ただ今午前5時、先程から起きて明日…、イヤ今日の句会の準備です。
余りにも俳句のことから遠ざかり…敢て逃げていたのかも…昨日から俳句モードに戻そうとしたんですけどね。これがなかなか! 気が乗らず、それでも朝(夜中?)になると頭が冴えてきましたので、何とかなりそうです。
今日は所謂〝初句会〟、それもダブルですから大変なんです。〝初句会〟とは、年が改まって最初の、新年気分がまだ残っている句会で、晴着姿の女性でもいれば華やかな日頃と違った句会になるのですが…。ここは俳句教室ですからそれはきっと無理でしょう。せめて気分だけでも新たな気持ちで向いたいと思っています。
そう言えば昨日来た手紙…今日の初句会を欠席するという内容に、…出席する予定で和服も用意していたのです…とありました。これは残念! 他にもそういう方がいらっしゃるかしら?いれば次のような感じになってウレシイのですが…
誰が袖の香のこぼるるや初句会 藤田 直子
昔の初句会は〈静まつた障子の咳やはつ懐紙〉のようだったんですね。堀麦水の句で、江戸中期の蕉風を唱導した俳人です。
でも、この句には季語が3つも…「障子」「咳」「はつ懐紙(初句会のこと)」なんですけどね。私も歳時記を見る度に思うのですが、昔の人の例句には季重ねが多いと。だから、日頃から〝季重ねはダメ〟と言い聞かされている初心の方はきっと疑問に思うでしょうね。
では、この句の季語をウエイト的に考えてみましょう。一番軽いのは「咳」…ここでは恐らく咳払いのようなものでしょうから季語性が薄い。次が「障子」…これも年中あるものですし、防寒の役割というより空間を仕切る、即ち部屋の内外を想像させるためのもの。とすると「はつ懐紙」が動かない季語となって、新年の緊張感溢れる句会を想像させて余すところがない、ということになるのです。だから余程季語に熟通していない限りは、〝季重ね〟は避けた方がよいと、私は思うのです。
これ書いていると言うことは…そう、一段落したということです。そろそろ来週からは本格的に…頑張らなくっちゃ!
写真は、玄関の花とタペストリー。我家の紅白南天と水仙を使いました。買ってきた花も入れたのでゴッチャですけど。