そこには桶狭間から本能寺までのプロセスにおける信長の思いと生き様がテーマに設定されていると受け止めた。著者の生涯からハイライトになるイベントを抽出し、信長自身の視点から描き、テーマを浮かび上がらせていくやり方を試みているように思う。5章立ての長編小説ではなくて、短編小説の連作という構想で信長が描き出されたという印象である。
そこで、章毎に読後印象をご紹介していきたい。
第1章 下天の野望
馬廻衆(親衛隊)80人を引き連れて上洛し、堺・奈良・京を見物して回った信長が、一転して強行軍で尾張まで駆け抜けて帰還するという場面から始まる。そして、今川義元を討つと宣言するのだ。桶狭間での戦いで勝利を収めるまでが描かれている。
そのプロセスで一際着目されているのは馬廻衆中の最精鋭のひとり、岩室長門守である。出陣を告げ、熱田神宮まで駆けた信長の前に即座につどっていたのは赤黒の母衣を背負った鎧武者がたった5人とその従者たちあわせて200人に足らないという状況だったと著者は描く。それが信長の思考と思いの原点のひとつとなったと。
桶狭間での勝利が信長に京を目指す決断をさせた。「本当の強さの正体が、あの京や堺につどう人々のなかにあることを」と。
第2章 血と呪い
尾張国北端にある丹羽郡の小口城攻めから描き出す。美濃斎藤家に与する織田信清との戦いであり、その戦は尾張国を掌握し上洛するための布石である。岩室長門守は、小牧山に城を築き拠点を移すよう信長に献策し、「人とは理(ことわり)ではなく、情で動きます」とも強い口調で語る。更に信長に対し「恐怖を受けとめて、乗り切る。それなくして、本当の強さは得られませぬ」と、信長に恐怖の心がないことが問題だと指摘させる。その岩室は小口城攻撃において討ち死にする。
信長が恐怖を感じたことがないというこの指摘に信長がどう立ち向かうかが、この連作での命題になっていく。この視点の設定が興味深い。
妹の市を淺井長政に娶らせ、淺井と同盟し、さらにその淺井の小谷城を落城させるまでを描く。長政が信長の許に送り返させた市とその娘たちを仏門に入れるという当初の考えを信長は取りやめる。その発想と理屈づけがおもしろい。信長の母(土田御前)、妹・市、市の娘という三代にわたる呪いを信長自身に向けさせようとするのだから。
第3章 神と人
大坂本願寺の一向衆との戦いおよび比叡山延暦寺との戦いの経緯が描かれて行く。
これらの戦いのプロセスで、信長の思考に影響を与える挿話がここでの押さえ所になる。戦死した森可成の妻で一向宗に帰依している妙向尼との対話、および阿含経の事を知りたいと告げ、信長の養育役だった沢彦和尚との間で行う対話である。ここには、日本における仏教の変容という視点並びに一向宗と仏道としての浄土真宗を峻別するという視点が持ち込まれていて興味深い。
そして、ハイライトは信長と森乱との会話。(信長)「己が恐怖を覚えるには、どうすればよいのだ」(森乱)「上様。神におなりあそばせ」である。恐怖心を得んがために「己は神になる」と信長に決断させるという展開がおもしろい。
第4章 天の理、人の理
信長は神になると宣言し、己の分身として”盆山”と名づけた石を安土城内の摠見寺に安置させた。その”盆山”と信長が対峙する場面から始まる。それは武田攻めの10日ほど前のシーンである。信長は「高みに昇るものは、かならずや天から鉄槌をうける」と内省し、戦への出立前に手綱を引き締めよと言う。ストーリーは、天が信長に味方した天正3年(1575)5月の設楽原の戦闘の回想に転じ、そして現在(9年後)の武田攻めに戻って行く。設楽原の戦いのエッセンスの描写が読ませどころであるが、さらに、信長の息子の一人、織田信房のことや信長のうたた寝での夢想が織り交ぜられていく。
ここでのストーリー展開は、現時点と過去時点の回想を織り交ぜ、その構成を少し複雑にしてあるところがある意味でおもしろい。読者を一瞬戸惑わせる構成である。信長の心の襞を描こうとしているのだろうか。ストーリーの構成を読み解いていただきたい。
信長には武田勝頼が信玄以上に強かったと評価させ、一方、天の理・人の理に見放されたことで敗北した武将と著者は言外に語っていると受けとめた。
第5章 滅びの旗
熱田神宮境内で信長の前に馬廻衆がたった5人しかいない状況を信長が再度夢に見るという場面から始まる。そして、信長が明智光秀に謁見する場面へと展開する。
興味深いのは、謁見の前に、信長が明智光秀との軍略についての対話や光秀の行動、己と光秀の武将としての力量について回想する場面が連ねられて行くところにある。その上で、「この国内で、誰も信長を恐怖させてくれなかった」という己の思いに帰着していく。さらに、信長が市の娘茶々を安土城に呼び出し、誰を婿にしたいかと、織田の諸将の一覧を前にして尋ねる場面を描いていくのがおもしろい。
光秀との謁見は、信長が海外制覇の意図を光秀に話し、光秀を信忠の補佐として日本に残すと告げる場面となっていく。そして信長が光秀を扇で打擲する結果となる。
信長が父のことを回想する場面が織り交ぜられた上に、本能寺の変の最後の場面が描かれてエンディングとなる。あたかも信長が海外遠征の意図を光秀に語ったことで、光秀が決起するトリガーになった印象を受けるようなつながりになっている。
この章のタイトル「滅びの旗」はダブル・ミーニングなのだろう。まずは織田の旗が光秀による変で滅び去り、光秀の桔梗紋の旗もまた、滅びの旗となったのだから。ここでは、信長の旅の終わりまでしか描いてはいないが。
ここのタイトルは「強さとは何か」という問いに戻って行く。
この小説で、著者は信長が「はたして、強さとは何なのか」を追い求め、「余は、強さの正体を見極められなんだ」とつぶやかせるに到る。最後に、「しかと心せよ。強さと弱さは、表裏一体だ。それを忘れるな」と叫ばせている。
信長自身の内面の葛藤をテーマに据えた時系列の連作で、信長像を描き出そうとした小説という印象を持った。
お読みいただきありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『信長、天が誅する』 天野純希 幻冬舎