『未踏の時代』 福島正実 (ハヤカワ文庫JA)
3歳の誕生日に身長と同じくらいのマジンガーZをもらった。
小学校3年生の頃にはガンダムがテレビ放映された。
初めて友達と見に行った映画はマクロスだった。
北の果てのど田舎でも、SFは確実に浸透していた。
それでも、少年は世間の無理解と戦わなければならなかった。
SFは“あっぱくさい”ものではない。SFは科学に忠実なだけの小難しいものではない。
それが、自分の子供の頃の、SFについての思い出だ(笑)
福島正実は、そんな自分にとって、SFのエライ人だった。
SF漫画のエライ人は手塚治虫だが、それよりもエライ人。
SF作家のエライ人は小松左京だが、それよりもエライ人。
SFファンのエライ人は柴野拓美だが、それよりもエライ人。
日本のガーンズバックであり、日本のキャンベルであり、日本で一番エライSFの人。
それが福島正実だった。
実は福島正実は小松左京らと同年代であり、けしてエライだけの人ではなかったと知ったのは、大学に入ってからだった。
いろいろな書物や講演で、多くのエピソードは読んだり聞いたりした記憶があったが、福島正実本人の言葉で書かれたものは、熱く、尖って、ザラザラした手触りを感じる。けして心地よい文章ではない。しかし、SFの市民権を勝ち得ようと世間の偏見と叩く情熱はストレートに伝わってきて、青かった頃の自分を思い出す(笑)
SF論争は、時に不毛で、SFファンをもSFから遠ざけてしまうかも知れない。しかし、SFというジャンルは、SFという形式をまねた文学ではない本質的なSFというジャンルは、論争を巻き起こすことこそが必然なんじゃないだろうか。
福島正実が今この瞬間に存命だったなら、いったい誰にどんな議論を吹っかけるのだろうか。
ラノベか、3D映画か?
東浩紀か、宇野常寛か?
なんだか、ちょっとワクワクする。
現在のSFマガジン、塩澤編集長は福島正実のように苛烈に議論を吹っかけたりはしない。しかし、そのラインナップはかなり攻撃的である。Jコレクション、リアル・フィクション、そして、SFコンテスト復活。
SFマガジンのこれからも楽しみだ。
3歳の誕生日に身長と同じくらいのマジンガーZをもらった。
小学校3年生の頃にはガンダムがテレビ放映された。
初めて友達と見に行った映画はマクロスだった。
北の果てのど田舎でも、SFは確実に浸透していた。
それでも、少年は世間の無理解と戦わなければならなかった。
SFは“あっぱくさい”ものではない。SFは科学に忠実なだけの小難しいものではない。
それが、自分の子供の頃の、SFについての思い出だ(笑)
福島正実は、そんな自分にとって、SFのエライ人だった。
SF漫画のエライ人は手塚治虫だが、それよりもエライ人。
SF作家のエライ人は小松左京だが、それよりもエライ人。
SFファンのエライ人は柴野拓美だが、それよりもエライ人。
日本のガーンズバックであり、日本のキャンベルであり、日本で一番エライSFの人。
それが福島正実だった。
実は福島正実は小松左京らと同年代であり、けしてエライだけの人ではなかったと知ったのは、大学に入ってからだった。
いろいろな書物や講演で、多くのエピソードは読んだり聞いたりした記憶があったが、福島正実本人の言葉で書かれたものは、熱く、尖って、ザラザラした手触りを感じる。けして心地よい文章ではない。しかし、SFの市民権を勝ち得ようと世間の偏見と叩く情熱はストレートに伝わってきて、青かった頃の自分を思い出す(笑)
SF論争は、時に不毛で、SFファンをもSFから遠ざけてしまうかも知れない。しかし、SFというジャンルは、SFという形式をまねた文学ではない本質的なSFというジャンルは、論争を巻き起こすことこそが必然なんじゃないだろうか。
福島正実が今この瞬間に存命だったなら、いったい誰にどんな議論を吹っかけるのだろうか。
ラノベか、3D映画か?
東浩紀か、宇野常寛か?
なんだか、ちょっとワクワクする。
現在のSFマガジン、塩澤編集長は福島正実のように苛烈に議論を吹っかけたりはしない。しかし、そのラインナップはかなり攻撃的である。Jコレクション、リアル・フィクション、そして、SFコンテスト復活。
SFマガジンのこれからも楽しみだ。