今日はこちらも久し振りの雪景色でした。3~4センチほどは積もったでしょうか。
昨夜句会の後の新年会が終り帰ろうとして外に出ると、雪がしんしんと降っていましたので、これはきっと積もるだろうなと思いました。予想通りでした。
それにしても寒いです。昨日今日の最高気温が-1度、最低気温は-4度ですよ。今までこれほど低い時はなかったような…。おまけにまだ止みそうにもないので、今日の健康体操はお休みしました。一日溜まっていた雑用をして冬籠です。でも、これぐらいでビビっていたら、もっと大変なところの方々には申し訳ないですね。
昨日の句会の兼題は〝春寒〟。もちろん春の季語で、立春後の寒さをいいます。他に「余寒」(よかん)とか「冴返る」(さえかえる)「寒戻り」(かんもどり)など、同じような季語もありますので、それぞれニュアンスの違いをよく考えて使い分けましょう。
春寒し水田の上の根なし雲 河東碧梧桐
使はるヽ身より使ふ身春寒き 鈴木真砂女
碧梧桐の句はほんとに寒々とした農村の写生句です。でも「余寒」や「冴返る」という寒さ中心の季語より、春という言葉に救われますね。寒いんだけれども、春は確かに近づいてきていると…やがて水田にも人の姿や農機具が動き始めると…。
真砂女の句は春寒の季感に精神的な寒さを重ねて詠んでいます。真砂女が小料理屋を営んでいたということから考えると、常に「使ふ身」としての実感だったのでしょうね。どんなに小さな店であろうとそれを維持していく苦労…使われる身というのは、嫌だったら辞めて他で働けばいいんだし…と気楽ですもの。特に春になると経営者には〝青色申告〟というものがありますからと…、考えすぎでしょうか? そんなこと考えていたら、面白い句が歳時記にありましたよ。
春寒くわが本名へ怒濤の税 加藤楸邨
でも、怒濤と言うほどの税金がくるということはかなりの高給取り?でも楸邨と言えば苦学して遅くに教員となり、既に結婚していたから妻子を養う生活だったんです。だからそんなに楽ではなかったでしょうに。掲句は句集『起伏』(1949年刊)に掲載ですから、この時は既に俳誌「寒雷」を創刊・主宰していました。それで、俳号の「楸邨」で得た収入に税金は本名に来た…その怒りが強かったのでしょうか。少ない収入の者にとっては税金って、いわば怒濤のような無慈悲なものと感じたのかも。
写真は昨日の新年会のご馳走…ちょっと食べてしまいましたが、茶碗蒸しや吸い物、お寿司、デザートなどが出て食べきれませんでした。後のは今朝の我家周辺の雪景色です。