ある機会に大勢の人に箱が折れる練習シートを配布したところ、子供たちがすぐに折って完成させてしまったことがあった。それも女子だった。逆に大人たちはなかなか折れなかった。
大人たちはまるでパズルのように折ったり、開いたりしているが、子供たちは忠実にその案内とおりに折っていた。大人たちは説明文を少し読んで、あとは自分で考えているようだった。
私も家電製品の説明文も読まずにすぐ使おうとするが、説明文は読まれないものなんだろうと思う。
そこで、今回、家内に説明文もないただ折る順番に作ったものを貼ったものを左側に並べて、右側で折ってもらう紙を貼った。これで折れるかどうか実験してみた。
折り方がわからないとき、左の折ったものをめくったりして、下を三角に折るんだねとつぶやいて、折っていた。その結果、実験は成功した。箱は折れた。
折ったあと、こういわれた。「折れたからどうなの?何に役立つのか?」
そうか、どういうときに役立つのか、イメージしていないまま、ただ折るという作業はそう見えるのだろうと思った。
レタスを思いっきり食べたくなったので、洗ったレタス。。。
それを入れるお皿が手元になかったので、このまま出すのが手っ取り早い・・・しかし、水が滴るなぁ
そこで、近くにあった牛乳パックを開いて、お皿を作った。それにレタスを載せて、食卓に出してみた。
すると、「いいじゃない・・その使い方」と一言。
そう、実はこれはさっき、折った方法で、牛乳パックで折ったのだが、やはりこれがあると助かるという場面で
折って、役立つとそれが輝いている。そう見えたのです。
パズルのような折り方を覚えて、いざ、このときに出番だと、頭が回転して、使えるかどうか、それはなかなかですが、それがうまく行ったときの爽快感は格別です。