遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ブラタモリ 5 札幌 小樽 日光 熱海 小田原』 角川書店

2021-06-17 21:59:35 | レビュー
 行ったことがある土地などを含むシリーズから読み継ぐ内に、最初の10冊もこの第5弾と第9弾になった。まずは第5弾を読み進めることに。小田原、熱海は新幹線利用での通過点だった。熱海はMOA美術館に行くときに下車したくらいの記憶しか無い。かつて、藤沢には仕事で頻繁に出かけたので、そのときには小田原を乗り継ぎの通過点として利用していたていど。本書の5箇所は勿論、その土地に行ってみたい場所である。

 「札幌」は2015年11月7日放送。「小樽」は2015年11月14日放送。「日光」は2015年12月12・19日の2回連続での放送。「熱海」は2016年1月16日放送。「小田原」は2016年1月23日放送である。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2016年7月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は桑子真帆さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<札幌> テーマ「なぜ札幌は200万都市になった?」
*明治元年(1868)時点、札幌に住んでいた和人は豊平川の渡しを担う2軒の計7人だけ。
 札幌の開拓は翌1869年に本格化。寒冷気候に適応する作物の研究栽培が開拓の動機に。
 明治政府は欧米列強による蝦夷地収奪を恐れ、日本海から20kmの距離を防衛上役立つと判断
*札幌は扇状地のキワに築かれた拠点で、豊かな水が湧水(メム)として得られる土地
 札幌中心部の扇状地はなだらかな地形。真駒内(扇頂部)から北大(扇端部)までおよそ8km、標高差は約60cm。南から北へごくゆるやかに傾斜している。⇒町がつくりやすい
*周囲は泥炭地(湿地)。この湿地から水分克服の排水技術で土地改良⇒農地・宅地に
 ・北大の外国人教師による指導:土中に多数の土管を埋め、集水し排水溝に水を流す
 ・人工の河川 例:北大の北西側の「新川」は1887年完成。石川湾まで直線約10km
*明治時代、開拓使が造った札幌の中心部の周辺には、屯田兵、開拓団の町や村が散在
 札幌周辺の地盤改良された農地は札幌への人口の流入、急増で宅地化が拡大した
 札幌の中心部と同様に周辺の町や村がそれぞれに独自基準でに碁盤の目状の町割りをしていた。それらがそのまま現在の札幌へと取り込まれる形に⇒接続面で道路の曲がり
*すすきのの入口2区画(約200m)だけ歩道がかなり広い:かつての薄野遊郭の跡地の一部
*明治2年に札幌開拓に着手した島義勇が、江戸時代末期に用排水のために掘られた大友堀(後の創成川)の直線部に大通の基線を直交させた。これを基準に縦横の道が造られた。

<小樽> テーマ「観光地・小樽発展の秘密は『衰退』にあり?」
*小樽は「オタルナイ(砂丘の中の川)」が語源。札幌の西約30km。元は石狩湾の小漁村
*小樽はニシン漁や北前船、さらに石狩炭田の石炭輸送のための商業港として急発展した
 明治20(1887)年頃から物資の集積のために海岸線の埋め立てが始まり、倉庫群ができる
 「木骨石造」という造りが小樽の倉庫の特色。外壁には遮熱性のある凝灰岩を貼る。
 内部は木造の建物。消防法上は木造建築。⇒商業港繁栄の衰退。30年ほど前観光資源に
*堺町通り沿いの埋め立て地の反対の山側は海食崖。海食崖の上は、かつて高級住宅街
 もとは、日本各地からやってきて成功した豪商たちの住宅地:板谷宮吉、名取高三郎ら
*小樽は人口増に対処するため、流紋岩質凝灰岩の尾根を切り崩し平らな市街地を造成
 切り崩した土は沿岸の埋め立てに利用。水天宮本殿の向きと鳥居・参道の向きのズレ
*大正末期、北海道で最大の大金融街を形成した建物が、現在はホテルや観光店、美術館に
   最盛期には小樽市内に25の銀行(無尽会社を含む)。現在は銀行の支店が3つ。
*商業港が衰退、残った運河をどうする? ⇒ 観光目的として利用するきっかけに。
 北運河から南側は運河の幅を半分にし遊歩道にすることで観光資源に再利用。

<日光>
テーマ1「日光東照宮は江戸のテーマパーク?」
*日光東照宮は家康の遺言で2代将軍秀忠が元和3(1617)年に建立。当時は控えめな建物
 3代将軍家光が寛永13(1636)年に「寛永の大造替」で煌びやかな建物に変身させた
*東照宮には江戸時代から「堂者(どうじゃ)引き」と称する公認ガイド、コンシェルジュが存在した。江戸時代は堂者引きがいなければ境内に入れなかったという。
*東照宮の5つの仕掛け
 1)参道に取り入れられた遠近法:一番上の段は6.5m、一番下の段は7.5m。
 2)巨大な石の鳥居は花崗岩製。黒田長政が福岡から運び奉納。最大級の鳥居で重さ60t
 3)参道の石畳が菱形で矢印の役割を果たす。人の目線を先に進ませる。
 4)「上神庫」に象の彫刻:当時の人々には未知の動物。人々の目をひきつける。
  「神厩舍」に「三猿の彫刻」:「見ざる、言わざる、聞かざる」を心に残るように
 5)伊達正宗奉納の鉄燈籠:政宗はポルトガルから取り寄せた鉄で南蛮鉄燈籠を鋳造。
*白い唐門には上部中央に古代中国の舜帝を彫刻し、600以上の彫刻が施されている。
  ⇒家康は舜帝を尊敬していたという。禅譲による即位のメッセージを伝える意図
*奧宮入り口にあたる坂下門の東回廊の蟇股に伝左甚五郎作「眠り猫」
  ⇒猫の解釈には諸説あり。一説は家康の姿(平和の守り神)を表すという。
   眠り猫にも見え、今にも飛びかかろうとする姿(常に戦闘姿勢)にも見える。
*日光街道最終の宿場町として階段状の段差のある鉢石宿が栄えた。段差の痕跡が残る。
 東照宮を支える人々が町ごと鉢石宿に移住。「御幸町」。聖と俗の分離。技術の伝承

テーマ2「日光はなぜ”NIKKO”になった?」
*金谷カテッジイン ⇒金谷ホテル ⇒金谷ホテル歴史館 日光を世界に知らせる源に
 日光を訪れたヘボン博士が金谷善一郎(日光東照宮の楽師)に進言 
 金谷善一郎は自宅を改造して、明治6(1873)年に金谷カテッジインを創業した。
 明治11(1878)年、イギリスの女性探検家イザベラ・バードがここに12日間宿泊。
   旅行記に日光~奥日光の美しさを「日光を見ずして、結構と言うなかれ」と紹介
 明治24(1891)年イギリスで発売された日本の旅行ガイドブックに日光が紹介された
*大正末期~昭和初期  中禅寺湖畔は外国人、諸大使館の別荘地として有名になる
   風光明媚な景観美と夏の冷涼な気候が外国人のこころをつかんだ。避暑地。
 イギリス公使、アーネスト・サトウも中禅寺湖畔に魅了され別荘を建てた。
   サトウが中国へ赴任。建物は英国大使館別荘に。現在は栃木県に無償譲渡された
 旧イタリア大使館別荘と旧英国大使館別荘は隣接していて、共に一般公開されている
*戦前の中禅寺湖では「男体山ヨットクラブ」のヨットレースが夏の風物詩になった
   英国大使館が会長を務め、湖畔別荘に住む外国人たちが当ヨットクラブを結成
*男体山の噴火により、深い谷が堰き止められて中禅寺湖でき、華厳ノ滝ができた。
 火山灰や軽石でできた水を通しやすい地層が崩れ、その上の溶岩層が崩落し滝を形成
 かつては現在より800m下流に滝があった。崩落を繰り返し上流へ移動している。
*奥日光の名所の一つ、竜頭ノ滝の川床は火砕流の堆積物で、こちらは「ナメ滝型」。
*男体山の再噴火でもう一つの湖が火砕流堆積物で埋められ、戦場ヶ原の湿原ができた
*戦場ヶ原のさらに上に火山の恩恵、湯元温泉がある。8世紀、勝道上人の発見という。

<熱海> テーマ「人気温泉地・熱海を支えたものは?」
*熱海の近くに30万年前頃、多賀火山があり、陸地近くの海底にも噴火口があった。
 噴火により水冷破砕溶岩が形成され、その後に隆起し海食洞と海食崖がみられる景観に 熱海の温泉は岩石の亀裂に染み込んだ雨水や海水がマグマの余熱で温められ涌出したもの
*熱海の温泉は、塩分が多く含まれる「塩化物泉」で、温かさが長持ちする「熱の湯」
*江戸時代の熱海の温泉は熱海銀座の山側に27軒の湯戸(温泉宿)があった。
 「本湯」(後の大湯)は間欠泉の源泉で、一度湯を溜める「湯枡」が設けられていた
 湯枡から各宿に温泉が木管で配られた。間欠泉(源泉)は大正末に枯れた。
*徳川家康は熱海の温泉を愛した。開幕した翌年(1604)に7日間湯治滞在をしている
 歴代徳川将軍は熱海の湯を江戸に運ばせた。「御汲湯図」(江戸後期創業古屋旅館蔵)
*江戸時代、今井家が大名・旗本の宿。離れの一碧楼が有名。熱海を牽引したリーダー
*徳川将軍家御用達の他、木版刷を使い熱海を喧伝。沢庵和尚作謡曲「熱海」も利用
*明治以降、熱海は別荘地として開発され、急斜面の地形が別荘文化を支えた。
  例:旧日向別邸。庭園は人工地盤。斜面の地下室に工夫。ブルーノ・タウトの設計
*丹那トンネルの完成(昭和9/1934年)で観光客増が実現。丹那湧水が熱海の水源に。

<小田原> テーマ「江戸の原点は小田原にあり?」
*戦国時代、関東一円に勢力を広げた北条氏の本拠地が小田原だった。
*小田原城は6万6000年ほど前の箱根火山大爆発によりできた東京軽石層の地層上にある
 周辺に山から海へと3本の尾根が連なる。火山灰が造ったその複雑な地形を巧みに利用
 小田原城は「総構」の縄張り。城と城下町を囲む形で9kmに及ぶ堀を巡らす。
  ⇒「相府大普請」(総構の構築)を天正15(1587)年3月以降から3年で為し遂げた
  ⇒城の北東側:1km以上離れた地点の湿地帯を利用し最大で幅70mの堀と土塁を築く
   山側は尾根の地形を利用:「障子堀」(効率的に水を溜める)、土塁は粘土質
*江戸城の外堀(神田川~市ヶ谷~四谷~赤坂~溜池~虎ノ門~御成門)は小田原城の総構がヒントになった可能性が高い。
*小田原城の西1.5kmの早川を取水口とし全長3.5kmの小田原用水(飲み水に利用)を開削
 史料からは16世紀半ばにすでに存在。「日本最古の水道」。江戸末期に用水は暗渠に
  ⇒海に近い小田原の井戸水は塩分濃度が高く、飲み水には不適。蒲鉾作りには最適
*小田原用水は江戸で神田上水や玉川上水が開削された「原点」
  ⇒家康は小田原合戦で総構と用水を直に見ている。
   小田原入城の直後、配下に神田上水に関する研究を指示したという。

 メインの内容をまとめるとこんなところか。この要約はやはり掲載された地図や写真を見つつ本文を読んでいるからこそ、私的覚書として、本書の流れを思い出すソースになる。やはり、本書を手に取ってテーマへのアプローチをビジュアルに楽しんでいただきたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
大地を拓く 開拓の始まり 北海道の歴史と文化と自然 :「AKARENGA(あかれんが)」
明治の礎 北海道開拓  :「水土の礎」
札幌の観光スポット  :「じゃらん」
現地スタッフ厳選!小樽のおすすめ観光スポットBEST24  :「Rakuten Travel」
北海道小樽・観光プロモーションムービー  YouTube
日光東照宮 ホームページ
日光山条目  49/132コマ目  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
日光金谷ホテル歴史館 ホームページ
イザベラ・バード  :ウィキペディア
アーネスト・サトウ :ウィキペディア
野州二荒山温泉之図  :「東京大学学術資産等アーカイブズポータル」
中禅寺湖  :「とちぎ旅ネット」
熱海温泉の由来  市営温泉のある街「熱海」  :「熱海市」
 「今井半太夫の湯店と一碧楼」「熱海温泉市区一覧」「現在の大湯間欠泉」等の画像掲載
MOA美術館 ホームページ
難攻不落の城 小田原城  ホームページ
総構    :「小田原城 街歩きガイド」
小田原用水 :「小田原城 街歩きガイド」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 2 富士山 東京駅 真田丸スペシャル 上田・沼田』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』  角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店