『ゼロ年代SF傑作選』 S-Fマガジン編集部 (ハヤカワ文庫JA)</size>
『ゼロ年代“SF”傑作選』、ではなく、『“ゼロ年代SF”傑作選』。
もっと言えば、『リアル・フィクション傑作選』。
“リアル・フィクション”というのは、ハヤカワ文庫で展開されたキャンペーンみたいなもので、ライトノベルを中心に活躍していたSF第5世代作家やそのファンを、プロパーSFの世界へ引きずり込もうという魂胆だった。
これは、1985年の角川文庫ファンタジーフェア(あの『未来放浪ガルディーン』の表紙で度肝を抜かれた)に近いものがあったように思う。しかし、角川ファンタジーフェアがスニーカー文庫を生み出し、ライトノベル全盛期のきっかけとなったことに比べると、小粒な企画に終わったと言わざるを得ない。
また、“リアル・フィクション”という名称から、ゲームやアニメのフィクションの世界がリアルを凌駕するような、ゲーム脳的な解釈をされることがあるものの、名付け親の塩澤SFM編集長はそこまで考えていなかった模様。
ただ、この動きをきっかけに、このアンソロジーに収録されている作家陣がSFMやJコレといった日本SFの中心地に環流し始めたことは大きい。一時期分断されつつあったライトノベルと、非ライトノベルのジャンル小説をつなぐ必要性というのは、当時双方の担い手にも十分認識されていたと記憶している。
これは、そういう歴史の1ページとして、SFの教科書にでも載せるべきアンソロジーである。
収録作のほとんどはS-Fマガジンに掲載された作品であるが、正直言って記憶にない作品もあったりする。また、読後感が記憶とまったくことなる作品もあったりして、俺の記憶は充てにならないもんだなぁと、しみじみと感じる。
「マルドゥック・スクランブル“104”」 冲方丁
◎:『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んでいるかどうかで、どうしても印象がかわってしまうボイルドとウッフコックのコンビ。
今となっては、二人が並んでいるだけで涙が止まらない。
「アンジー・クレーマーにさよならを」 新城カズマ
◎:SFMで連載中の《あたらしいもの》に入っていてもおかしくない、先見的な作品。
気球が飛ぶラストシーンの美しさは語り継がれるべき。
「エキストラ・ラウンド」 桜坂洋
◎:ある意味、“リアル・フィクション”の名にもっともふさわしい作家であり、作品である。
ゲーム内のリアルと、現実のリアルが交差する十字路で、ゼロ年代のドラマは生まれるのである。
「デイドリーム、鳥のように」 元長柾木
△:この設定は《ブギーポップ》かよって突込みを入れるべきなのか。
そういえば、全死、間違って買ってよんじゃったよ。
悪くはないんだが、このメンツに入ると見劣りするように思える。
「Atomosphere」 西島大介
○:文字による説明が少ない分、読者の心の中から引き出されるものに作品の評価が依存しているように思える。
セカイの壊れ方も、《ブギーポップ》やその他のセカイ系に共通した“雰囲気”なんだよなw
「アリスの心臓」 海猫沢めろん
○:SFMで読んでいるのだが、まったく記憶と違うストーリー。俺はいったい、何を読んだんだろうw
まったく、そのことの方が“センスオブワンダー”だぜ。
「地には豊穣」 長谷敏司
○:これも『あなたのための物語』を読んだせいで読後感がまったく変わる。そうか、これがITPなのか。
やっぱり、日本人は桜だよな。文化は残るべくして残るものだ。
でも、矯正後に矯正してよかったかどうかを判断できるんだろうかとか考え出すと、また泥沼。
『おれはミサイル』 秋山瑞人
◎:《E・G・コンバット》の最終巻は? 『ミナミノミナミノ』の続編は? それはさておき。
男性読者を泣かせるSFを書かせたら、おそらく日本チャンピオン。
この作品も、映画『ダーク・スター』の変奏曲のようでありながら、“燃え”と“侘び”の泣けるストーリーになっている。
『ゼロ年代“SF”傑作選』、ではなく、『“ゼロ年代SF”傑作選』。
もっと言えば、『リアル・フィクション傑作選』。
“リアル・フィクション”というのは、ハヤカワ文庫で展開されたキャンペーンみたいなもので、ライトノベルを中心に活躍していたSF第5世代作家やそのファンを、プロパーSFの世界へ引きずり込もうという魂胆だった。
これは、1985年の角川文庫ファンタジーフェア(あの『未来放浪ガルディーン』の表紙で度肝を抜かれた)に近いものがあったように思う。しかし、角川ファンタジーフェアがスニーカー文庫を生み出し、ライトノベル全盛期のきっかけとなったことに比べると、小粒な企画に終わったと言わざるを得ない。
また、“リアル・フィクション”という名称から、ゲームやアニメのフィクションの世界がリアルを凌駕するような、ゲーム脳的な解釈をされることがあるものの、名付け親の塩澤SFM編集長はそこまで考えていなかった模様。
ただ、この動きをきっかけに、このアンソロジーに収録されている作家陣がSFMやJコレといった日本SFの中心地に環流し始めたことは大きい。一時期分断されつつあったライトノベルと、非ライトノベルのジャンル小説をつなぐ必要性というのは、当時双方の担い手にも十分認識されていたと記憶している。
これは、そういう歴史の1ページとして、SFの教科書にでも載せるべきアンソロジーである。
収録作のほとんどはS-Fマガジンに掲載された作品であるが、正直言って記憶にない作品もあったりする。また、読後感が記憶とまったくことなる作品もあったりして、俺の記憶は充てにならないもんだなぁと、しみじみと感じる。
「マルドゥック・スクランブル“104”」 冲方丁
◎:『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んでいるかどうかで、どうしても印象がかわってしまうボイルドとウッフコックのコンビ。
今となっては、二人が並んでいるだけで涙が止まらない。
「アンジー・クレーマーにさよならを」 新城カズマ
◎:SFMで連載中の《あたらしいもの》に入っていてもおかしくない、先見的な作品。
気球が飛ぶラストシーンの美しさは語り継がれるべき。
「エキストラ・ラウンド」 桜坂洋
◎:ある意味、“リアル・フィクション”の名にもっともふさわしい作家であり、作品である。
ゲーム内のリアルと、現実のリアルが交差する十字路で、ゼロ年代のドラマは生まれるのである。
「デイドリーム、鳥のように」 元長柾木
△:この設定は《ブギーポップ》かよって突込みを入れるべきなのか。
そういえば、全死、間違って買ってよんじゃったよ。
悪くはないんだが、このメンツに入ると見劣りするように思える。
「Atomosphere」 西島大介
○:文字による説明が少ない分、読者の心の中から引き出されるものに作品の評価が依存しているように思える。
セカイの壊れ方も、《ブギーポップ》やその他のセカイ系に共通した“雰囲気”なんだよなw
「アリスの心臓」 海猫沢めろん
○:SFMで読んでいるのだが、まったく記憶と違うストーリー。俺はいったい、何を読んだんだろうw
まったく、そのことの方が“センスオブワンダー”だぜ。
「地には豊穣」 長谷敏司
○:これも『あなたのための物語』を読んだせいで読後感がまったく変わる。そうか、これがITPなのか。
やっぱり、日本人は桜だよな。文化は残るべくして残るものだ。
でも、矯正後に矯正してよかったかどうかを判断できるんだろうかとか考え出すと、また泥沼。
『おれはミサイル』 秋山瑞人
◎:《E・G・コンバット》の最終巻は? 『ミナミノミナミノ』の続編は? それはさておき。
男性読者を泣かせるSFを書かせたら、おそらく日本チャンピオン。
この作品も、映画『ダーク・スター』の変奏曲のようでありながら、“燃え”と“侘び”の泣けるストーリーになっている。